パンチの独り言

(2023年4月24日〜4月30日)
(あるべき姿、似て非なる、何の心配、厳しさ、邪魔者、道案内、芋蔓式)



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4月30日(日)−芋蔓式

 大学教育が、抱える問題は、それだけではない。受験を終えるまで、闇雲に、記憶に頼る学習を、続けてきた人間が、入学以降、直面する問題がある。相手にすべき、知識量が、まさに、天文学的数字、となるのだ。記憶容量は、遠く及ばず、途方にくれる人も、多いようだ。
 一方で、教員側が、抱える問題は、学力低下により、学生の処理能力が、落ちたことのようだ。その為、課題を減らし、内容を薄っぺらにする。一見、止むを得ない対応、とも思えるが、これが大きな過ちとなる。社会で、必要とされる人材の、質には変化がなく、学生の力不足は、各人が、補うべきとされるのだ。つまり、大学に課された役割は、水準の低い者を、以前同様に、高い水準に、引き上げることだ。と言っても、外力で、どうにかなるものではない。本人の自覚を、促すことで、その分を稼ぐしか、方法は無いだろう。ただ、この点に関しては、問題となる前も、同じだったと思われる。違いは、本人が、自分で気付くか、外から、気付かされるかだ。では、闇雲の記憶以外に、どんな手段があるのか。個別に覚えるのではなく、多くの要素を、互いに関連付けることで、容量不足を、補うのだ。芋蔓式、とも称される手法は、人間の知恵として、備わったものだが、初等中等教育では、脇見を許さず、驀地に、突き進むことを、良しとしただけに、忌み嫌われていた。その能力を、発揮させる訳だ。ただ、現代社会には、それを妨げる、大きな障壁がある。検索という、便利な道具だ。疑問があれば、すぐに調べられる。それで、全てが解決となる。と思われるが、この道具は、芋蔓式を、破壊するようだ。個別をそのままに、調べる作業は、関連付けを、排除する。結果、道具に頼る、自立しない人間が、出来上がる。それだけでも、厄介なのに、そこに、人工知能の助けが、加わってきた。便利と言う人も居るが、この点に関しては、的外れと思う。使いようを知らぬ者には、武器にならぬ。

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4月29日(土)−道案内

 独り言を、書き始めた頃に、触れた記憶があるが、何時だったかは、思い出せない。学力低下の問題が、監督官庁の責任と、この国では、盛んに批判されており、多くの国民は、その通りと信じ込まされていた。だが、当時、どの国でも、同様の問題が、取り沙汰されていた。
 別に、お役所を、擁護するつもりは、毛頭無いが、教育行政の過ち、というよりも、時代の趨勢と見た方が、正しいのかも、というつもりで書いた。当時の唯一の例外は、海の向こうの大国で、それは、おそらく、移民政策の違い、だろうとも指摘した。だが、それから、20年余り、あちらでも、深刻化している、と言われる。大学教育の現場では、特に、問題視されるのが、critical thinkingだろう。批判的思考とも、訳されるようだが、論理的思考でも、当てはまるだろう。これと共に、論理的な文章作成にも、課題山積と言われる。そこで、あちらでは、各科目の担当が、それぞれに工夫をし、興味を持たせ、意欲を高めよう、としているようだ。だが、根本的な解決は、見出せない。では、こちらはどうか。典型なのは、ここ10年程、多くの大学が、勉強の仕方の如きものを、新入生に課していることだ。地球の歩き方ならぬ、大学の歩き方の如き、指南本を与え、思考や作文の技術を、授けようとする。ただ、この状況は、その当時には、既に顕在化しており、問題の根幹は、嘗て、独り言で取り上げた、学力低下に、端を発していると思える。半世紀前なら、そんな教えを、授ける必要もなく、学生達は、卒業前には、研究論文を、それなりの形に、仕上げていた。その過程で、批判的も含め、論理的な思考も、徐々に、身に付いていた。それが、現状では、自然に芽吹くのではなく、外から、強く働きかける必要がある。この違いは、初等中等教育に、あると言わざるを得ない。この状況は、海の向こうも同様で、根っこは同じだろう。目の前の人間に、対応するには、この手法しかないか。

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4月28日(金)−邪魔者

 物価高騰に、拍車がかかっている。そんな報道を、目の当たりにして、多くの庶民は、戦々恐々の、状況ではないか。一方で、長く続いた、給与据え置きが、見直されて、少し、気が休まる思い、という人も居るだろう。その中、一つ、興味深い報道が、あった。
 燃料費の高騰は、あらゆる物品に関して、値上げを、誘発すると言われる。原子力に、頼ることのできない、電力業界も、当然のこととして、盛んに、値上げを行なっているが、政府は、庶民の生活を、脅かすものとして、一時的な対処を、図ってきた。だが、それでも、不十分とばかり、電力各社は、それぞれに、値上げの申請を、国に対して行なっている。規制料金と呼ばれるものは、特に影響が大きく、認めるかが、庶民の生活にも、大きな影響を及ぼす。この仕組み自体、不思議に思った人も、居るだろう。何故、自由経済の国で、申請や審査が、行われるのか。電力は、公共料金の一種であり、自由競争に、馴染まないものとして、そんな制度が設けられた。最近では、大手だけでなく、新規の企業が、工場での余剰電力や、太陽光や風力による発電で、それらを、販売するようになり、自由化が進んだが、今回の燃料高騰で、多くが苦境に陥っている。兎に角、その中で、大手各社が、申請したのに対し、方針案が出された、との報道があった。確かに、庶民の立場からは、安易な値上げは、御免蒙りたいが、とは言え、経済全体が、破綻することは、避けて欲しい。その中で、示された方針で、驚いたのは、値上げの理由に、社員の賃上げを、入れてはいけない、との指摘だ。社員とて、庶民の一人であり、物価高騰による、生活逼迫は、避けたい筈だ。だからこそ、企業が、賃上げに踏み切ろう、としたのだろう。にも拘らず、否とするのは、如何なものか。この慣習が、これまでの、経済停滞を招き、長期に渡らせたのではないか。公務員の給与も、同様だ。改めるべきこと、と思う。

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4月27日(木)−厳しさ

 盛んに強調してきた、論理性を、嫌う人は多い。感情的に、そして、情緒的に、物事を捉え、何度裏切られても、尚、論理で考えようとしない。それは、冷静さの表れだが、彼らの見方では、冷たい感情の、表明と思えるらしい。他人に、嫌われるより、自分が、酷い目に合う方が。
 そこまで、極端ではないにしろ、感情を優先する風潮は、近年、著しく高まっている。被害者に寄り添う、という態度も、表れの一つだが、旧来のものとは異なり、自業自得でさえ、被害と見れば、同情するのだ。これでは、社会規範は、蔑ろにされ、道徳観念は、薄れるばかりだ。その上、法治国家の、根幹を揺るがすことさえ、感情で、押し切ろうとする。一種、捻じ曲げられた優しさは、何時頃からか、人々に、覆い被さってきた。それが、反映されたものの一つに、癒しという感覚がある。何事にも、ほっと一息の瞬間があり、それを、癒しと呼び始めた。あらゆることに、適用され始め、胡散臭さが、増すに従い、犯罪の温床ともなった。こういう、勘違いによる、優しさは、特に、他人の為にならない。罪を犯せば、罰せられるのが、通例だが、それとて、犯した人間を、被害者と見做し、救済を求める声が、上がり始める。声の主は、総じて、人権擁護を、思い描き、弱者救済を、進めようとする。だが、犯罪は、犯罪である。そこまで、極端でなくとも、子供の成長過程では、様々な悪さが、横行する時期がある。それを、良しとするか、悪事と見做すかで、対応は、大きく異なるだろう。長い目で見ることを、悪いとするつもりは、毛頭無い。だが、悪さを、良き行いとしたり、褒め称えたりしては、本人の為にならない。ところが、そんな場面でも、優しさが、重要とされる。どうしたものか、と思うのだが、その極端な行いが、観察される場が、社会媒体、SNSの世界ではないか。この所、目に余るものに対し、苦言を呈したことも、あったのだが、多勢に無勢の状況だ。反論はないものの。

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4月26日(水)−何の心配

 人工知能の問題は、そう簡単には、解決しそうにない。当初、盤上の戦いである、囲碁や将棋において、上級者を、打ちまかし始めた時、愈々、人間を超えた、とさえ賞賛されたが、その課題については、以前書いた。今回は、更に、普遍的で、有用な道具として、どうか。
 生成系と呼ばれ、人間だけが、行えるとされた、創作活動に、その威力を発揮した、とされてきた。その中で、危惧を抱く人が、居る一方で、大歓迎の声も、上がり始め、複雑な様相を、呈している。確かに、出来上がったものから、その質の高さが、評価されるようだが、果たして、どうだろうか。更には、元々、人間の能力も、成長過程で、繰り返される、模倣の連続から、創作が生まれることを、考えに入れると、現状は、その初期段階に、あると思われる。ここでの騒ぎは、悪用への懸念だが、渦中の人々の、浅慮ばかりが、目に付くのは、騒ぎ全般と、同じ図式だからだろう。例えば、便利な道具を、使って制作した、と明記させる、などという提案には、文書や作品の、制作の責任は、誰にあるのか、という点が、抜け落ちており、当然、人工知能が作ったものを、誰かが提出するに当たり、点検することで、責任を負えば、それだけのことだ。的外れの議論は、今後も、続きそうだが、危機感に、注目が集まるばかりで、冷静な判断が、できないのに、呆れるしかない。当然、教育の現場でも、同様の対策が、講じられるべきで、責任の所在は、勿論だが、万能と、思い込む輩の、判断能力こそ、大問題と思う。生徒や学生が、それを使って、課題をこなすのは、教育上、由々しき問題、と見る向きも、問題の本質を、捉えていない、愚かさの表れだろう。就職活動などの、応募書類で、自分の特徴を、主張する箇所が、あるようだが、それが典型であり、本人の記録は、殆どの人間では、電子記録に存在せず、人工知能は、為す術無し、となるのがオチだ。教育上の課題も、ご同様だろう。

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4月25日(火)−似て非なる

 若者達には、想像も付かないだろうが、嘗ては、この国も、最新技術を誇り、高度な工業生産で、飛ぶ鳥を落とす勢い、とまで言われていた。だが、その前には、安かろう悪かろうの時代があり、更には、猿真似と呼ばれた時代もあった。そこでの大転換が、栄光を築いた。
 だが、今や、見る影も無く、若い世代は、将来への期待を、抱けない、とまで言われる。何故、そうなったのか。確かに、驕り高ぶった人々が、異常な不動産投資に、熱中する余り、泡が弾けた、と言われる。だが、それは、経済の話であり、工業技術とは、無関係では、と思う。そこには、勢いを無くす中で、肝心の、自信さえ失ったことが、大きな要因と伝えられる。だが、それも、何処か的外れに思える。自信を無くし、希望を失った結果、何事も、悲観的に見るのが、今の風潮だろうか。一方、隣の大国は、今まさに、飛ぶ鳥を落とす勢い、を誇っている。だが、既に、翳りが見え、没落への道を、歩み始めたと見る向きもある。先月読んだ本では、内陸奥地の自治区で、行われていると言われる、人権蹂躙の話を、取り上げていた。技術の発展が、監視社会を構築し、それによって、権力者が、圧政を続ける。と言われているが、その実態は、殆ど明らかとなっていない。更に、最近では、外国においた警察組織が、政治工作を、行うだけでなく、反体制派の拉致まで、行っているとされ、傲慢ぶりに、懸念が広がる。でも、工業技術の発展は、著しいのだから、国の発展も、約束されている、と見る向きもある。ただ、先々月読んだ本では、その基盤をなす、半導体生産が、他国企業に、頼るしかない実情が、記されており、感染症騒動に伴う、半導体の供給不足に、為す術もない状況の、理由が分かった気がした。一部の技術は、最先端のように、見えているものの、その実態は、猿真似の如くで、嘗てのこの国とは、かなり異なる水準だ。そこに、傲岸不遜な態度は、破滅を想起させる。

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4月24日(月)−あるべき姿

 Xデーが迫る中、騒動の種は、尽きることが無い。世間が、落ち着きを、取り戻しつつある一方で、監督官庁は、盛んに、接種推奨を続け、目論見を、露呈している。他方で、報道関係は、どうだろう。類の移行に、どんな障害が、起きるかの予想は、当り馬券の、予想屋然とする。
 だが、市井の人々の生活は、既に、騒動を忘れ、前を向いている、と言えるか。何度か、書いたことだが、依然として、目の前に広がる光景には、何の変化も、見られていない。人々は、何を恐れてか、口を覆ったままで、表情を、窺うことさえ、難しいままだ。一説には、移行さえ済めば、天下晴れて、外す筈とされるが、監督官庁の、不穏な公告を含め、足枷は、多く残っている。難しい問題で、正しい答えを、示すことが困難、との指摘もあるが、何故だろう。これについても、取り上げてきたように、専門的な解析が、殆ど行われず、騒動開始直後のまま、時が止まったかの如く、思える程だからだ。大学での研究が、重要との声もあるが、今回の騒動では、政治との結び付きが、重要とされ、学問本来の論争は、従来通りには、行われず、政治的判断という、一方的な裁定で、多くの判断が、下されてきて、研究についても、正誤の判定が、非論理的に行われた。先日も、ある報道で、世界機関の重鎮が、接種率と貧富の差を、取り上げた、とあったが、そこには、接種率と、感染による被害の大きさの比較が、全く触れられず、何の解析も、行わぬままに、当初の方針に、固執する人間が、保健行政で、影響を及ぼすだけでなく、学問の府でも、力を振るうことに、強い違和感を覚えた。形は違うが、この騒動では、研究者も、社会に対する責任を、果たすべきとの判断からか、発言を繰り返す、人が多く見られたが、本来の役割は、研究の推進と、学界での議論だろう。その上で、正しい結論を、導くことこそが、学問の意義ではないか。多くの取り違えが、起きたことで、歪みが、戻らないままだ。

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