パンチの独り言

(2024年2月12日〜2月18日)
(茨の道、小器大用、持ち切り、帳尻合わせ、何がダメ、最高値、尋ね方)



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2月18日(日)−尋ね方

 便利な時代になった、と思う人も多いだろう。手にした端末で、世界と繋がることができ、最新の情報だけでなく、何処かに埋もれてしまった、遥か昔の情報さえ、目にすることができる。確かに、社会媒体を開けば、今この時、皆の関心が何処にあるのか、すぐに分かるのだ。
 その一方で、でも、と思う人が居る。そんな形で手に入れた情報に、心揺さぶられ、不安定になった挙句に、精神を病んだ人や、仮想空間での遣り取りで、攻撃に晒され、体も心も疲れた人など、様々な悩みに沈む人も多い。更に、最近は、偽の情報に振り回され、大事な財産まで、失った人も出てきた。そこに、生成人工知能の登場で、人間業を超える、巧みな嘘が、溢れ始めてきた。心配の種が、尽きることは無い、とさえ思えてくる。だが、そんなことは、実は、大したことではなく、日々の生活においては、全く別の要因の方が、遥かに大きな影響を及ぼす。情報を手に入れる為に、人は、端末に質問を打ち込み、その結果を手に入れる。確かに、即座と言っていい程、ほぼ瞬間的に、回答が提示され、満足感に浸れる。だが、その答えは、本当に正しいのだろうか。そんな疑問は、殆どの人が抱かず、答えを手に入れた、と信じている。しかし、本当に正しいのか。更に言えば、自分が打ち込んだ質問は、本当に、自分が知りたいことだろうか。そんな心配は、以前からあった。そこにも、人工知能が関わり、あやふやな疑問にさえ、答えが出てくるように、手助けをするという。これもまた、画期的な進歩として、紹介されることがあるが、本当だろうか。人間は、知恵を身に付けるにつれ、徐々に、自分が抱いた疑問の、核心に迫る手立てを、手に入れる。但し、そこでは、試行錯誤が必須であり、数々の失敗の末に、質問の仕方を、身に付けるのだ。便利さは、そこに、波風を立てているように見える。そう考えると、成長を妨げるのは、どうなのかと思える。

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2月17日(土)−最高値

 市場は、年初から活況を呈し、泡が弾ける前の最高値に、迫っている。だが、報道も、経済評論も、何処か惚けた解説ばかりで、街頭の声も、実感無しとの意見が、大勢を占めると伝える。どうにも、的外れな指摘に終始し、自らの不明を、恥じる気配さえない。どうしたものか。
 曰く、海の向こうの市場が、上がり続けているのが、主要因とのこと。だが、年初からの推移を、海の向こうとこちらで、比べてみたら、あちらの上げが、三十分の一しかないのに、こちらは、7分の一程だ。この何処に、類似性を認めるのか、冗談も程々に、と思えてくる。一方で、為替の変動についても、魅力の一つと伝えるが、それが、唯一の要因とは、とても思えぬ程にしか、円安は進んでいない。もし、何かしらの要因があるとしたら、ある著名投資家が、こちらに目を向けたことから、始まった上げの勢いが、急に増したことに、あるとしか考えようがない。では、何故、急激な変化が、訪れたのだろうか。本来なら、ある優遇措置の結果、と結論付けたいところだが、如何せん、年初からの投資は、その大部分が、海外に向かった、と伝えたばかりだ。これでは、筋書き通りには、事は運ばず、別の要因を、考えざるを得ない。では、何故か。要因の多くは、海外からの流入と言われる。だとしたら、それらの金は、何処から移ってきたのか。簡単には、これまでの上げで、海の向こうの市場で、稼いできた儲けを、更に膨らませようと、出遅れていた市場に、移し換えたということだ。資産運用の基本として、如何に継続させるかが、肝心と言われるが、件の投資家は、その秘策は、長期投資にあると宣い、長期の成長だけでなく、配当を重視していた。一方で、大多数の投資家は、短期の回転により、儲けを連続させることに、腐心していると言われる。その為には、成長だけでなく、割安感を重視する必要がある、という訳だ。さて、何方が、正しいのか。何方もどっちなのだろう。

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2月16日(金)−何がダメ

 15年前の政権交代で、予算削減を謳う中、「二位じゃダメですか」の問いは、耳目を集めた。品の無さだけでなく、主張の的外れも、業界では話題となったが、その問いに、まともに返答できず、困り果てていた官僚の姿は、惨めとしか言いようがなかった。先頭集団で、と返せばいいのに。
 そんな愚かな見世物は、所詮、田舎芝居にしか映らず、その後も、政権を取り戻した党は、野党共々、この国を、立て直す算段さえ、できぬままに時は過ぎた。そこに、今度は、四位との報道だ。失われた時代の後、今は、市場が活気を取り戻し、我が手柄の如く、振る舞う人が居るが、所詮、戯言に過ぎない。そこに、的外れな批判を続ける、報道の連中は、厳しい礫を投げた気に、なっているのだろう。総生産の額は、確かに、泡が弾けてから、下り坂を続けてきた。ただ、それは、それ以前の、異常とも思える程の、成長の果てであり、分相応具合として、どの辺りが、落ち着き先なのか。そこに、為替の都合もあり、微妙な所で逆転し、今回の転落となった、と言われる。悲観的な筋書きを、唯一の頼りとして、煽り続ける人々にとり、好都合に映ったのだろうが、さて、実態は、どんな具合なのだろう。不安を煽られ、日々の買い物を、控えていると宣う人々は、その半面で、無駄遣いを続けることに、気付く気配さえない。結局は、経済は回り続けており、製造業は、生産を継続している。そこに、今回の株高の報が飛び込めば、どういう意味か、鈍い頭でも、分かりそうに思うのだが。人口減少や、物価高など、悪い要素を挙げれば、きりがないと言われるが、何がどう悪いのか、誰も答えようとしない。そこに、総生産の話となり、新興国にさえ、追い抜かれる始末と、伝え始める。何がどう問題なのか、説明する気は、毛頭無いのだろう。おそらく、彼らの殆どが、問題の本質を理解できぬままに、悪い話と、強調している。成長に酔い痴れて、はしゃいでいた時と、何も変わらずに。

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2月15日(木)−帳尻合わせ

 国の借金が、膨らみ続けている、と言われる。国民からも、経済界からも、心配の声が上がるが、必要無し、との意見も多いようだ。家計と違い、借金が膨らんでも、破産とはならないから、とのことだ。何が、どう違うのか、理解できない人を相手に、報道は、煽り続ける。
 その一方で、ある企業が、5年連続で赤字と報じられた。驚くべきは、これを機に、配当を止めるとのことで、本来、余剰金の処理として、株主に還元との話が、どうしたことか、と思った人も多いだろう。だが、企業経営においては、会計処理で、何とでもなるらしい。その証拠に、創業者であり、経営者でもある人物は、相変わらずの強気の弁を続け、何の心配も無い、と断言している。これもまた、何かしらの絡繰りがありそうで、経営の妙と言われる所以か。だが、零細企業から見れば、摩訶不思議でしかなく、赤字は当然のことながら、不渡りを出せば、そこで命運が尽きるのが、当たり前の世界だ。しかし、一方で、ある程度の規模を超えれば、そういう憂き目には遭わず、自転車操業で、遣り繰りしていけば、何とでもなる、ということらしい。それにしても、会計処理とは、どんなことを、行っているのか。例えば、以前にも触れたが、法人税を上げよ、との主張には、税が課せられるのは、利潤の額に対してであり、それを減らす為に、一例として、給与を上げることにすれば、人件費が嵩むこととなり、法人税率が上がっても、納税額は同じか、下げられる、となる訳だ。更に、国として考えれば、給与が上がれば、社員が納める所得税も、当然上がることとなり、結果として、税収増に繋がると考えた。経営における会計とは、所詮、このようなものであり、家計とは全く異なる理屈となる。だからこそ、赤字で、経営が傾いている、との常識的な見方に対し、経営者は、平気の平左で居られる訳だ。こんな絡繰りに、気付かぬままに、騒ぎ立てるのは、どうしたものか、と思う。

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2月14日(水)−持ち切り

 もう飛び始めている、と言われる。但し、敏感な人なら、症状が出るだろうが、皆が、と言う程ではない。とは言え、そんな季節が、すぐそこまでやってきている。例年なら、3月に入って、暫くした頃に、感じ始めるのだが、さて、今年はどんなものだろう。にしても、騒ぎ過ぎでは。
 地震予知、天気予報、あの役所が関わる話題は、兎に角、脅すことから始まる。所詮、確率でしかなく、確定的なことは、言える筈もないのだが、それでは、皆の被害が広がる、とばかりに、脅し文句が並ぶ。花粉に関する話題も、季節によるし、天候によるから、同じ人間が解説する。始まる前は、昨年との比較で、飛散量は減る、とのことだったが、いざ、その季節が近づくと、論調が一変する。確かに、症状のある人々にとり、この季節は、歓迎できないものだろう。服薬によって、ある程度は抑えられても、気分の落ち込みや、心理的な圧迫は、暫くの間続く。薬と共に、何らかの出費が、かかる人も居るだろう。経済効果なる言葉で、表現したら、迷惑千万とされるだろうが、これもまた、一種の経済効果である。我慢を強いられた時代と違い、今は、それなりの効果を示す薬が、処方されたり、市販されたりする。これ自体が、経済に影響を与え、製薬業界は、それなりの潤いを、獲得しているだろう。一方で、心理的なものは、どうだろうか。こちらに関しては、これという効果は期待できず、鬱憤ばらしに、何かをするという訳でもない。外出を、なるべく控えるとなれば、節約にはなっても、経済効果はやはり期待できない。とはいえ、騒動は、ほぼ2ヶ月程に渡り、続けられる。日々、予報が出され、広告が、盛んに行われる。共通の話題として、互いに、仲間意識を、持ち続けられるのも、考えてみれば、良い方向に働くのかも、だ。何れにしても、暫くの間は、この話題で持ち切りとなる。とはいえ、生き死にに関わるものではないから、安心して聴けるもの、と考えているのだろう。

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2月13日(火)−小器大用

 器の問題、と思うのだが、どうだろう。連合の仕組みが、導入されることで、結束が高まった地域の中の、ある国の女性の前宰相は、在任中、高い評価を誇ったが、今はどうだろうか。軍事侵攻を起こした国の大統領と、対峙する姿をはじめ、毅然とした態度が、好印象だった。
 だが、専門とした学問との関係か、発電方式に関して、大きく舵を切ったことで、燃料問題に、大きな課題を残し、それがまた、高飛車な態度を取り続ける、大統領と彼の国の、暴走を許した、とも言われる。移民問題然り、確かに、指導者として、強力な体制を築いたが、後任の宰相には、茨の道を残したようにも見える。一方、海の向こうの前大統領は、かの宰相から、冷たい仕打ちを受けた、とも言われるが、あの器では、致し方ないだろう。企業の経営者であれば、嘘や偽りがあっても、利潤追求さえ怠らねば、立ち続けることができる。しかし、一国一城の主となれば、俯瞰的な見方を基盤に、多面的な捉え方をし、全方位的な判断を下す必要がある。その点で、能力不足と見做されたからこそ、それまでの戦いでは、敗れ続けてきた。しかし、あの国は、大きな過ちを犯し、女性を嫌う余り、無能者を、据えることにしてしまった。それでも、民主主義が保たれ、議会との対峙が、独裁を妨げる中では、暴言の数々があれども、国が滅ぶことはない。だが、その結果が、彼の居座りを、招いたと言えそうだ。その上、利己的な考えと、偏見に満ちた発言は、維持されたままだから、始末に負えない。再び、良識の有無を、確認せねばならず、無駄な時間が過ぎていく。それにしても、器の問題は、何故、これ程に拗れてしまったのか。資質の有無、という判断基準で、多数決を下してきたが、それさえ、人気でもない、全く別の物差しで、測る人が増えてしまった。大衆迎合政治では、こんなことが、起きるのも当然かもだが、それにしても、である。疫病のように、世界に蔓延しないことを願う。

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2月12日(月)−茨の道

 分かり易さの落とし穴、に落ちる人が増えている。理解することの重要性は、言うまでもないことだが、分かったと思うことと、本当の意味での、理解したと言うことには、大きな差があると言われる。結局、難解さより、平易を選び、その穴から、抜け出せなくなる。さて。
 それでも、時代そのものが、平易を優先させ、そちらに向かっているから、大した障害は生じない、と思われている。だが、科学技術の発展には、それに取り組む人材の育成が、不可欠であるから、この問題は、早晩、大きなものとなるだろう。既に、世界的な賞の話で、この国は、そろそろ勢いを失い、新興国の人々に、追い抜かれると言われるが、これも、その一つかも知れない。ただ、現実には、教育のやり方が、少し変化したとしても、そこに居る人材に、必ずしも、悪影響を及ぼすとは限らない。例えば、大多数の人間が、平易を求めて、安易な道を歩んでも、それに抗い、茨の道を歩む人間は、必ず出てくるものだ。ただ、世の中全体として、そういう類の人間を、排除しようとしたら、これは、もうどうにもならない。今、進んでいることは、さて、何方だろうか。平々凡々な人間にとり、何方にしても、何の違いも生じない。楽ができる、と言ったとしても、それは、苦労するのと比べればであり、その時その時には、楽でも何でもない、と思うに違いないからだ。問題は、努力を惜しまぬ人間を、どう扱うかにある。出る杭は打たれる、と言われるが、ほぼ全員が、楽な道を歩む中で、一人きり、頑張っている人間を、社会全体が、引き摺り下ろそうとしたら、それは、とんでもないことになる。異物の排除が、盛んとなる時代だが、所詮他人事と思う風潮は、実は、重要なのかも知れぬ。学校教育においては、集団としての規律が、優先されることが多く、そこでも、画一的な教育が、持て囃されている。ただ、それは、排除と同等ではないのだ。間違ってはならない。

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