パンチの独り言

(2023年12月25日〜12月31日)
(嵩む借金、煽り詐欺、すべき事、命の天秤、何の違いか、戯れ言、荒れた年)



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2023年12月31日(日)−荒れた年

 今年は、荒れた年だった。折角、馬鹿げた感染騒動が、何の総括も無く、過ぎ去ったかの如く、思われたものの、昨年始まった、狂気の軍事侵攻が、収まらぬ中、別の紛争が、始まってしまったからだ。何方も、狂気と言えるのかも知れぬが、でも、様相は、大きく異なる。
 独り言を始めてから、このサイトの管理を、譲り受けた頃には、十大ニュースを、選んでいたこともあったが、かなり前に、やめてしまった。世間の感覚とは、あまりにかけ離れた状況に、面倒になった、というのが正直な所か。でも、報道が選ぶものは、多くが、自分達で作り上げ、騒動を広げたものばかりで、改めて取り上げる必要は、感じられない。その一方で、騒動自体を、関係者達が作り出し、その利益を貪る姿勢に、呆れることも増えた。感染症は、まさに、その典型であり、総括無しに収束することは、彼らが、今後ものさばり続けるのを、如実に表している。国際紛争も、以前とは大きく異なる様相で、強い違和感を覚えるが、その理由の一つは、国際機関の問題だろう。感染症も、同じことであり、それに加えて、遺産の問題も、同じ括りに入るように思う。全てが、利害の上に成り立っており、その中で、妥協が許されなければ、終息を迎えることは、あり得ないと思う。この混乱は、平和と限らずとも、何かしらの安定が、長く続いたことが、原因の一つだろうが、その一方で、繁栄を続ける国と、そうでない国との間の、埋められない格差も、強く影響している。人道的などと、軽々しく主張するが、その中で、生きることとは異なる、別の形の強い欲望が、表面化していることに、首を傾げざるを得ない。紛争が、長く続くことも、利害関係が強まるからであり、その中で、平和に暮らし続けることの難しさは、大きくなるばかりに思える。ただ、だからと言って、人道を持ち出すことは、必ずしも妥当とは思えない。来年は、世界的に、選挙の年となるらしい。さて、どんなものやら。

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12月30日(土)−戯れ言

 それにしても、大学の役割とは何だ。世の中では、どう思われているのか、一方で、所属する人々は、何と思っているのか。以前から、大学に残る人間は、社会性に乏しく、協調性に欠けており、身勝手な人間ばかり、などと揶揄されてきたが、今は、どうなのだろう。
 まあ、多くの人々が、あんなことを、毎日仕事にするなんて、余程の変わり者、と思っているだろうが、あんなこととは、何を指すのだろう。人のものを教えることなのか、それとも、毎日、何を目的にするのか分からないままに、研究という、不思議なことを、嬉々として行なっていることを、指しているのだろうか。それ自体が、よく分からない。だが、芸術家と同様に、必要のないもの、という見方もあるようだ。そこまで言うと、困る人が多いだろうが、毎日の生活に必要なもの、とは何だろう。その疑問自体、答えられる人は、少ないのではないか。国民から集めた税金を、どの位注ぎ込んでいるのか、すぐには、思いつかないけれど、かなりの額に及ぶことは確かだろう。で、その価値はあるのか。と考えてくると、教育全体に、そういった批判が、向けられそうにも感じる。だが、長い期間、そういう仕組みを構築し、次代を担う子供達を、鍛え上げてきたことは、確かなのだ。ただ、その成果は、と改めて問われると、さて、どれ位の人が、実例を挙げて、証明できるだろうか。あるいは、自分自身のことについても、教育の成果が、どのように反映されたか、語ることのできる人は、どれ位居るのだろう。大学どころか、高校も中学も、小学校されも、無用の長物と見る人も居る。もっと、自分勝手に遊べれば、その方がいいのに、と思ったことの無い人は、殆ど居ないだろう。だとしたら、無くしてしまえ、と言い出すだろうか。いや、ここまで書いてきて、こんなことを思う人は、居ないとは考えている。一方で、ここまで読んできて、どんな感想を、と尋ねてみたい所だ。

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12月29日(金)−何の違いか

 昨日の夕刊に、ある教授が大学の現状を、書いていたが、解せない部分があった。最近の大学の状況は、多くの報道では、研究の停滞が深刻で、その原因の一つとして、資金の枯渇があると言われる。だが、今回の話題は、研究ではなく、教育に関するものだった。ただ、解せないのだ。
 彼が掲げた問題の一つは、前後期制の大学では、半期15回の講義が課せられ、年末も、かなり迫ってから、講義をせねばならない、ということで、忙しいと表現していた。確かに、その問題は、多くの人々から聞こえており、学生でも教員でも、窮屈さを感じているようだ。嘗ての大学では、そんな制限は無く、休講する先生が、やけに好かれたり、時に、初回のみで、後の講義は行わず、それでも、単位を出す先生は、人気があったと言う。但し、彼らの言い分は、学生本人の問題であり、無理矢理教えるより、自ら学ぶことの方が、遥かに大切で、効率的である、とのことだった。しかし、監督官庁によれば、国際基準に則った形での、教育の必要性が、不可欠となっており、そこから、講義回数の制限が、課されたとされる。但し、そこで、課外学習の必要性までも、議論されており、それを課すことが、求められているらしい。もう一つの問題は、卒論なのだそうだ。経済学部では、年末に締め切りが設けられ、それに沿った形で、審査も指導も行われる、と書いてあった。だが、理系学部では、本来、実験を主体として、研究活動を行い、その結果をまとめたものが、卒業論文となる。前提に、実験による成果が、求められる訳で、そこに時間を要するとされる。だから、自分の時には、2月に論文の提出〆切が、設定されており、その後の発表会で、合否を決めるとされた。文系では、文献調査が主体であり、材料は既にそこにある、とされるから、この違いが生じるようだが、今は、どうなっているのか。それにしても、教授の目線からの主張は、学生の立場からは、かけ離れているようだ。

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12月28日(木)−命の天秤

 命より大切なものは無い、と聞いて、多くの人は頷くだろう。だが、それが事実だとしても、それを目的として、為されたことが正しいか否かは、確かとは限らない。命を救う為、と称して、ここ数年の間に行われたことは、本当に、正しかったのか、改めて、考えるべきではないか。
 命の危険を回避する為、という目的で、様々な制限が、世界各地にかけられた。また、感染症の危険から、逃れる目的で開発された、ワクチンの接種も、同様に、世界各地で実施された。何方も、目的は明確で、命を守る為である。だが、制限の数々が、本当に、危険を遠ざける為に、十分な効果を及ぼしたのか、誰が、どのように、証明できるのだろう。人の往来を制限し、まるで、洞穴にでも籠るように、強いられた人々は、物理的にも精神的にも、かなり強い圧力下に置かれた。それ自体が、人間の健康に、どんな影響を及ぼしたのか、誰が知るだろう。一方で、免疫獲得と称して、新たに開発されたワクチンが、大量に生産され、多くの人々に接種された。感染そのものは防げずとも、重症化を抑える効果がある、との説明が、為されたのだが、その真偽の程は、どうだったのか、未だに確証は得られていない。その上、副反応と名付けられた、人によっては、死に至る事態も起きたが、それとて、僅かな確率とされ、無視できるとまで、言われたようだ。死を避ける為に、死を手にした人々は、単に、運が悪かったと片付けられるのか。一方、制限の数々は、老若男女、様々な影響を及ぼした。中でも、就学年齢の子供達には、教育の機会を奪ったり、社会的成長の機会を失わせたり、後世にまで及ぶ、悪影響の数々が、降り注いだとされる。それとて、厳密に検証することは不可能で、個体差が著しく、決定的なことは、何も言えないだろう。だが、その過程を経て、上の学校に進んだ人や、社会に出て働き出した人には、確かに、従来とは違う雰囲気が漂う。これら全て、誰の責任なのか。

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12月27日(水)−すべき事

 多分、これも、泡が弾けた頃から、始まったことだろう。何度も書き、昨日も触れたが、最悪の場合を示し、如何に悲観的な未来が、迫っているかを、強調する姿勢だ。責任問題、という名の下に、無責任な体制を築き、その上に成り立つ、こんな伝達方式が、罷り通っている。
 確かに、高度成長を続けた時代には、明るい未来がそこにあり、それに向けて努力すれば、何かしらの報酬が、手に入った。だが、経済崩壊が起き、明日の状況さえ、見えないとなると、人々の考え方は一変した。でも、だからこそ、楽観的な見方も含め、全体として均衡のとれた情報を、流すべきではないか。心配したけど、何事も起きなかった、という筋書きが、はっきりとしてくると、人々の受け止め方も、大きく変化してきた。自分が、好ましいと思う情報のみを、頭に入れ、その中で、幸福な未来を夢見る、という状態に浸るのだ。危機意識が薄れた、と言われるのも、その反映と思えるが、把握力が、著しく衰えたのも、こんな背景があるのかも。その結果、簡単に騙される話が、巷に溢れるようになり、驚愕的な損失が、社会全体で出るようになった。それこそ、国を支え、社会を支える為に、不可欠と思えるものを、何の抵抗もせずに、失い続けているのだ。確かに、その一方で、泡銭を手に入れ、のうのうと暮らす人々が居るのも、事実だろう。しかし、全体としての損失は、そんな一部の輩が、掻っ攫うものでは、決して無い筈だ。まずは、冷静に、目の前の事柄を理解し、そこから導き出せる答えを、吟味した上で、次の行動に移す、というごく自然な流れを、取り戻す必要がある。その為に、不可欠なのは、論理性であり、批判的な見方だろう。安心とか、安全とか、そんな下らないものを、何の努力もせずに、手に入れようとする魂胆は、以ての外だし、また、その一方で、不安や心配を抱える人間を、突き落とすようなやり方を、厳しく糾弾することも、必要なのだと思う。

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12月26日(火)−煽り詐欺

 またか、と思った人も多いだろう。不正である。だが、政治ではなく、企業活動の方だ。大学で、技術者倫理なる科目が、始まったのは、まさに、そんな不祥事が続き、経済停滞と相俟って、負の連鎖の如く続くことへの、警鐘を鳴らす為だった。だが、一向に無くならない。
 ただ、そんなことを、取り上げる為に、書き始めたのではない。今回も、内部告発が発端、と報じられたからだ。講義でも、その点を強調する場合があり、内部告発の是非を、論じている。最終手段だが、何故、そこに至るのか、報道では、論じられることが無い。一方、今回の不思議は、そこに止まらない。休業、稼動停止、等々の言葉が並び、それも、長期に渡ると伝える。でも、その理由が、とんと見えてこない。何も報じないからだが、理由は、判る筈も無い。不正は、検査の不足であり、事故に際して、自動車本体だけでなく、人間にも及ぶ、とのことだが、それに対して、当該企業が、何をどうする計画か、何も伝えられない。肝心要のことが、抜け落ちるのは、近年の報道の常だが、今回も、である。検査体制の再構築、は当然として、それ以外の監視体制を含め、何をどうしたいのか、全く伝わらない。もし、発表していないのなら、報道は、その点を糾弾すべきで、不完全でも、答えの一片を、吐き出させるべきだ。一方、発表済みなら、それを報じない姿勢は、厳しく批判されるべきだ。更に、事が複雑化するのは、保有者達の態度だろう。履歴の長短に関わらず、自身で、何か不安を感じてきたか否かに関係なく、ただ、不安になったからと、問い合わせるのは、どういう理由か。この傾向は、年々高まっており、それに乗じるように、報道の姿勢は、煽りに偏っている。問題の核心に触れず、ただ、不安を煽る為に、必要となる内容のみを、伝え続ける。経済的影響も、その一つであり、被害の範囲を、広げる為だけに思える。結局、受け手が無視するのが、最適解なのだろうか。

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12月25日(月)−嵩む借金

 取らぬ狸の、などと揶揄すると、真面目な顔で、反発されるのが落ちだが、暮も押し迫るこの時期に、閣議決定されるのが、通例となっている。増税眼鏡と揶揄され、減税をと叫んだ宰相も、お膝元の不正発覚で、心穏やかには、新年を迎えられそうになく、どうしたものか。
 で、予算案はどうなったか。報道によれば、総額は嵩み、高齢化により、その三分の一は社会保障費だそうな。その一方で、税収増から、発行を抑えては、とも取り沙汰される国債は、歳入の3割以上と、相変わらずの借金大国の様相だ。このことも、見方次第でどうとでもなり、経済を回す為には、借金も必要との意見もあり、どう考えるかは、人それぞれとなる。ただ、国の財政を保つ為には、どんな状況が好ましいのか、多くの人々は、ある程度理解しているだろう。その一方で、毟り取られる税の額は、低い方が好ましい、と思うのは自然かも知れない。ただ、経済成長を続けた時代には、まさに、国民全体で、国を支えてきたのであり、その姿を思い起こす必要も、あるように思う。さて、では、一方で、国債の変遷はどうだろう。監督官庁の発表からは、年毎に波はあるものの、増え続けているように見える。ただ、ここ2年は減っているのだ。但し、同じ資料で、借金として見る為に、累増の変遷も示している。こちらは、半世紀以上の変遷を、示しているが、まさに、嵩むばかりとの報道を、強く支えている。だからこそ、一時的とは言え、税収増が見込めるなら、償還に充てたり、予算段階で、発行を抑える施策が、必要と考えたくなる。それに対して、報道では、先進各国で、政策金利の上昇がされ、ゼロ金利政策を、長く続けたこの国でも、金利の上昇が見込めるから、発行済国債の償還に、更なる予算の確保が、不可欠との意見を、盛んに伝えているが、さて、どうしたものか。この図式は、政局同様、報道の得意とする所だが、的を外したことも、数限りなくある。信用できないのだ。

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