パンチの独り言

(2023年8月21日〜8月27日)
(何が不足、忘れずに、御用学者、トンデモ、オフ会、豊漁かも、愚の具)



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8月27日(日)−愚の具

 超過死亡、以前も取り上げたが、覚えているだろうか。例年の統計から、死亡者数を予測し、その範囲を超えた場合に、使われる言葉で、例えば、大震災などの自然災害、戦争などの人為災害など、例年とは異なる事象により、死者数が増えた時に、現れてくる。
 感染症が、爆発的に流行し、犠牲者が増えても、同じ現象が、見られると言われ、国の研究機関では、その数値の変動に、注視して、結果を公表している。一方で、今回の騒動のように、講じられた対策が、何かしらの副作用を及ぼし、その犠牲者数が、急増したなどと伝えられると、そこにも痕跡が残る、とも言われる。俄か知識に、飛び付く人々にとり、統計という、科学的根拠に基づくものだけに、社会媒体でも、依然として、話題となっているが、その内容は、劣悪でしかなく、トンデモの類、と見るべきものだ。上に紹介した、公表された数値には、何の兆候も現れず、騒ぎの種も、尽きたと思えるが、隣の大国同様、依然として、科学を引き合いに出し、統計の不備や人為操作を、指摘することで、正当化を図っている。だが、年次統計の、死亡原因の表からも、一年間の推移に、格段の変化が、見られぬことから、空騒ぎでしかなく、騒ぐ為の道具として、科学を乱用する姿勢は、無知蒙昧の類を、想起させる。国だろうが、民だろうが、同じ穴の狢に過ぎず、批判する価値も、無いようだ。その中で、死亡原因の表から、今一度、読み解くべきことは、騒ぎの中心に居た人々が、盛んに、煽り立てた、大惨事は、数字の上からも、無かったことで、それが、生活への規制や、ワクチン接種などの、対策の結果との見解も、我田引水の典型、でしかないことが、明らかとなる。一方で、超過死亡を、掲げる人々が、導きたい結果は、何処にも存在せず、こちらも、妄想の類でしかない。愚策ばかり、弄した会議も、やっと解散のようだが、反省する気の無い人々は、懲りずに、再登場するのか。

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8月26日(土)−豊漁かも

 独り言の主張は、首尾一貫しており、破綻は無い。一方、不安や心配を、口にする人々は、非論理的なだけで、科学的根拠は、一切無く、無闇矢鱈に、同じ主張を繰り返す。では、彼の国は、どうだろうか。「科学」を口にしつつ、自らの主張の矛盾に、気付いているようだ。
 だが、大革命の時同様に、民衆の反発を、抑え込むと同時に、寄り添う姿勢を、見せる為だろう。敵対視する国を、槍玉に挙げようと、あれやこれやと、難癖を付け続ける。但し、当時、辛酸を嘗めた世代らしく、今回は、「科学」を盾に取り、反撃に備えたつもりになっている。だが、所詮、政治宣伝しか、頭に無い人々が、何を言っても、誤りとしかならない。輸入規制だろうが、検査強化だろうが、不買運動だろうが、何をするにしても、政策の具にしか、ならないのだ。で、海産物の輸出が、滞ることで、被害が拡大する、と渦中の人々が訴える、と報道は伝えるが、彼らの意図は、何処にあるのか。どうせ、彼の国の政府同様、人民への擦り寄りを、図ったものなのだろう。愚かさも、同じ程度かも知れぬ。興味深いのは、海産物の輸入規制は、この国の漁業者が、獲ったものだけでなく、この国近海で、獲れたものにも、適用されることだ。だからこそ、出鱈目に振り回される人々は、塩の買い占めに、走っているとある。なのだとしたら、味を占め、欲望に駆られた挙句に、根刮ぎ、乱獲を続けたことで、枯渇とさえ言われた、秋の魚は、どうなるのか。まさか、話は違うと、出漁するとも、思えないのだが、だとしたら、この状況に、変化が訪れるのでは、との期待が膨らむ。水産物だけでなく、農産物にまで、様々な被害が、放出以前から、起きていたことを、考えると、輸入規制が、愚かさ故に、全体へと拡大されれば、一気に、改善へと進む可能性も、あるのではないか。そんな戯言さえ、書きたくなる程に、彼の国の愚かさは、高まるばかりだ。興亡を、繰り返した歴史は、再びとなるか。

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8月25日(金)−オフ会

 嘗て、このサイトが、賑わっていた頃、ネット上の付き合いの常として、所謂、オフ会なるものが、開催されていた。そこには、当然ながら、証券社員も、多く参加し、その他、投資家と思しき人々も、時に、参加していた。パンチは、始めたばかりとは言え、投資家の端くれだった。
 ただ、集まって、戯言を、話すだけでは、何となく、物足りなかったのか、ひと月の相場予想を、競ったこともある。各自、これと思う銘柄を、持ち寄って、その月の値動きを、予想するのだ。確か、値上がり率を、比べていたと思う。それぞれに、資料を持ち寄り、根拠を示した上で、解散後の動きを、皆で注視する。証券社員にとっては、業績に無関係の、勝負銘柄だったろうし、投資家には、専門家を、打ち負かそうとの、思いがあった。結果は、全く覚えていないが、それぞれに、楽しんでいたと思う。特に、現実の取引では、損得により、一喜一憂せねばならぬ所を、単なるお遊びだから、ある意味、気楽なものだった。勝ち負けに対して、何かしらのものが、課されていたかも、記憶が定かではないが、目的は、そこには、無かったのだと思う。鼻を明かしたい、というのが、本音だったのでは、ないだろうか。当時の参加者にも、もう何年も、会うことが無い。今、何処で、何をしているのかさえ、分からぬ場合も多いし、鬼籍に入った人も居る。四半世紀近く、経過したのだから、当然のことだろう。当時、中堅だった人も、既に、退職しているのではないか。懐かしい話だが、今と違い、当時はまだ、景気回復には、程遠い状況で、相場も、堅調とは言えず、このサイトを、開設した人物も、他業界に移ってから、改めて、応援しようと、立ち上げた訳で、状況は、大きく違っている。逆に、資産運用が、ある意味、当たり前となり、税制も、改正されたことで、投資意欲は、確かに、高まっていると感じる。こちらも、一時の危機・低迷を脱し、今は、のんびりと、運用を続けている。

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8月24日(木)−トンデモ

 論理で、物事を、理解する。常識的なことだが、簡単ではない。だからこそ、国を挙げての論争が、巻き起こっている。だが、この国は、それに関して、少しだが、重要な経験をした。経済成長が、翳りを見せ、皆の生活が、厳しさを増した、あの時期に、大切な経験を。
 隣の大国のように、一党支配で、最近では、独裁化の一途、とも見えるのと違い、こちらは、仮令、長い官僚政治が続き、与党が圧倒したとしても、戦争に突き進んだ、あの頃のように、偏った考えが、国を支配することは、決して無かった。深い反省は、占領された国々から見れば、殆ど感じられなくとも、自らの心の中では、ある戒めが、常に、存在していたからだ。だが、それを支えたのは、戦後の成長であり、その中で、国を支えた、科学技術の力は、非常に大きかった。だが、成長の陰で、公害に苦しめられた庶民は、科学を疑い始め、そこに、全く別の要因で、破綻が起きたことから、信頼は、完全に失われた。なのに何故、と思えるのは、その時期に、盛んに持て囃された、科学的な説明で、ありそうにない事柄を、納得させよう、という動きだ。トンデモ、と揶揄された論法は、一見、科学的な見地に基づき、あらゆる不思議を、解説したものだが、その殆どが、出鱈目であり、信じるに値しないものだった。だが、一部の人々は、裏切られた筈のものを、別の形で信奉し、科学の崩壊とまで、言われる程となっていた。とは言え、論理を武器とし、事実を重視する人々が、似非科学者を、徹底糾弾することで、宗教にも似た動きに、待ったをかけた。そんな経験からか、科学を掲げて、主張をするのに対し、根本から、吟味する習慣が、ついたのだろう。処理水の話では、徐々に、理解が深まっている。その一方で、不都合な事実に、蓋をした上で、批判する国では、経済成長に、翳りを見せる中、同じ科学を、拠り所とした主張が、専らとなる。ただ、これが、トンデモだから、困ったものだ。

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8月23日(水)−御用学者

 双方が、「科学」を根拠に、正反対の主張を、繰り返している。理解の及ばぬ庶民は、不安心理や偏った解釈に、誘われるように、その本質ではなく、見かけの姿に、引き寄せられる。では、科学とは、一体全体、何物なのか。論理の重要性からも、見てみたい。
 半世紀以上前、科学の恩恵が、姿を変えて、人類の命を、脅かす事態が、世界各地で起きた。「沈黙の春」で、有名になった話も、その一端だが、現実は、救世主と目された存在が、その副作用から、悪魔と化したものだったり、科学の力で、生産性を向上させた結果、環境が対応できぬ程の、大量の化合物が、放出されて、生物全般に、悪影響を及ぼしたり、様相は、様々であった。ただ、元凶が、明らかにされるにつれ、使用禁止や代替品への移行、更には、科学の力で、除去する仕組みが、開発されることで、徐々に、状況は良くなっていった。要するに、科学は、善悪の区別はなく、時に、恩恵をもたらすが、時に、牙を剥くこととなる。そんな二面性は、解釈にも現れ、学界では、論争を巻き起こし、結論が出るまで、何年もかかることもある。科学という存在だけでも、そんな状況だが、そこに、政治が絡むと、話は更に拗れる。特に、独裁国家では、その傾向が強まり、遺伝の法則を、否定した学者が、独裁者の政策との一致から、重用された結果、全体が滞ったし、今回の論争の主の一つは、嘗て、大革命と称して、権力否定の一環で、科学者の弾圧を、実行したことで、大規模な停滞を、余儀無くされた。そこでも、失政の責任を、回避する手立てとして、生け贄を掲げた訳で、科学の本質とは、無縁のものだった。その経験にも関わらず、今回、「科学」を持ち出したのは、おそらく、あの国が、嘗ての大革命と同様に、独裁化を進める、政権の存続に、当時とは反対に、科学の力を、必要とするからだ。だが、都合よく歪曲した科学は、所詮、偽物に過ぎず、自ら、煮え湯を飲むだけだ。

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8月22日(火)−忘れずに

 備忘録、メモとも言う。正確には、memorandumと言う。人によると思うが、会議などで、盛んにとる人も居れば、その気配さえ見せぬ人も居る。と言って、忘れに備える訳だから、忘れぬ人には、無用のものだ。だが、これだけでは、役に立たぬことが、何と多いことか。
 こんなことを書くと、途端に、時代遅れ、との声が聞こえそうだ。今時、手にした端末に、音声記録を、録ることは可能だし、映像でさえ、同様だろう。だが、記録した媒体を、誰が、どのように、再現するのか。録画を、再生するにしても、最近流行りと言われる、倍速再生でも、半分の時間を、費やす必要があり、それを、誰が読んでも、理解できるような、文書とする為には、更に、時間を要する。これもまた、時代遅れ、と揶揄されるだろうが、文字起こしを、機械に任せても、それで、終わりとはならない。所詮、話し言葉は、理解に苦しむことが、度々あるからだ。では、備忘録は、どうか。これとて、一言一句、記録できるのは、速記者しか居ない。当然、大切と思った語句を、書き留めるのが、精々だから、全体の抜粋と雖も、書き直しを余儀無くされる。覚えること、書き留めること、それらから、再現すること、それぞれの段階で、一人ひとりの能力に、大きな差が生まれる。だが、それが、大切な記録となれば、疎かにはできない。それぞれの段階で、できる限り、漏れが無いよう、心掛ける必要がある。では、何を、どうすれば、いいのだろうか。答えが、ある訳ではない。時には、何度も、失敗を繰り返し、その経験から、自分なりの答えを、導き出すしかない。特に、重要な会議や集会では、録音録画を、禁じる場合もあり、各自の記録が、重要となる。提示資料も、時に、盛り沢山にされ、辟易とすることも、度々あるが、雑多な情報から、不可欠なものを、抽出する能力も、必要となる。誤字脱字は、以ての外だが、意外な落とし穴もあり、細心の注意が必要だ。

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8月21日(月)−何が不足

 人が減れば、人手不足になる。こんな図式を、報道は、盛んに流し、危機感を、煽っている。まあ、死の恐怖が、空振りに終わり、次の材料が、必要なのだろうが、何ともはや、安直な論理だ。その上、以前から、労働力の輸入も、盛んに、取り上げられ、歪みが強まるばかりだ。
 何方についても、経済成長が、止まったことで、物価が上がらず、そのせいで、収入が減り続けたことが、最大要因、と言われてきた。だが、感染症騒動で、各国政府が、ばら撒きをした所へ、軍事侵攻が、畳み掛けることで、様々な物品の供給が、滞り始め、物価が上昇した。その上、世界の工場、を自負した国が、政策の過ちからか、回復の兆しが見えず、そこに、不動産不況とも思える、波が襲ってきて、世界全体の経済に、暗雲が立ち込める、とまで言われている。その真偽の程は、さておき、人手不足の要因の一つだった、収入の低迷は、外圧によるとは言え、状況が急変し、一時的かも知れぬが、好況とも思える、状況が始まった。さて、その中で、現実には、どんな状態なのか。軽軽な判断は、憚られるものの、光が差し始めた、とも言えるのではないか。ただ、悲観的な人々は、相変わらず、税制の問題を掲げ、受け容れ難い、との意見に、しがみついているようだ。年金や税金の問題は、国を司る上で、欠くことのできないものだが、制度として、どうあるべきかは、状況次第だろう。だからと言って、猫の目のように、変わり続けるようでは、却って、不安を煽りかねない。現時点では、制度としては、変更しないまま、暫く、様子を見る必要がありそうだ。その上で、根本的なこととして、考えねばならないのは、家族の役割分担だろう。一時的には、先進各国で、両親共が働くことが、当然とされてきたが、家事育児を、労働の一つと見做せば、単一の収入で、成立するならば、以前のような形態も、あり得ると思える。現実に、一部の国では、戻りつつあることから、見直しもありか。

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