パンチの独り言

(2023年9月4日〜9月10日)
(詐欺紛い、悲観せず、勘所、論拠、興味無し、詐欺は詐欺、我関せず焉)



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9月10日(日)−我関せず焉

 世界中が、一本の線で、結ばれている。そんな時代には、情報は共有され、互いに、強い関係で、繋がれている。だったら、一つの単位として、考えればいいのでは、とも思えるが、現実には、そんな具合には、進んでいない。人間の欲は、様々な形で、互いを侵略する。
 仮想空間での話、と思った人も居るだろうが、現実には、軍事侵攻を見れば、現実空間で、侵略が起きている。但し、その最中にも、仮想空間では、情報操作が行われ、何方が、正当なのか、決めつけようとする動きが、盛んに起きていた。結ばれているからこそ、偽の情報も、事実も、入り混じって、一本の線の上を、巡っている。どう判断するかは、個人に任されており、その中で、議論が戦わされる。でも、事実とは何か。歴史上では、記録されたものが、事実として、認められているようだが、それは、所詮、勝者の論理に過ぎず、敗者の論理は、全て排除される、と言われている。現状では、勝ち負けが決した訳でもなく、互いに、自分の主張を、押し通そうと、論理を展開している。この状況では、どれもが、事実かも知れず、全てが、嘘かも知れないのだ。にも拘らず、ある意味、躍起になって、何方に与するかを、盛んに、論じ合っている。そこに、意味があるのか、誰にも分からない。ただ、利害が、複雑に絡み合い、結果として、何方に転ぶかも、分からぬ中では、誰も、正しい判断など、出来る筈もない。だとしたら、この中で、何をしたらいいのか。そんなことに、悩む人が、本当に、居るのだろうか。俄かには、信じ難いが、利害の為か、はたまた、大真面目で、白黒を付けようとするのか、何かしらの結論を、導こうとする。議論自体は、何も悪いことでもないだろうが、それにしても、こんなこと、いつまで、続けるのだろうか。無関係な人間には、何の意味も無いことに、思えてくる。だったら、暫く、知らぬふりも、いいのではないか。日々の生活に、追われているのだから。

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9月9日(土)−詐欺は詐欺

 先日、手にした端末の、不審な挙動について、書いてみた。画面上の、釦に触れて、目的の頁に、飛ぼうとすると、全く別の所に、飛ばされる、というものだ。これ自体で、こちらが、被害を受けることは、殆ど無いのだが、広告主は、微々たるものとは言え、何某かを請求されるかも。
 特に、接触により、操作する仕組みでは、それが、どんな動きをするかを、事前に知ることは、難しいようだ。以前から、パソコンの画面では、接触ではなく、その場所を、所謂クリックして、次の操作を行うが、そこでは、長押しすれば、どのような操作を、行おうとしているのか、知ることができる。便利さを、追求した結果、こういう問題が、生じる訳だが、不正なことを、仕組まなければ、何の問題も起きない。そこに、悪意があるからこそ、問題と思って、書いてみたのだ。一方、別の形の不正が、今、盛んに行われている、と報じていた。携帯端末だけでなく、通常のパソコンでも、同じことが、起きているから、悪意による罠を、その場所の管理者が、仕掛けていると言われる。以前から、広告では、見えるか見えないか程度の、小さな文字で、何かしらの注意書きを、施すことがあり、場合によっては、詐欺の一種、と見做されていた。これと、同様の行為は、今も盛んに行われ、取り締まられているが、今回のものは、少し違う代物だ。相手の指示に従い、頁を進める度に、複雑な文言が、現れてくる。これにより、混乱を招くことが、第一の目的であり、その上で、訪問者の操作により、罠に嵌める手口で、自主的で能動的な操作の上、との主張となるらしい。報道では、多くの場合が、紹介されていたが、問題は、単純ではなく、複雑な事情も加わり、詐欺との断定が、より難しくなるようだ。ダークパターンと呼ばれる手口は、様々な業界で、見られるようだが、個人を相手にしたものだけでなく、企業相手までとなると、どうしたことか、と思うしかない。詐欺は、詐欺なのだから。

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9月8日(金)−興味無し

 はっきり言って、何の興味も無い。何故、電波でも誌面でも紙面でも、皆が挙って、取り上げるのか、さっぱり理解できない。それだけの一大事、と言われるけれど、だとしたら、何故、これ程の長期間に渡り、皆が、無視したり、蓋をしてきたのか、それが分からぬ。
 今回の騒動は、いつもと変わらぬように、外圧により、始められたと言われる。だが、その肝心の外圧さえ、数十年も、知らなかったのか、そんな筈は無い。外圧とて、"Me too"に始まった、醜聞が広がり、あちらでも、大騒ぎになったが、それとて、何年もの間、知らぬふりをしていた。同じような業界と、それに対する報道関係の、不思議な関係が、こんな状況を、産み出したと言われる。だが、あちらの話は、加害者が、生きている間に、始まった。こちらは、加害者も、その隠蔽に動いた、関係者も、どちらもが、死んでから、始まったのだ。死人に口無しとは、よく言うものの、この状況で、何をどうしたいのか、やはり、理解に苦しむ。但し、被害者にとっては、やっと、日の目を見た、という状況であり、愈々、核心に、触れることができる、となるのだろうか。それとて、やはり、死人に口無しであり、他の関係者にとっては、言い訳だろうが、何だろうが、知らぬふりしか、できることは無い。そんな状況で、批判も償いも、どうでもいいと思えてくる。海の向こうの告発は、2017年に起きた。一方で、こちらの関係者は、加害者が、2019年に、その協力者が、2021年に、死んでいる。その後に、調査が始まり、加害認定が、なされたとあるが、この時系列は、何を意味するのか。外圧も含め、蓋をしてきた人々が、今更、何を言い出すのか、とも思う。また、前者は、異性行為であるのに対し、後者は、同性行為である。ここにも、問題ある、と言うべきなのか、それも、不明確なままだ。それや、これやで、興味が無い、となる訳だが、これは、無責任なのだろうか。

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9月7日(木)−論拠

 薄めたとしても、残存しているのなら、汚染されたと言うべきだ。という主張、かも知れぬ。確かに、燃料棒に、直接触れることなく、強い放射線により、三重水素が生じた、という一般の原子炉の話と異なり、事故後の破壊された原子炉では、燃料棒そのものから、核種が放出された。
 そこに、違いがあるのは、科学的にも、正しいことだろう。仮令、処理しても、残存するなら、明確な違いがある、との主張なのだ。それに与するように、昨日の話が、紹介された。だが、残存する核種について、環境中に、存在しないとは、言えないのだ。核実験でも、その他の要因でも、様々な形で、環境に放出されたものが、存在している。例えば、海水中の濃度についても、長年の調査が、報告されており、そこには、事故直後に、近海で、百倍以上の上昇が、あったことが示されている。それでも、今では、ストロンチウム90(Sr-90)の場合、リットル当たり、数ベクレルの濃度となっている。これに対して、2013年度の処理では、処理後の数値が、2900ベクレルで、当然大きな数字だが、現在の希釈の、百倍以上という話からは、この時期のものでも、かなり低いものとなる。ただ、それだと、海水中の十倍以上だ、との主張も出てくるだろう。2014年度からは、高性能処理が、導入されており、環境海水の濃度より、遥かに低い値、となっている。これらの話は、公開された数値から、十分に、算出可能であり、何も、驚くほどでもなく、また、人為的操作が、入っている訳でもない。科学的に、とする所以は、この辺りからくるもので、国際機関が、同意したのも、当然と言える。さて、ここまで来て、何を、どのように、説明すれば、いいのか。これに対する、正しい答えは、おそらく、存在しないだろう。ただ、震災から、十年以上を経過し、その間に、様々な議論が、ある中でも、納得という目標は、達成されておらず、課題が残っている。冷静で、論理的な思考が、求められる。

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9月6日(水)−勘所

 扇動に、最も有効な手段の一つに、悲劇的な筋書きがある。人々に、不安を掻き立て、ある方向に、導く為には、恐怖を催させる、悲劇が不可欠なのだ。そう考えると、この間までの騒動は、まさに、その典型だった。専門家と称する輩は、盛んに、死の恐怖を煽っていた。
 どんなに少数でも、被害者に、光を当てれば、悲劇は、作り上げられる。本来、公衆衛生や疫学では、多数の人間に、どんな傾向が、現れるかを扱うが、恐怖を持ち出せば、たった一つの事例でも、話が出来上がるのだ。だが、過ぎてしまえば、取るに足らぬこと、と平穏に戻る。この繰り返しが、長い時間の中で、様々な事件として、記録に留められる。但し、何度も繰り返すのは、大衆が、経験から、何も学ばないことを、如実に表している。処理水の問題は、見方によって、全く異なる筋書きが、展開される。貯め続ければ、その内減衰する、という見方と、膨大な容積に、十分に希釈すれば、危険性が、ほとんど失われる、という見方で、何方も、譲る気配が無い。だが、前者は、限界を超して、別の被害を生じる、という可能性が、懸念されるし、後者は、総量として、問題となる、という可能性が、懸念される。そこに、「科学」を翳して、反論を展開する国が、登場し、輸入禁止を掲げて、圧力をかけてきた。まさか、と思ったが、それに対して、与する意見を、盛んに論じる人々が居た。根拠は、処理が不十分で、除去しきれぬ核種が、残存している、というものだった。少し調べると、公開された数値が、見つかった。確かに、処理が始まった、早い時期には、核種により、除去効率が低く、残っているようだ。だが、そこにある、三重水素を、想定通りの濃度まで、希釈すると、残存した核種は、測定限界以下となる。この論理が、絶対とは言わぬが、彼らの論理は、明らかな誤りであり、まるで、大国に擦り寄るかの如く、見えてくる。当然、被害者然とする人々にも、好都合となる。

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9月5日(火)−悲観せず

 まだ兆しが、見え始めた所、結論を、急ぐ必要は無い。だが、悲観的な筋書きを、好む人々は、早速、隣の大国が、経済破綻を、来した時のことを、論じ始めている。それも、傾く大船に、小さな国が、巻き込まれるという、悲劇を、描くことに、躍起となっているのだ。
 前にも書いたように、あちらでは、急速な成長を遂げていた、経済に、翳りが見え始めた。特に、不動産不況は、深刻であり、映像でも、建設途中で、投げ出された、高層建築が、映し出される。その光景が、嘗てのこの国の姿と、似ていると見る向きもあるが、果たして、そうだろうか。こちらで、風船が弾けたのは、不動産が、高騰を続ける中、借入金の返済が、滞ったことから、始まったと言われる。同じ、不動産という言葉でも、土地を対象とした話と、建物を対象とした話では、事情は、かなり異なっている。理由は単純で、あちらでは、土地の個人所有は、不可能だからだ。その代わり、その上に建てられた、高層建築の各部屋は、所有物とすることができ、新たな投資先を、求める人々が、高騰する住宅を、買い漁ったと言われる。ここでも、少しだけ、事情が違うのでは、と思えるのは、高騰を続けた不動産が、価格崩壊を起こし、借金返済の目処が、つかなくなった、という嘗ての話と、売り出す為に、新たな建築を続けた、高層住宅の買い手が、見つからなくなり、不動産会社の資金繰りが、滞り始めた、という今の話には、違いがありそうだからだ。とは言え、経済の循環が、何処かで滞ると、全体の金の流れも、円滑さを失う。その上に、感染症騒動での、厳しい規制の後遺症か、他の先進国に比べ、回復が遅れている、という状況が加わり、全体として、経済破綻もあり得る、との見方が、出されているのは、事実であり、それによる大波を、こちらが受けるとの見解が、実しやかに語られる。だが、そんなに単純なのか。世界の工場が、閉鎖したら、別に作ればいいだけ、では?

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9月4日(月)−詐欺紛い

 電話による詐欺は、今も絶えないようだが、状況は、かなり変化したようだ。特に、振込詐欺と言っても、窓口で、手続きをさせると、行員に気付かれ、見破られるようになると、機械を通しての、振込へと、切り替えられた。だが、これとて、限界があるのだ。
 機械の扱いに、不慣れな人間を、相手とする詐欺では、一つひとつ指示を与え、騙す手法が用いられる。その為、携帯電話での指示が、不可欠となるが、これも、銀行内やコンビニでの、不審な行動から、見破られることが、増えてきた。次々に、繰り出される新手の詐欺では、一々対策を、講じることは難しい。根本的な問題は、別の所にあり、そちらの解決こそ、課題と思われるが、個人の認識の違いから、決定的な手段は、講じられそうにない。一方、携帯電話の機能が、格段に向上するにつれ、別の詐欺事件まで、生じ始めている。以前から、ネットに繋がった、パソコンを経由した、詐欺事件は、多発していたが、それが、手にした携帯端末に、及び始めたのだ。ただ、そこには、電話による事件とは、異なる事情が、あるようだ。電話は、元々、誰か知らぬ相手から、掛かってくるから、防ぎようが無い、と言われたが、端末から、接続するのは、所有者が決める訳で、相手を知ってのことだ。しかし、知る知らぬは、不明瞭なもので、興味本位に、訪れた場所で、被害に遭った、という場合が多い。ただ、その手口には、共通点があるように思える。作為的とは言え、本人が、その場所への接続を、任意で、決めていることだ。受動的ではなく、能動的な点に、騙されたことへの、感覚の違いが出てくる。だが、それとて、精査すると、少し違うと思える。つまり、本人の意思とは、異なる場所に、飛ばされている、という点だ。表記とは、異なる場所に、飛ばされた場合、能動とは言えぬ、別の行為に思える。最近、携帯端末で、戻る釦が、別の場所への入口になっていた。詐欺ではないが、さて。

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