パンチの独り言

(2024年4月22日〜4月28日)
(心と時間、連携策、企業倫理、想定通り、利便の裏、大中小、比較する)



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4月28日(日)−比較する

 不安や心配を煽られても、何の反論もせずに、納得するのは何故か。物事を、批判的に捉える姿勢から、首を傾げるのみだが、当人達は、ただただ、不安や心配を膨らませて、悲鳴を上げるだけだ。何とも不思議な図式だが、それでも、時間は過ぎて行く。で、人々は、次の種を探し始める。
 それにしても、深く考えもせずに、非論理的な意見を、押し付けられて、何故黙っているのか。典型は、ここ数年続いた、感染症騒動だが、振り回された挙句に、生活が脅かされそうになると、叫び声を上げていた。でも、何をどうしたら良いのか、考えることさえ出来ず、意見は一つとして、出てくることはなかった。騒動は、もう何処かに、過ぎ去った筈だが、街中では、依然として、口を覆い続け、疑いの眼を、覆わない人間に向けている。風邪も流行性感冒も、ある確率で病原体と接触し、人によっては発症する。それだけのことだが、まるで、これで安全とばかりに、同じことを続けている。一方、他の心配も尽きることなく、物価高騰は、その一つだろうが、今の心配は、円安なのだろう。諸悪の根源のように、経済評論家も、政治家達も、その話で持ちきりだが、さて、何がどう悪いのか。確かに、海の向こうに出掛ければ、恐ろしく高い食べ物に、辟易とするのだが、それは、円安だけが理由ではない。根本的には、人件費の違いが、店の中だけでなく、そこに至るまでの材料にも、反映されており、それによって、格差が生まれている。為替の水準が理由なら、精々、1.5倍程の違いにしか、ならないのに、ちょっと計算すれば、理解できることだ。にも拘らず、報道は、為替こそが、元凶と言い切りたいようで、馬鹿げた論理を展開する。こんなことで、容易く騙される国民は、確かに扱い易いだろう。だが、本質を見抜けず、ただ漫然と、煽動を繰り返すのでは、何も変えられない。人件費の安さが、閉塞感を強めてきたのなら、その解消こそ、重要ではないか。国全体の意識の問題だ。

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4月27日(土)−大中小

 この国の企業のうち、数としては、中小企業が、99.7%を占める。驚いた人も居るだろうが、登録された企業数であり、働く人の数ではない。分類では、千人以上の企業が、大企業と呼ばれ、中企業は、百から999人、小企業は、十から99人だそうだ。中には、万を超える企業もある。
 若者が目指す企業は、何方だろうか。人によるのは確かだが、多くの場合、目や耳にしたことのある所、というのが、大きな理由の一つとなる。また、その中でも、株式市場において、以前なら、第一部と称された、主要企業は、大企業の中でも、更に少数となり、割合として小さなものだ。今は、分類方法が変わり、プライムと名付けられたが、基準となる規模を見ると、まさに、大企業の中でも、選ばれしものたち、といった感があり、国の経済を支える、中心的役割を担う。では、中小企業は、大した役も、演じられないのか。この点に関しては、企業の階層性だけでなく、それぞれの役割分担を、考える必要がある。特に、製造業においては、分業体制が築かれ、完成品を、消費者に届けるまでには、小さな部品から、大きな部品まで、揃えた上での組立作業が、必要となる。中小企業の多くは、部品製造を、主な役割としており、規模の違いはあるものの、下請け的な役割と位置を、占めると言われる。考えるまでもなく、どれもこれも、不可欠な存在であり、蔑ろにすることは出来ない。だが、長く続いた、値上げできぬ空気は、特に、中小の経営を、圧迫し続けてきた。この点も、目指す人々からすれば、魅力よりも、不安が高まる要因であり、中小が冷遇されるのも、止むを得ないと思える。ただ、下請けという立場については、既に、中小の範疇を脱し、大企業の規模に達した所も、多くある。また、力関係において、規模に差がなくなったからと言って、すぐに、主従関係が、解消できるものではない。物価上昇が続く中、この辺りの関係にも、徐々に、変化の兆しが見える。どうなるのか。

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4月26日(金)−利便の裏

 社会媒体の経営は、かなり複雑なようだ。海の向こうの大国で、特に、若い世代に持て囃される媒体は、隣の大国との関わりを、否定することができず、窮地に追い込まれている。情報操作が著しく、国民のみならず、世界を敵に回しかねない行状に、国を挙げて憤っている。
 確かに、社会媒体は便利であり、何度も書くように、手にした端末から、友人などの近しい存在だけでなく、世界に向けて発信できる。日頃、小さな存在を、自認せざるを得ない人には、何か特別な存在になった、とさえ思える状況だ。しかし、そういう利便性を餌に、端末に蓄えられた、全ての情報が、ある国家に収集されるとしたら、空恐ろしい事態だろう。以前なら、絵空事として、一笑に付せられた話が、現実のものとなり、国内はもとより、海外にまで魔の手を伸ばす事態に、外交関係が、危うくなりつつある両国間は、厳しい措置の応酬となっている。以前も、街頭カメラの存在が、事件が発覚した時に、如何に有用なのかが、論じられたが、あらゆるものが、監視社会において、情報収集の武器として、活用されている、とさえ言われ始めた。特に、電子的に制御される機器では、それを動かすためのものに、悪意に満ちた仕掛けを、忍び込ませることは、容易いと言われている。だからこそ、多くの国々が、利便性の優先を、再検討し始め、特に、ある国の製品に対して、警戒すると共に、設置自体を妨げる判断を、下し始めている。その真偽の程は、未だに明らかではないが、国家機密も含め、多くの重要事項について、懸念を抱く人の数は、増え続けているようだ。昔のように、社会制度の違いから、冷戦と呼ばれる睨み合いが、長く続いた頃は、製品の輸出さえ、禁じられていたが、今は、そこまでのことはない。その代わり、相互の依存性が高まり、最先端技術の整備に、欠くことのできない存在に、互いがなっている。疑心暗鬼でも、過ちを犯すよりまし、といった状況か。

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4月25日(木)−想定通り

 暫く前のことだが、傾向と対策について、書いていたことがある。平和な時代が、長く続くことで、一定の状態が保たれると、そこに、ある傾向が現れ始め、対策が講じられる。社会現象全般だけでなく、特に、教育現場で、持て囃される手法の一つ、となってきた。
 何の変化も起きなければ、それはそれで、結構なことかも知れない。だが、変化が起きた際には、この手法では、何の役にも立たず、戸惑うばかりとなる。また、一方で、この仕組みの中で、育ってきた人間には、ある傾向が、目立ち始めてきた。何かしらの情報が、与えられれば、対応出来るのだが、未知の出来事に対して、出来ることが、浮かばないのだ。確かに、決められた範囲では、それなりの成果を、上げられるかも知れないが、こんな人間には、所謂、応用が利かない、と結論がつく。そんな時代が長く続いた結果、多くの若者達が、同じ特徴を示し、その中での競い合いに、躍起となってきた。だが、競争を勝ち抜いた者でも、初めての機会には、能力を発揮することが出来ず、単純な判断さえ、下せない状況に陥る。これでは駄目だ、とばかりに、教育現場では、自由な発想を推奨し、特異な考えを、褒める傾向が高まった。だが、所詮、それらは瑣末なことで、真の競争は、従来通りの傾向と対策で、挑んだ方が、遥かに効率的であり、勝ち抜ける確率も高まる。高等教育を終えて、社会に出てきた人々に、そんな問題を抱えた人間が、増えてきた時点で、多くの組織は、解決策を模索し始めた。と言っても、所詮、そこに以前から居る人間も、大多数が、傾向と対策で、勝ち抜いてきたから、思い付ける筈はない。結果、模索とは名ばかりで、ただ、出鱈目を繰り返し、試行錯誤どころか、失敗ばかりが山積した。今に至って、どうすべきかは、依然として、明らかとはならず、企業などの組織は、多様性に期待するばかりだ。とは言え、外れ籤を引くのは、御免なのではないか。

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4月24日(水)−企業倫理

 詐欺に関して、色々と書いてきたが、巧妙という評判は、誤った認識と思うし、関与する人々のうち、詐欺師のみに、責任があるというのも、おかしいと思う。これは、自己責任という、被害者に宛てて、投げられた言葉とは、かなり違った意味であり、そこまでの関与を指す。
 特に、電話によるものではなく、手にした端末を、介したものに関して、ここでは取り上げる。通信経路で、仲介する組織について、昨日取り上げたが、今現在、大きな問題となるのは、被害者が、直接接触する所だろう。社会媒体で、有名人を騙る詐欺が、横行すると言われ、被害が増大しているが、囀りの如く、本人確認無しで、開設できる場は、受け手の確認が、必須と言えそうだ。一方で、顔本については、基本的に、匿名を許さず、とされているが、最近の傾向は、かなり緩んでいる。更に、これらの媒体で、問題となるのは、彼らの収益源となる、広告の劣悪さだろう。管理企業は、訴えられる度に、自らの責任を、如何にして回避するかを、裁判で明らかにしようと、躍起になっているが、それより先に、広告依頼主の確認を、入念にすべきではないか。社会媒体だけでなく、端末に届く情報の多くが、杜撰な管理で、広告を垂れ流し、被害者を増やしている。被害者に、何の責任も無い、とは言わないが、先日の有名人の話のように、本人確認を怠らなければ、起きなかった事件は、管理企業の責任が、重いと言わざるを得ない。国際的な連携で、全体の仕組みが、回っている以上、取締りの体制も、同様のものが必要となるのは、勿論のことだが、一方で、収益を上げる企業が、責任逃れの言い訳を、連発する事態は、異常としか思えない。確かに、新しい技術の発展により、様々な利便性が、追求されてきた結果なのは、理解できるが、一方で、野放しになったり、末端の責任のみを、主張する論理には、強い憤りを感じる。倫理とは何か、考えるべきなのでは。

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4月23日(火)−連携策

 詐欺が横行している。それも、国内に留まらず、外から魔の手が伸び、多くの人が、騙されていると言われる。見たこともない、電話番号が表示され、掛け直してみると、身に覚えのない、犯罪について、追及される。最終的に、何がしかの金を、奪い取られて、騙されたと気付く。
 そんな詐欺事件は、後を絶たず、今もなお、増加の一途を辿っている。と言っても、全体として見れば、徐々に減少し、成果を上げられぬと、新手が登場し、再び、話題となることが、繰り返される。国際的なものでは、相手国との関係により、引き渡しの有無が決められ、時に、有耶無耶となる場合もある。特に、こちらで、殺人事件などを起こし、自分の国へと、逃亡した犯人に対して、度々、話題となっているから、皆の知る所となる。だが、これとて、重大犯罪では、相手国の法律で、裁かれることとなり、被害者達には、不満が残る場合も、多いとは言え、少なくとも、裁きが下される。だが、それさえも、難しい場合が、最近は増えている。仮想空間での事件で、先日の漫画の話も、その一種だろうが、詐欺事件の多くや、仮想通貨に関わる事件で、何度も紹介される。どこに、拠点があるかも、不明なままでは、どの国の法律で、裁くかを決めることさえ、難しくなる。そんな事例では、多くの国に存在する、怪しげな組織が、中継地として使われ、足跡を消そうと、様々な手段が用いられる。事件が発覚しても、犯人の特定はおろか、どこが発信地なのか、不明なことさえある。某国政府が、率先して行う、仮想通貨の盗難も、その一つだろうが、ここでも、ネット社会に蔓延する、大きな問題が、浮かび上がっている。利潤追求により、犯罪に加担する組織が、増え続けているのだ。犯罪に関する法律は、各国で制定され、それぞれに、異なる事情が反映される。その為に、解決できない場合もあるが、それだけでもなく、今や、国際的な取締の必要性が、高まっているのだ。

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4月22日(月)−心と時間

 ミスマッチという言葉を、聞いたことの無い人は、居ないだろう。辞書によれば、「組み合わせに違和感やズレが生じること」とあり、特に、企業と従業員の関係に、用いられるとある。一方、mismatchについても、「相互に合致しないこと」とあり、人間にも物にも使う。
 互いに、同じ意味で使われており、和製英語ではないが、仕事上の用法として、使われる際に、誤用ではないが、誤った解釈と思えることが、多々あるようだ。特に、新入社員に関して、使われる場合には、主導権は社員側にあり、企業の配慮不足を、指摘する声が主となる。更に、退職にまで発展すると、辞めた側が弱者となり、それも、最近の流行りでは、その代行業者の登場で、事の深刻さが、際立ってくる。だが、この話、少々怪しげな部分が、ありはしないだろうか。入社後の配属が、自分の希望と異なり、何度も訴えたのに、聞き入れられなかった、などという理由を聞くと、はて、彼らの希望は、どんな根拠に基づき、どれ程の価値が、企業側にあるのか、などという点に、疑問が浮かぶ。昔と違い、今は、情報社会であり、事前に多くのことを、知ることができる、とされるが、その一方で、それらの情報の多くが、誤解に基づくもので、時に、悪意に満ちた嘘までが、含まれており、それらを鵜呑みにして、希望を決めることに、価値を見出すのは、難しいと思えるのだ。これは、年度の始まりに、起きる事柄の多くに、共通しており、環境の変化が、そのきっかけとなる。一方で、希望に胸を膨らませ、大志を抱いて入った人間には、もっと丁寧に対応すべき、との声もあるにはあるが、相手次第というものだ。誤った認識を、正そうとして、正確な情報を提供しても、彼らの多くは、自らの考えを否定されたと感じ、反発するらしい。そもそも、これらの混乱の元は、互いに、時間を掛けずに、結論を急ぐことにあり、更に、強い固定観念が、妨げとなる。余裕が無いからだろう。

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