パンチの独り言

(2023年6月5日〜6月11日)
(活況の中、老後の備え、再来か、決断力、双方向、助けるの、重荷)



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6月11日(日)−重荷

 総括が、出される気配は、全く無い。その代わり、次の接種のお誘いが、届き始めたようだ。国民性なのか、相も変わらず、指示に従い、同じことを、繰り返すのは、全く理由が見えず、一方で、この騒動の顛末が、どうなのかを、知ろうともしないのは、何故だろう。
 総括、という言葉は、ある年代の人々にとり、唾棄すべきもの、と映るようだ。だが、少なくとも、何かが起きた時、それを、全体として眺め、原因は何で、どんな対策が、どんな効果を上げたのか、調べる必要がある。嫌いな言葉なら、それを、使わずとも良い。別の言葉でもいいから、兎に角、何がどうなっていたのか、明らかにして欲しいだけだ。但し、その過程で、責任の所在が、明らかになるのなら、示すべきではないか。世界を、混乱の渦に巻き込み、多くの犠牲者を、出したとしても、それは、対策のお陰で、縮小化できた、というのなら、それはそれだ。だが、独り言でも、何度も書いたように、そんなに単純なものでは、あり得ないと思う。特に、賞賛に値する、などとは、決して言えず、都市封鎖も、ワクチンも、治療法も、どれもこれもが、功を奏したとは、言えそうにない。ただ、喉元過ぎれば、の如くに、騒ぎが、収まったように見えれば、大衆は、別の方角を、眺めるものだ。それも、騒動の最中、様々な形で、実施された施しが、戻ってこないようなら、声を上げる必要も、手を出す必要も、全く無くなる。一方で、市中にばら撒かれた、資金の多くは、別の行き先を見出し、今や、相場は、活況を呈している。と言っても、これは、一部の投資家が、恩恵を受けるのみで、庶民の生活には、何らの影響も、及ぼさない。否、悪影響の数々は、今後、明らかになるだろう。物価の高騰を、はじめとする、経済の変化は、人々の生活を、脅かし始めている。この先、どんな変化が、あるにしろ、大量のばら撒きのツケは、各国の経済に、重く伸し掛かるのだから。

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6月10日(土)−助けるの

 何故、こんなに、困り事が、起きるのだろう。と言っても、困った、困った、と言う人が、実際に、何に困っているのか、よく分からないことが多い。でも、困ったと言えば、誰かが、助けてくれる、と思っているようだ。時に、解決法を、授けたとしても、何の反応も無い。
 困り事の多くは、実際には、何の問題も、生じておらず、単に、面倒なだけとか、他人の関心を、買いたいからだけとか、その程度のことばかりだ。でも、困った、と言う人は、真剣に、援助を求めており、時に、こちらも、その気になって、手助けしようと、頑張ってみる。だが、その結果が、反応無し、となってしまっては、どうにもならない。物事を、解決するのに、最も良い手段は、自分で、やってみること、と誰かに、言われた記憶があるが、今は、そんなことは、無いのかも知れない。上手くいかないと、工夫してみるより前に、誰かに相談したり、困り果てた顔で、呆然と立ち尽くす。それで、解決に向かえば、何の問題も無い、となるのだろうが、そうだろうか。そんな人を、眺めていると、すぐにまた、誰かに、助けを求めている。先程の問題は、一見、解決したように、思われるが、実際には、何も変わらず、同じ問題に、困っていたりする。どうしたものか、と思うのだが、当人は、本当に困っている、と訴えてくる。こんな時、助けは必要か、という問題は、難しいようだ。何しろ、現代社会においては、何が、きっかけとなるか、誰にもわからぬまま、酷い仕打ちを、受けることがある。本来、自力で、解決せねばならぬことまで、助けを、要求されたり、明らかに、不正と思われることに、助けを求められる。本人が、大真面目で、間違った要求を、主張した時、手助けしないと、良からぬ噂を、流されることまで、起き得るのだ。どうしたものか、と思うことも、多々あるが、こういう時には、助けるだけ助けておいて、周囲に、その状況を知らせる。加担とは、思われぬよう。

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6月9日(金)−双方向

 多くのことに、当てはまるのだが、意思の疎通とは、何をどうすることか、分かっていないようだ。改めて、こんなことを、掲げるのは、世の中が、全体的に、物事を、理解しようとせず、都合のいいように、解釈するばかりで、誤った方向に、突き進むからだ。感染騒動も、然り。
 前にも、何度も、書いたことだが、意思の疎通を、発表能力、と考える人が、余りにも多い。疎通とは、相手と自分の、双方を結びつけ、両方向で、成り立つものだが、発表だけでは、一方的なものに過ぎず、聞く耳を持たない輩に、重要な務めが、果たせる筈も無い。何故、これほどに明白なことが、誤解されるのか。それは、英語能力同様、自分に無い力を、身につけさせようとする、一部の非常識が、世間では、罷り通るからだ。以前から、国民性の一つとして、受け身の姿勢が、取り沙汰されてきた。他人の話を、聴くのだが、仮令、求められたとしても、自分の意見を、言おうとしない、というものだ。この悪癖の解消に、多くの人々は、発表能力こそが、重要と主張した。子供の頃から、授業を聴いて、多くの事柄を、記憶することを、第一としてきたが、それでは、受け身でしかなく、発信する力が、養われない。そこで、初等教育から、議論をした上で、発表する機会を、与えようという動きが、盛んとなった。だが、その一方で、聴く力の方は、著しく減退しており、特に、受け止めた言葉の意味を、正しく導けないことが、問題視されている。独り言では、解釈の違いで、意味が異なるような、書き方を、心掛けているが、これは、目的が異なるからだ。一方、多くの人々が、身に付けねばならない、意思の疎通とは、こちらの考えと、あちらの考えを、何方も、正しく伝えることが、目的となるから、そこに、正しい論理性と、正確な表現が、必須となる。この点に、難点がある、とされているが、伝えることと、受け取ること、双方を習得せねば、所謂、片手落ちとなる。駄目だ。

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6月8日(木)−決断力

 物事を、決める時、どの位の時間を、かけるのだろう。以前にも、書いた気もするが、もう一度、書いておきたい。人は、何かを決断する時、じっくりと、時間をかけて、考えるとよく言われる。だが、それは、本当だろうか。決断、そのものは、瞬時に、決めているのでは。
 自分の場合、これまでの殆どの決断に、時間をかけたという、記憶が無い。もし、何かしらの時間が、かかったとしたら、それは、根拠や理由を、考えることか、あるいは、別の可能性を、検討するのに、使っただろう。後者は、一度は、決めたとしても、根拠や理由を、検討する中で、別の可能性が出てきて、考えざるを得ない、となった場合だ。何方も、当初の決定は、殆ど時間をかけず、すぐに、結論を出している。だが、周囲への説明や、相手との交渉などで、検討すべきことが、あるのか無いのか、更には、言い訳のように、理由が必要となる場合、それを考えるのに、使うくらいのものだ。こう考えると、決断そのものには、悩む必要は無く、気楽に構えられる、と思うが、どうだろう。多くの人々が、何事にも、深く考える必要があり、その為に、多くの時間を費やすのを、良しとしている。というより、それをしなければ、ならないとさえ、感じているのだ。この考えには、大きな過ちが、あると思う。考え始めるのは、何方の選択を、すればいいのかが、決まらないから、とすれば、その穴に嵌まること自体、よくない兆候であり、避けるべきことだからだ。可能性は、どんなことにも、幾らでもある。だが、自分が、好ましいと感じるものは、ほんの一握りに過ぎない。その中で考えれば、大した時間も、要しないが、全ての可能性を、検討するとしたら、限りなく、永遠に続く、ということになりかねない。それが、解っているのに、いつも、その淵に、迷いこむのだとしたら、それ自体を、避ける手立てを、考えるべきだろう。決断は、難しくないもの、という考えを、持つことが肝心だ。

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6月7日(水)−再来か

 半世紀前は、運用するとしても、預貯金で、問題は無かった。郵便局の、半年複利のものに、預ければ、十年で、ほぼ倍額が、戻ってきたからだ。しかし、その後、様々な要因で、利率の低下は、急速に進み、結局、預けても、何の変化も起きない、と思える程となった。
 こうなると、資産の運用に、別の手立てが、必要となる。と言っても、その頃、成長が止まり、物価の上昇は、抑えられても、給与が上がらず、将来への不安は、膨らむばかりとなっていた。国内の相場は、低迷を続け、物価が上がらねば、株価の上昇も、見込めない中、新しい商品が、登場していた。例えば、国内の景気が、振るわなくても、海外には、成長を続ける国が、ある筈と考えれば、そこに、投資先を、定めることができる。当時、隣の大国は、まさに、その状況にあり、伸びが期待されたものの、経済の解放が、不十分だったから、すぐに、とはいかなかった。その後、更なる解放が、進んだことから、一気に、資金が流れ込み、上昇の勢いを、増していった。その他にも、多くの国が、波はあるものの、巧く乗れば、利鞘が稼げる、と言われていた。となれば、国内への興味は、薄れていくしかない。安価な労働力を、求めての工場移転や、輸入拡大など、国内経済は、冷え込むのみ、と見られる程だった。しかし、成長すれば、物価が上昇し、賃金も上がる。結果として、こういう戦略は、一時凌ぎにしか、ならなかったようだ。さて、では、今の景気は、どうだろうか。期待しても、いいのだろうか。答えは、見えていない。だが、戦略として、海外に依存するには、限界がある。となれば、自ずと、答えが見えてくる。まずは、国内の状況を、好転させることが、再びの成長を、呼び込むのだろう。今、それが、始まりつつある、とも言われるが、投資は、所詮、相対的なものだ。他より、上ると見たから、資金が流れ込む。本質的な成長が、確保できたかは、まだ、定かではないようだ。

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6月6日(火)−老後の備え

 老後の備えは、十分だろうか。そんな不安に、襲われる人が、多いと言われる。確かに、年金が破綻する、という話は、何度も取り沙汰され、真偽の程は、どうにしろ、不安を煽る材料に、事欠かない。政府は、盛んに、保証すると言うが、政治家の言葉には、嘘が多過ぎるのだ。
 破綻の話は、確かに、作り話が多く、不確かな数値や、いい加減な見込みが、並ぶばかりで、最近の報道の為体が、如実に、現れている。一方、政府の試算から、不安を煽る意見も、急増したようだ。老夫婦の家庭で、月に、25万円の生活費が、必要とのことだ。だが、多く見積もっても、年金は、21万円しか、支給されず、足らない分は、どうするのか、という意見だ。でも、退職を迎える頃に、預貯金も、株などの資産も、一切保有せず、その日暮らしを、しようとする人は、殆ど居ない。時には、住宅ローンの残金で、借金生活を、余儀なくされる場合も、あるのだろうが、それはそれで、無謀な計画の末、と見るべきだろう。では、月々の不足分、4万円は、どの位積み上がるのか。年間、50万円弱で、老後が、今、取り沙汰されるように、人生百年として、40年近くあれば、確かに、二千万円必要、となる。それだけの、備えをしておけば、十分とは、簡単には、言えないだろうが、少なくとも、その程度の額を、備える必要がある、という訳だ。これが、政府の試算として、示されたものだが、この程度の額は、どの程度の人々が、用意しているだろう。預貯金に関しては、実は、それ程でもない、との調査が、あったような気がする。では、他の資産は、となる訳だが、このサイトが、当初、泡が弾けた後に、証券社員を、応援しよう、と始められたことから、元々は、多くの参加者は、株などの金融資産に、興味を持っていた。今は、彼らの姿は、見えていないが、さて、国民全体として、どうだろうか。優遇措置が、始まったことから、当時よりは、増加したには違いないが、さて、どの程度か。

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6月5日(月)−活況の中

 相場が、活況を、呈している。理由や原因は、様々なのだろうが、結果として、暗い時代が、過ぎたかの如く、見える程だ。その中、証券社員達は、どんな動きを、しているのだろう。以前なら、悪い景気で、株に手を出すのは、御免蒙る、との返事が、出ていたのだろうが。
 相場の格言には、色々あるけれど、如何に、先を読むか、という点と、動きの逆を、行うという点が、強調される。上げてきた時に、手を出すのは、下がり始めを、掴むだけと言われるし、下がっている時に、手を出すのは、何処が底かが、知れないと言われる。その一方で、上げた時こそ、売り時であり、下げた時は、買い時とも言われる。相場では、安い時に買い、高い時に売る、のが鉄則なのだろうが、そう簡単には、事は運ばない。狼狽、などと言われるように、動きに惑わされ、失敗を繰り返し、塩漬け、と言われるように、売り時を、逸したことで、放置するしかない、との判断を下す。損切りなどという言葉も、気軽に使える程、心穏やかには、居られないものだし、売り抜けなどと、思い通りに、進まぬものだ。だが、それにしても、この活況は、どうしたものか。確かに、感染騒動で、金が市中に、ばら撒かれた結果、余ったものは、市場へと流入した。そこに、一部の投資家が、出遅れ感の強い、こちらの市場に、目を向けたことが、理由とも言われるが、真偽の程は、定かではない。とは言え、こういう動きの中、興味深いと思ったのは、早朝の経済番組で、毎回、悲観的な見方に、終始する証券社員が、今回は、上げ続ける、との見方を示したことだ。逆張りとか、そんな雰囲気が、無きにしも非ずだが、何の根拠か、詳細は不明だが、こういう動きこそが、注目すべきこと、かも知れぬ。とは言え、相場は水物、軽軽に動くと、また、煮え湯を、飲まされかねない。日々の動きを、収益に繋げる投資家達は、激しい動きを、歓迎だろうが、さて、どうなるのだろうか。

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