パンチの独り言

(2023年5月22日〜5月28日)
(心知らず、収集と吟味、奇襲戦法、高値更新、読み取る、烏合の衆、何か違う)



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5月28日(日)−何か違う

 教育現場での、伝える側の不安は、かなり深刻と思う。傾向と対策に明け暮れ、それに適合した者だけが、勝ち残った、と思われる中、不安定な時代に、生き残る力は、無いと言わざるを得ない。では、彼らから、受け取る側は、どんな状況に、あるのだろうか。
 こちらも、かなり深刻な状況にある。傾向と対策は元より、無難に過ごすことが、最優先と思われる、風潮が強まり、生き抜く為より、その日を、如何に無難に過ごすかが、肝心と思うようだ。そこから、勝ちに出るより、負けないことを、優先させる。目立たぬ方が、無難との考えが、浸透しており、独自を目指すより、平均的で、穏当な状況を、望むようだ。そこに、届いたのは、人工知能の展開だ。従来から、大学では、課題の提出に追われ、無い知恵を絞るより、検索等で表示された、答えの一種を、丸写しすることを、良策と考える学生が、急増している、と言われていたが、その傾向が、更に、増すのでは、との懸念がある。剽窃が、いけない行為であるのは、明らかだが、人間の成長に、模倣は欠かせず、ある段階での行為は、黙認されてきた。だが、そこから学び、培うことが、肝心との考えは、楽に生き、その日を、無難に過ごすことを、優先させる風潮では、何事も、積み重ねより、単発的なものになり、学びは、望めぬ状況へと、移りつつある。そこに、問い掛けさえすれば、正解を、提示してくれる、仕組みが登場した、となれば、結果が、見えている、と思うのも、無理も無いことだ。だが、そこに、導いているのは、児童、生徒、学生達ではなく、彼らを、教え諭す筈の、人々ではないか。次代を担う人々に、反発せよとの言葉は、恐らく、届きそうにないが、少なくとも、他人と違うことを、試みる必要がある、という点だけは、伝えたいものだ。確かに、初等中等教育では、従順さが、好まれるだろうが、社会への船出の、一歩手前では、それでは、事が済まないからだ。

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5月27日(土)−烏合の衆

 ここ数年の、様々な騒動に、振り回される人々に、共通することが、あると思う。総じて言えば、力不足だ。吟味や分析を、行う為の基礎知識も、それを基にして、判断を行う力も、全てが、足りないのだ。一つには、周囲を眺め、それに従う、という行動で、十分と思うからだ。
 だが、騒動の結果、明らかになったのは、騒動の最中、共に行動することは、時に、危険を孕むということだ。群集心理、と表現されるように、人は、群がることで、それまでにない、心理状態に陥る。周囲と同じ、という状況に、意を強め、事の真偽や正誤の見極めを、誤るのだ。それでも、集団として、そのままの状況が続けば、同じ仲間同士、安心感に浸り、事件が起きたとしても、その責任も被害も、無かったこととなる。これでは、何も学べず、何も進歩しない、と思うのは、その輪の中に入らず、一種孤立状態に、陥っていても、自らの判断を、信じて対応した人々だ。だが、それとて、仲間外れの挙句、異常な言動の持ち主として、警戒される。それでも、最近は、社会媒体の存在により、彼らの声も、掻き消されることなく、届くこともある。ただ、その際の賛同者には、単に、異常な考えに囚われ、極端に走るだけの人間が、居るから、要注意だろう。最近の騒動の一つは、人工知能に関することだ。何度も取り上げ、異常な興奮に、水を差してきたが、依然として、騒ぎは収まらず、過剰反応が繰り返される。一つだけ、悪影響の懸念を、指摘すると、それは、教育現場への影響だろう。初等中等教育では、唯一の正答を与え、その正誤により、成績をつけるが、人工知能が、返した答えにも、同様の反応を、示す子供達が居る。機械が示した、回答の一つが、正しいとは限らず、その吟味が、必要となるが、その機会として、捉えることはなく、恐らく、鵜呑みが繰り返される。高等教育現場でも、同様の兆候はあり、警戒を要するが、当事者達は、吟味も分析も、判断さえも覚束ない。

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5月26日(金)−読み取る

 今朝の経済番組で、総裁の講演で用いられた、図表を引き合いに出し、状況を解説していた。そこに使われた図表は、誰もが、閲覧できるので、確かめて欲しい。その上で、そこで、説明されたことを、聴いていて、ふと気がついたことが、幾つかあった。触れてみよう。
 解説者は、講演の図表の中でも、図表13に、重要な意味が、隠されている、と指摘していた。それについては、最初に紹介した所で、眺めることが、できるかも知れないので、興味があれば、確認すると良い。ただ、ここで、取り上げたいのは、図表に示された、グラフの解釈が、興味深いことだ。件のグラフでは、需要と供給の差を、百分率として、横軸にとり、物価動向の指数である、CPIと呼ばれるものを、前年比として、百分率として、縦軸にとったものだ。縦軸は、所謂、インフレ率であり、肝心なのは、先進国では、2%を目標として、設定しており、この国でも、それを、長い間の目標値としてきた。講演の中で、どんな説明が、なされたのかは、講演録の3(3)に、示されるように、予想物価上昇率が、高まることが、フィリップス曲線と呼ばれるものを、上方にずらすこととなる。だが、その移行を、眺めてみると、一つ前の図表12にある、曲線の破線の辿り方と、似ているように見える。つまり、同じ状況ならば、直線が、平行移動するのだが、時間と共に、上昇率が高まれば、平行移動する中で、需給の差も、徐々に高まり、それに連れて、インフレ率も高まる、という形で、図表13の第一象限にある、黄色の点の動きに、反映されるのでは、と思えたのだ。解説者は、上昇率の高まりが、y軸上の切片を、高めていくと、説明していたが、これは、まるで、その切片の値が、上昇率を変数とする、関数で導ける、ことを示している。少し考えないと、理解はできないが、そんなことを、ふと思わせる話、だったように感じた。全くの的外れ、に過ぎないかも知れないが。

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5月25日(木)−高値更新

 相場の加熱が、止まらないようだ。泡が弾けて以来の、最高値を更新、という報道は、待ち望んだ人々には、まさに、朗報となった。しかし、市場には、楽観論より、悲観論を、好む人々が、蠢いている。案の定、懸念材料が、積み上げられ始め、暴落の兆し、と見る向きも。
 事情に疎い人まで、何か見解を、述べたくなったのか、人件費が、抑制されているから、などと、訳の分からぬ妄言を、書き並べるが、関係者が、盛んに、指摘してきたように、海外投資家の動向が、最有力の要因だろう。特に、著名投資家として、名を馳せる人物が、商社を対象として、更なる投資を、始めるとした宣言は、強い影響を及ぼす。長く、低迷期に沈んだ相場も、やっと、日の目を見ることとなり、関係者の喜びは、一入だろう。泡が、弾けた要因の一つに、相場の加熱も、あるにはあったが、最大要因は、無軌道な不動産投資にあり、今もまた、その気配があることには、注意が必要だ。一方で、低迷期の最中、自党を潰すと宣言した、宰相の下には、学者出身の大臣が、登用されて、大鉈を振るった、と言われる。がしかし、その後の経過を、普通に眺めれば、単なる悪政でしかなく、仲間内で、利益を貪っただけで、その後も、その人脈を活かして、のうのうと暮らす様は、反吐が出る程だ。構造改革という名の、思い付きの数々は、禍根を残しただけで、何の効果も、上げられなかった。生じた混乱は、現場の活動の上に、重く伸し掛かり、やっと、体制が整いつつある。その中で、得意の外圧だが、物価上昇と、それに伴う、人件費の増加が、経済状況を、好転させつつあり、相場の上昇も、やっと重い腰を、上げた結果だろう。ただ、油断は禁物で、ここで浮かれて、踊るだけでは、また、同じ轍を踏むだけだ。妥当な水準が、何処にあるかだけでなく、多くの要素が、あるべき水準に、到達するだけでなく、ある程度の安定を、目指す必要がある。暫く、様子見が続くだろうか。

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font color=green size=4>5月24日(水)−奇襲戦法

 勝負事に、関わる人にとり、負けることは、受け入れ難い。仮令、それが、機械相手としても、同じことだ。案の定、盤上の勝負事で、人工知能が、優位に立つ、とされた状況に、変化が起きた。昨日の経済紙の夕刊に、掲載されたのは、人工知能の弱点を、見つけたとの記事だ。
 ここでは、何度も書いたが、多くの人々は、もう勝てない、と思ったようだ。だが、通常の対戦では、人間を相手に、勝負をするのだから、人間に、勝つ手立てを、準備する。その状況で、機械に敗れたとしても、相手が機械だとして、どんな手立てがあるか、改めて考える必要がある。まさに、その一つが、囲碁の世界で、見つかったという訳だ。ある戦法に対し、人工知能は、終盤まで、勝利を確信し、そのまま、敗退したとあった。見込みを、誤ったのは、その定石が、人間同士の対局では、殆ど使われず、学習の成果が、現れなかったからだ。一方、禁じ手のような、約束事も、その理由を、理解しておらず、思考過程の違い、との指摘もあった。人間同様、人工知能も、定石を記憶し、それまでの棋譜を、学習することで、様々な場面での、最善手を、引き出すとされる。ただ、感情を持つ人間と、機械との違いは、奇襲に対する、応じ方にあるとされる。意外な手を、打たれた際に、どう応じるかは、その時の精神状態に、左右されることがある。これは、戦争などの戦いでの、奇襲とも、よく似たものだが、奇を衒うにしても、相手が、その準備をしていれば、無駄となる。勝者の奇襲だけが、語られるのは、当然のことだろう。一方、人工知能は、あらゆる可能性を、検討することができる、と言われてきたが、今回の報道からは、それが、過大評価だ、ということだ。生成人工知能に関しても、同様の反応が、登場後暫くは、起きていたが、今は、随分と違っている。まあ、過剰反応する人間に、惑わされぬよう、自身で、気をつける必要がある、ということだ。当たり前ではあるが。

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5月23日(火)−収集と吟味

 社会媒体が、数々登場して、世の中は、良くなったと言われる。情報社会では、種々雑多なもの、玉石混淆のもの、どんなものでも、触れられることが、第一となり、知ることこそ、不可欠となるからだ。そんな話が、一杯あるようだが、これは、本当なのだろうか。
 感染症騒動でも、他国への軍事侵攻でも、様々な情報が、世界を飛び交っていた。従来であれば、報道機関が、その殆どを担い、そこから派生したものも含めて、ある程度、統制のとれた情報が、供給されてきた。だが、これらの騒動では、全く異なる様相が、展開した。前者では、恐怖を煽り、制限をかけることを、世界機関も、各国政府も、最優先とした為、報道機関は、専ら、その片棒を担ぐこととなった。多くの情報が、操作され、実態に見合わぬものまで、垂れ流された。それに対して、社会媒体で、発言する人々は、目の前で展開するものを、そのままに、伝えたり、専門知識を、有する人々が、反論を並べるなどして、正反対の行動を、推奨していた。何方が、正しかったのかは、事と場合によるだろうが、今後、検証されることを、期待したい。と言っても、実権を握る人々は、例えば、この国の首都の首長の如く、さっさと、味方となった人々の、貢献を評価して、讃えるなど、保身とも見える、行動を起こしている。一方、後者は、利害関係が異なり、社会媒体での動きも、かなり異なっていた。報道機関は、侵攻を断行した国と、その大統領を、厳しく批判し、先進国の多くは、当初の様子見から、一変して、支援へと舵を切った。それに対し、一部の人々は、社会媒体で、状況の誤認や、そこに至る道筋での、当事国の体制など、多くの点で、反論を展開した。実情は、現実には、侵攻された国でも、立場により、大きく違い、多面的に捉える必要は、確かにある。だが、一方的という意味では、何方も、大差無いのだ。確かに、情報は、多種多様となった。だからこそ、判断が必要だ。

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5月22日(月)−心知らず

 利己的な人間は、虐めに走るが、利他的な人間は、そうではない、と思う人は多い。確かに、他人に優しい人間は、他人の利益を、考える筈、と思える。だが、優しい言葉が、利己的な考えに、基づくものだとしたら、どうだろう。最近の、優しい社会は、そんな感じがする。
 穿った見方、かも知れぬが、現状の厳しさを、少しでも、取り除こうとする、発言を見る度に、そんな印象を覚える。優しさは、確かに、相手への配慮、とも受け取れるが、それが、巡り巡って、自分に返ってくる、としたらどうだろう。以前、若い世代が、変化を求めぬ、という年長者の嘆きを、取り上げたことが、あったのだが、それも、似た事情による、と思える。要するに、自分の都合に、合うか合わないかが、判断基準となっており、相手や周囲への配慮、とは違うのではないか。可能性を、伸ばす為と称して、機会を、与え続けるのは、一見、正しいように思えるが、その実、相手を、その場所に、置き続けることで、自分を、脅かす対象とならぬように、仕向けている場合もある。また、自分が、やりたくない仕事を、押し付ける方便として、使っている場合も。一方で、優しさを、求める人々は、そういう輩の口車に、まんまと乗せられ、奉仕を続けたりする。思う壺とは、このことと思えるが、本人は、いつか報われる、と信じているようだ。厳しさが、嫌われる時代には、以前と同じように、辛く当たるのではなく、それでも、言葉の上では、配慮を見せた上で、相手の可能性を信じ、陰ながら応援をする。表面的には、手を差し伸べず、優しさが足りぬ、と思えるかも知れないが、その一方で、道を塞ぐことはしない。この違いに、気付かぬ人々は、その人物への評価を、下げることとなるが、真意も探らずに、何を、身勝手な判断を下すのか。まあ、人材育成は、一朝一夕には行かず、何かと面倒なものだ。環境整備も含め、目の前のことしか、見えぬ相手には。

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