パンチの独り言

(2024年3月25日〜3月31日)
(予想外れ、馴れ合い、外れかも、健康志向、過ちの素、難民か暴徒か、思い通り)



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3月31日(日)−思い通り

 やきもきさせられたが、やっと咲き始めたようだ。四季の移り変わりが、この国の特徴であり、その上に、人々の心の移ろいがある。そんな状況を、楽しいと思う人も居れば、面倒とか、煩わしいとか、思う人も居る。だが、人間がどう考えようが、自然は、移り変わるものだ。
 何でも、思うがままに操れる、という夢を、抱いてきた人も居るだろう。だが、それは、一体全体、どういうことなのか。他人を操ることに、喜びを覚える人とて、自然が相手となれば、そうもいかない。とは言え、多くの事柄が、昔よりはずっと、思い通りに操れる、と思えるようになった。四季の移り変わりで、旬を迎える野菜や水産物に、喜びを覚え、有り難いとの感謝の思いを込めて、頂いたことも、嘗ては、多くあったのだが、今では、市場に出掛けるだけで、季節外れのものも、簡単に手に入る。それが当然となって、人々の傲慢さは、一層強まったのだろうか。それとも、そんな些細なことに、煩わされることなく、単に、季節外れだろうが、旬だろうが、食べたいものを、食べるだけなのだろうか。神も仏も、考える必要はなく、単に、有り難く頂くだけだが、この国の伝統では、そこにも、一種の神の存在が、見え隠れする。その一方で、多くの旬のものが、失われてしまい、季節を感じる要素を、手放したと思うことも多い。先日取り上げた、ある海産物とて、その典型例だろう。数年前に、突如として、激減した漁獲量は、その後も、回復の兆しを見せず、今回は、前代未聞の措置となった。その原因は、多くの人々が、人為的なものと考えており、温暖化もその一つとなる。だが、そんな単純なことで、こんな激変が起きるだろうか。もう一つの要因である、乱獲については、関係者は、なるべく触れないようにするが、人間の楽しみという点では、それも一つと見るべきだろう。何れにしても、自然相手では、なるようにしかならず、できることは、僅かしかないのだ。

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3月30日(土)−難民か暴徒か

 人道的見地から、救うべき人々、と言われるが、皆の印象はどうだろう。そんな働き掛けが、長年続いたものの、近年では、多くの国で、極右と呼ばれる人々が、閉鎖的な政策を、掲げ始めており、難民救済は、岐路に立たされている、と言われる。この国は、以前から、距離を置いたが。
 海に囲まれた国で、他国との行き来も、維新前には、鎖ていたと言われる。そんな経験が、このような措置を、行う理由の一つ、とする意見もあるが、果たしてどうだろうか。確かに、多くの国々は、政情不安だったり、飢饉などの自然災害から、困難な立場に追い込まれ、多くの難民が出ている。人権問題として、これを取り上げれば、当然の如く、救うという手段を、講じるべきなのかも知れないが、今、画面に映し出される、そのような境遇の人々の、行動を眺めていると、手を差し伸べることに、抵抗を覚える人も多いだろう。実効支配する勢力が、長年の仇敵に対し、急襲すると共に、人質を取ったことに対し、攻め込まれた国の軍隊は、全勢力を費やし、反撃に出た。その結果、その地域に住む人々は、逃げ惑うだけでなく、食料などの物資が、行き届かぬ状況に追い込まれ、まさに、難民と化したと伝えられる。それまでも、多くの物資が、外から持ち込まれ、それによって、生き延びた人々は、制限下で、更に厳しい状況に陥った。結果、日々の食べ物も無く、偶に持ち込まれるものに、群がる姿が、映し出される。それはまさに、暴徒と化した人々であり、こちらから見れば、生活に苦しむ状況より、略奪に走る暴挙としか、思えないものだろう。連日、国際機関は、彼らの窮状を伝えるが、それと、あの暴力的な行動は、すぐには結び付かず、違和感を覚えるのは、当たり前ではないか。にも拘らず、難民の一言と、人道的見地との判断から、手を差し伸べるべき、と言われても、さて、どうしたものか。事情は異なるが、大災害に見舞われる度、平穏を取り戻す間、整然と暮らす人からは。

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3月29日(金)−過ちの素

 当初の、製薬会社の発表では、予期せぬ物質が、含まれていて、それが原因となった、というものだった。しかし、その後、同じ微生物由来のものを、添加物として使った食品に、疑いが広がり始め、回収騒ぎが拡大した。でも、会社の説明では、そちらには、その物質は含まれていない、と。
  ここまでの展開から、考えられることは、只一つ、微生物以外に、あの錠剤には、何かしらを加えてあった、ということだ。その上で、そこに、何かしらの間違いが生じ、今回の事件に結び付いた。ここまで考えて、やはり、件の企業の、不手際が露呈している、との思いは、強まるばかりとなる。多くの人々は、当初の対応に関して、訴えから報告が上がっても、動きが鈍かった経営陣に、大きな責任がある、と思っている。だが、実際には、服用を続けた人々は、既に、かなりの量の、予期せぬ物質を、体内に取り入れており、それが原因で起きる、腎疾患が、急に改善されるとは、思えないのだ。となれば、迅速な対応そのものが、事件の解決に繋がるとは、考え難くなる。更に、もし、微生物由来でなく、新たに添加した物質が、原因となったとしたら、それは、ある薬害事件を想起させる。水虫治療薬でも、塗布ではなく、飲み薬のもので、居眠り運転事故が、多発したという話だ。ここでは、製造過程で、誤って睡眠導入剤を、混入させたと結論付けられ、製造管理の問題として、大きく取り上げられた。これと同様に、本来あるべき添加物でなく、別のものを、混入させたとしたら、この錠剤の、この製造番号だけに、限られたものとなる。食品添加物は、単なる騒ぎ過ぎとして、後に、論じられるだろう。ただ、現時点では、企業の態度があやふやで、どこに原因があるのか、はっきりとは見えてこない。にしても、ここも含めて、不手際の連鎖に思え、企業体質の問題として、論じられるべきことだろう。自業自得の部分はさておき、広がった影響について、果たすべき責任は重い。

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3月28日(木)−健康志向

 健康を取り戻そうと、摂取していたものが原因で、病気になる事例が発覚した。当初は、入院のみが報じられたが、暫くすると、死亡者の中に、同様の症状を呈する、摂取者が居たことが報じられ、事の重大性は、高まるばかりとなる。不安に苛まれる人も、数多く居るのだろう。
 健康補助食品とか、栄養補助食品とか、そんな名称で呼ばれる、多くの場合は、錠剤なのだろうが、そんなものが、世の中には、沢山流通している。薬ではなく、食品と呼ばれるのは、薬事法による効果が、保証されたものではなく、単に、食品としての効果が、謳ってあるからだ。それにしても、微量元素から微量成分、果ては、人体を構成するタンパク質まで、その範囲は、とても広い。気持ちの問題、と言われるものから、確かな効果を、謳ったものもあるが、薬品としての認可が、出ていない以上、確かなものとは、言い難いのだろう。それで起きた事件は、ある微生物を含むものに、血中のコレステロール濃度を、下げる効果がある、と言われて、ある製薬企業から、売り出された製品を、服用してきた人々に、腎疾患が発症し、時に、重症化したとされる。この類の話で、思い出されるのは、海の向こうで、30年以上前に起きた、あるアミノ酸の摂取を、補助するもので起きた事件だ。詳細は、論文に任せるとして、製造企業が訴えられ、製造方法による問題と、当初考えられたものの、結局は、過剰摂取による問題と、推測され始めた。合成物や人工物に対して、厳しい目が向けられ始めた時代に、起きた事件だけに、企業は、対応に追われたが、主原因は、未だに不明とある。今回も、何かしらの混入があった、と伝えられるが、その物質の本体は、不明なままだ。一方で、天然物や自然の物には、害が無いと信じる人が、多いようだが、以前話題となった、漢方の痩せ薬も、強い毒性を示していた。実態が明らかになるのは、先のことだろうが、口に入れるものに、気を付けねばと思えてくる。

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3月27日(水)−外れかも

 今、考えてみれば、一部の人を除き、多数の人々が、賛同するだろう話が、例の馬鹿げた感染症騒動が、始まった頃にあった。政府の責任者と世界機関の責任者が、共に、規制の重要性を、強く主張したのに対し、ある保険関係の研究所の人間は、経済への悪影響を、強調していた。
 結果論でしかないが、どちらが正しかったのかは、歴然としている。それでも、自らの責任を果たし、先頃、解散された組織への寄与を、誇り高く語った人物に、称賛の声は、寄せられることは無い。彼らの主目的であった、規制による、感染症の抑え込みは、目論見程には、効果が上がらず、鼬ごっことしか、見えない様相となった。世界機関は、煮え切らぬ方針決定に、評判を落とすばかりで、それまでの、世界で活躍する女性の、一人としての評価は、凋落したように見える。何れにしても、感染症への取り組みが、容易なものでないことは、明らかとなった。それに加え、未だに総括に入らない、世界機関や、公衆衛生の研究者達に、期待を裏切られた気持ちが、燻り続けている。一方で、ある意味、株を上げただろう、経済評論家は、その後も、活躍を続けており、独自の視点で、信頼を得ている、と言われる。だが、彼とて、万能ではない。今朝も、エネルギー問題について、持論を述べていたが、首を傾げたくなるものだった。脱炭素やら、再生可能やら、そんな言葉で、彩られる業界で、企業が果たすべき役割を、論じたものだったが、かなり強引な論理が、目立っていたと思う。経済の世界では、確かに、心理的な要素が、強く反映されることが、多くある。この議論でも、そういった背景から、エネルギー源の検討を、行わないと、自企業の評判を、落とすことになる、との論調が見られた。だが、懸念としては、確かにあるのだろうが、そこまで考えても、万全とは言えない状況であり、揶揄される時には、揚げ足取りが、常となることからも、瑣末なことと思えたのだ。

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3月26日(火)−馴れ合い

 いつから、あんな、ゴミとかダニとか呼ばれる、連中ばかりになったのか。政は、高潔な人々が、お国の為として、行うべきものだった筈が、今や、自らと仲間内の利益のみを、追いかける輩に、成り下がってしまった。先日の、活動費の捻出話は、まさに、その典型と思える。
 その背景には、前にも触れたが、この季節になると、支援者達を集めて、催される集まりの、経費の捻出があった、と睨んでいるが、死者に鞭打つのは、御法度とばかり、皆が口を噤み、その後の責任のみを、追及している。だが、それとて、生温いという声が、聞こえてくるばかりで、攻撃する側も、所詮、同じ穴の狢だろうと、思われるだけに、連日の茶番劇には、呆れて物が言えない。一方で、責任追及の声が、高まるばかりの中、一派閥の長が、会見を開いたと報じられた。その中で、記者の質問が、興味本位で取り上げられるが、年齢の話など、今更言うまでもなく、連日の批判の声に、疲れ果てた当人は、暴言を繰り返したとあるが、遠吠え以外の何物でもない。一方、驚くべきは、次選挙への出馬を、断念すると宣言した途端に、禊でもあるまいに、これで責任を果たしたと、同じ与党の人間が発言した、と伝えられるに至っては、戯言としか映らない。社会通念上では、法を犯した人間には、自己都合での退職、所謂、依願退職はあり得ず、懲戒免職となることが、当然とされる中、一体全体、何を惚けたことを、言っているのか。永田町の論理は、一般社会とは隔絶しており、理解不能とは、よく言われることだが、ここまで腐ってくると、開いた口が塞がらない。自分達で裁くとの、宣言についても、本来であれば、違法行為は、さっさと裁判を始めて、法的措置として、全ての証拠を、曝け出す必要がある。にも拘らず、証人喚問などと、戯言を連ねるのは、愚の骨頂でしかない。記憶にございませんの連呼で、切り抜けた人間が、裁判に訴えられたのを、忘れた訳でもあるまいに。

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3月25日(月)−予想外れ

 桜の開花が始まった、との報道がある。例年、その時期が近づき始めると、様々な機関が、開花予想なるものを、発表する。確かに、それを機会に、祭りを催す所もあり、最終決定は、客の入りに対して、満足感がどう変動するか、についての影響も、大きくなるから、重要だ。
 ただ、予想はあくまでも予想であり、競馬などと同様に、当たることも外れることもある。とは言え、生活がかかる人もあり、また、気候の予測は、先物相場への影響も大きく、無視できないと言われる。では、根拠はどうだろう。勝ち馬予想も、それなりの根拠を持つが、開花予想にも、根拠があると言われる。大元は、休眠打破と呼ばれる、最低気温を経て、そこから、開花の準備をする、という考え方で、その日を、予め決めることは、難しいことから、多くは、便宜的に、2月1日を、出発点として、そこからの日々の最高気温を、足し合わせた結果が、600℃になる日を、予想日とする。これは、子供向けの記事でも、紹介される話だが、一方で、別の考えを、紹介するものもある。そちらは、最高気温ではなく、平均気温だそうだが、さて、どんなものやら。こんなことを書くのも、今回は、当初の予想から、大きくずれる結果となり、未だに、首都の開花は、宣言されていないからだ。そうなってくると、事前には、散々取り沙汰された、法則の数々も、積算が済んできて、結果が見える中、引き合いに出せなくなり、そちらの話題には、触れないように、し始めたからでは、と思えてくる。更に、近年の話題では、温暖化一辺倒の論調に、こういう異変は、その表れの一つとして、言い訳のような説明が、付けられることが多いが、今回のも、その典型となるのでは、と思えている。暖冬の筈が、春の訪れと共に、気温上昇とはならず、寒の戻りなどと、説明が付けられ、それもまた、温暖化による、異常気象の一つとなる、と断定する。科学とは、そんなもの、なのだけれども。

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