騙されぬよう、と世間では騒ぐが、では、何をどうしたらいいのか。答えは無い、と言うべきかも。詐欺師に、騙されぬようと言われても、儲け話に、つい乗せられたり、親族の危機に、手を差し伸べてみたり、などと様々に手練手管を使い、次々に襲ってくる。
今や、人間相手だけでなく、人工知能が、様々に作り出す口車に、乗せられぬよう、何をすればいいのか、路頭に迷う人も多いだろう。だが、騙すこと自体、相手は、それによって利益を得るが、こちら側の事情はどうか。儲け話は、論外だろうが、こちらの欲を、巧みに操作される。欲のあまり無い人には、全く効果を出さないが、日々、金や名誉を追う人には、何とも魅力的なものに映るらしい。では、親族の危機はどうか。こちらも、日頃から付き合いを密にし、互いに、連絡し合っておれば、心配することなく、確認作業に移れる。だが、近年の状況は、まさに、詐欺師の思う壺で、たとえ親兄弟の間柄でも、没交渉が、長く続いていれば、久し振りの連絡を、疑うこともなく、信じ込むのだろう。でも、と思うことは沢山ある。それにしても、何故こうも容易く、騙されてしまうのか。信頼という鍵が、重要となるようだ。感染騒動でも、多くの人々が、偽情報に踊らされた。また、政府や国際機関の通達を、鵜呑みにしたことも、その一つと考えられる。権威ある筋の言葉が、世間を誘導し、混乱を極めることとなった。今となっては、何故、あれ程簡単に、乗せられたのかと思う人も、一杯居るだろうが、その最中に、そんなことに思いを巡らす人は、ごく僅かだった。そこからの警告も、それらの殆どが届かず、無視されていたのも、事実だろう。その理由の大部分は、権威という鍵にある。それを利用して、恐怖を煽り続けたのが、報道の手法だったが、そんなものは、ずっと以前から、何度も使われてきたことだ。何故、何度も騙されるのか。それが、人の心理なのか。理解に苦しむ。
泡が弾けた時代を知る人間には、何となく理解ができるのかも知れない。要不要に関係なく、勢いで、購入する人々は、独身を楽しんでいる、と言われるが、独り身だからと言って、使い切れぬ程に、蓄えがある筈もない。ただ、周りに流される、勢いだけだった。
他人事と思えるのは、こちら側でも、そんな時代があったとは、話でしか聞いたことのない世代だろう。羨ましく思い、如何に自分達が不幸のどん底にあるか、毎年の報道を眺めながら、考えたのではないか。だが、今年は事情が違うらしい。成長ばかりを誇っていた、売上高は、予想通りに勢いを無くし、他の経済関連の報道同様に、暗い影を落としている。それを眺めて、ざまあみろ、と思っているのだとしたら、何とも情けない話だ。元々、必要のないものを買い、無駄遣いをすることに、どんな意味があるのか、そんな境遇を経験したことのない人間には、理解できる筈もない。羨ましい、と思うのが精々だろうが、かと言って、そんな境遇に意味があるのか、説明できる筈もない。身の丈に合った生活をし、倹しくとも、日々満足ができる、何かしらの報酬を得れば、それで十分ではないか。現実には、高度成長期を経験したが、泡銭を掴んだこともなく、また、そのこと自体を、羨ましいと思ったこともない、そんな人間には、独身の日を、盛んに伝える報道に、首を傾げるしかなかった。確かに、生活が豊かになる過程は、年々実感できて、幸せを感じられるだろうが、それを越えて、何でもかんでも、無駄遣いができるという時代になって、どんな幸せを感じるのか、理解できる筈もない。だが、遮二無二、その豊かさに向かって、邁進したという人間には、こちらの無理解が、不思議に映るのだろう。成長こそが糧となる、との説明も、度々聞くのだが、これとて、強い違和感が残る。身の丈に合った、そんな幸せを、手に入れることこそ、大事なことではないか。
懲りない連中が、また騒がしくなってきた。やれ、検査薬が不足だの、流行の兆しが見え始めただの、その内、大流行の段階とでも言うのか。と言って、もう、例の新型感染症ではなく、昔馴染みのあれである。新型は、依然として、ワクチン推奨が続くが、また大量廃棄か。
で、新型騒動で、脇に追いやられていた、毎年お馴染みの、流行性感冒が、そろそろ注目を集め始めた。と言っても、一部の研究者が、警告を出していた、こちらの新型の話題ではなく、単なる、例年の流行に過ぎない。でも、致死率は、あの騒がれたものよりも高い、などと騒動の最中には取り沙汰されたが、それとて、大したことはない。だが、それでは、煽る価値が出てこない、とばかりに、別の問題を取り上げるのだ。懲りない、としか言いようがないが、それしか能が無いのだから、仕方のない話だ。で、今回は、検査薬の話、ではない。こちらも、ワクチンの傾向と、流行の傾向を、確認する必要がある、との理由もあろうが、本来は、旧型ではなく、新たな型が登場したら、という備えの目的だ。だとしても、来る患者全てを、というのは、お門違いだろう。まあ、騒ぎの種が見つからず、というのが真相に違いない。もう一つ、こちらは、耳を疑ったのだが、無知をさらけ出した、といった感じだろうか。安価な薬が、製造会社の不正から、不足がちとの報道があったが、そこに、乗っかる形での話だろう。咳止めが不足し、処方薬局から、悲鳴が届くとの報道は、それが、流行性感冒の流行期に、大問題となるという主旨のようだが、聞いたことがないように思った。検索してみると、ある大学の薬学部に、流行性感冒と、コロナを含む通常の感冒の、典型症状の表が掲載されていた。やはり、比較的少ない、とある。まあ、所詮その程度のもので、筋書きがはじめに来て、それを喧伝するのが、常套手段だから、こんなものだろう。それにしても、懲りないこと、懲りないこと。
人工知能の脅威に関して、どんな印象をお持ちだろうか。報道が、盛んに伝えるように、人間に取って代わるものとなり、仕事を失う人が出たり、簡単に騙されたり、そんな被害が頻出する、と思う人も居るだろう。一方で、パンチのように、まだまだどころか、全然と思う人も。
騒ぎを大きくすることで、人々の注目を浴びたい、というのは、マスゴミの悪い癖だ。そのくせ、本質を見抜く力は持ち合わせず、なのに、誰に尋ねたらいいのかさえ、知らぬまま、騒動を広げるのに、都合のいい言説を、せっせと集める。こんな情報に接して、慌てふためくのは、彼らの思う壺であり、双方共、懲りない輩となる。当初、文章作成における、格段の進歩を、盛んに持て囃したが、その実、何が肝心なのかを、取り上げる訳でもなく、また、著作権の問題も、的外れな指摘を続けた。結局は、何がどう問題なのか、未だに結論が出せず、放置されている。その後、画像や映像についても、驚くべき才能とまで、言い放つ評論家が、出てきたものの、さて、何処がどうして、素晴らしいのかは、一向に見えてこない。人間の創作でさえ、芸術家が、生前に評価されることは、必ずしもある訳ではなく、このように、高い評価を受けた作品は、すぐに忘れ去られる場合が、多いことも思い出すべきだろう。それとは別の話だが、この国の宰相が、猥褻な発言を続ける映像が、ネット上に流された。ある放送局の印から、そこが盛んに、指摘していたが、それを観た人々は、何を思っただろう。稚拙な捏造で、口元だけが動き、不自然な表情に、固定された映像は、誰が見ても、異常でしかない。愉快犯にとり、騒がれたことは、喜びだったろうが、こんなもので、と思った人の方が、遥かに多いと思う。それに比べれば、人工知能は、遥かに緻密な作品を、驚くべき速さで、提示すると言われる。指摘すれば、簡単に改変となれば、便利と思う人も居るだろう。だが現実は、手のかかる子供のようだ。
原資が無い、との話に、愕然とした人が居るだろう。減税の意見が、強まってきて、更に、変なあだ名に、不快感を露わにした宰相が、決断した筈の話だが、肝心の資金が無いとは、一体全体、どういうことなのか。そこに、新たな借金を、などと言われては、遠慮するしかないか。
先日の演説では、「経済」という言葉を、連呼することで、決意の程を表した、とも言われたが、どうだろう。何しろ、この宰相は、選ばれた時に、経済への期待は、ほぼ皆無であり、それまでの実績から、外交での活躍が、期待されていた。しかし、蓋を開けてみると、外相に起用した人物の、評価が高まるだけで、自分に戻ってくることはなく、そこに、感染症騒動による、物価高と景気の悪化が、被さってきたのだ。そりゃあ、誰だって、いい気持ちがする筈もなく、起死回生の、という思いに至ったとしても、仕方のない所かもしれぬ。だが、的外れとまで揶揄され、支持率は、下がる一方となると、何をどう捻っても、大した効果は期待できない。でも、一度口にしたら、引っ込みがつかないのは、政治の常だろう。このまま、突っ走るしかないようだ。にしても、税収増の恩恵の筈が、原資が無いとは、どういうことなのか。この辺りが、国の収入と支出の、不思議な所なのだろう。今、ここで、その絡繰りを、解き明かしてみれば、いいのかも知れないが、それとて、何の役にも立たず、結局は、役人と政治家が、勝手に決めたことが、行われるだけなのだ。経済に無知な宰相、という評判は、これで、確定しそうな気配だが、さて、そうなったとして、庶民の生活は、どうなるのだろうか。やはり、賃金が、物価上昇に合わせて、上がっていかないことには、何も始まらない。としたら、企業に対して、政治家や役人が、できることは何か。ここに、最大の課題がある。減税などと、叫んでみても、こちらの問題が、解決する訳ではない。だったら、何から始めるのか。
近頃、盛んに取り上げられるが、パンチの年代位なら、何を今更、と思うことがある。当時、白タクと呼ばれた、違法のタクシーで、営業車なら、緑色のプレートを付けるのに、自家用の白色のプレートで、駅前辺りで客引きする姿が、盛んに見られたことがあった。
客を乗せて走るタクシーは、この国では、始まってから、既に百年以上を経過したとあるが、以前は、運輸省の管轄で、認可されていた。今は、国土交通省が、監督官庁となっている。世界的な感染症騒動で、痛手を被ったのは、観光客を当てにする、この業界もそうだが、それ以前から、商売の状況は、悪化の一途を辿っていた。泡が弾ける前には、企業や役所さえも、盛んに利用していたらしいが、そんな話は、忘却の彼方へと飛んでいる。一方、違法営業の話は、それより更に昔のことで、どんな事情があったのか、もっと高齢の人々しか、思い出せないだろう。そこに、今回の騒ぎが起きた。例の如く、海外では、というのが端緒だが、配達員の話と、同じ根っこのようだ。そこに、電子情報担当の大臣と、元宰相の息子の議員が、口を出し始めたから、軽薄な報道が、盛んに取り上げる。ただ、文化の違いなど、背景を確かめずに、口を出す議員と、それに付き合う報道の絵面は、いつも通りの茶番に見える。他人を乗せることに、不慣れな国民性も、観光が重視される風潮の中、民泊と称して、赤の他人を、自宅に泊める位だから、と勝手な解釈をするが、民泊は、役所の想定とは、全く異なる方に向かっていた。そこに、入国規制が敷かれ、忘れ去られたが、今度は、タクシーの代わりとのこと。ヒッチハイクも、怪訝に思うのに、本当に、乗せるつもりかと思う。金儲けの一つ、という考えだろうが、海の向こうでは、高速道路の車線で、複数人乗車の車専用、というものがあり、出勤での渋滞緩和の方策としていた。それさえ無い国で、突然始めようとは、また無謀な話だ。民泊同様、何が起きる?
半世紀程前、国が運営する金融機関が、画期的な預金制度を始めた。半年複利で、ある期間を過ぎれば、いつでも受け取ることができ、最終的に、十年経つとほぼ倍になる、というものだった。今思えば、夢物語だが、現実には、高度成長期にあり、市中に金が回っていた。
泡が弾けて、民間銀行に、公的資金が注入され、金融機関は、ある意味崩壊したが、それでも、金融業は生き延びている。その中で、世界的傾向として、利率の低下が続き、ついには、マイナスの所まで、出てきたようだ。しかし、物価高騰が続き、上昇率を抑える為に、金利を上げ始めると、様子が徐々に変化してきた。腰の重い民間銀行も、遂に、定期預金の利率をあげる、と報道されたが、その実態は、どんなものか。報道では、現行の百倍と伝えたが、それとて、僅か年利0.2%であり、十年預けても大した額にならない。つまり、今が、雀の涙どころか、何の足しにもならぬから、百倍と言えるだけだ。その上、国の銀行が、最近発表したのは、長期金利を、1%を目処に、という話であり、今後上がることが、予想される。となれば、0.2という数字も、妥当どころか、冗談にしか思えなくなる。更に、ここ一年では、長く目標とされた、物価上昇率2%を、遥かに上回る水準で、預けたとしても、目減りの憂き目に遭うばかり、となる。こんな話を、大ごとのように扱う報道は、一体全体、何を伝えたいのか、今回も、さっぱり理解できない。確かに、百倍は百倍だが、ほぼゼロのものに、百を掛けても、何も変わらない。数字の不思議は、こういう所にも、現れてくるが、それに乗せられる人々は、何を考えるのか。そちらについても、謎としか言えぬ。かと言って、株式や債券、果ては、暗号資産に、手を出すべきかは、人それぞれだろう。詐欺の話同様に、こういった報道にも、それなりの注意を払う必要がある。心配するだけでも、喜ぶだけでも、駄目なのだ。