パンチの独り言

(2024年11月4日〜11月10日)
(面倒か、転ばぬ先、騙しの手口、非現実、言い散らす、恨み、無価値)



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11月10日(日)−無価値

 昨日のような例に対し、何か対策はあるのか。はっきり言えば、何も無い。気を付ければいい、誤解されないように、などと言う人も居るが、長く生きてきた経験からは、どれも無駄と思える。叱責するにしても、噛んで含めるように、一つひとつ理解させて、と言う人も。
 確かに、人との接し方によって、誤解の程度は、変わるかも知れぬ。だが、どんな配慮をしても、自分中心の人間には、通じないことが多い。だから、パンチの場合、あっさりと諦める。それにより、自分の立場が、危うくなることも、多々あった。時に、職を失いかけたことも、何度かある。それほどの恨みとは、一体どんなものか、と経験の無い人は、思うだろう。だが、他人から見れば、何と言うこともない、ちょっとした遣り取りが、ある人種には、大きな影響を及ぼす。こちらは、飽く迄、論理に基づき、正論を吐くのみだが、それが、気に障るのだろう。こんな人間に、まともに付き合う必要は、無いと思う。それに、利害を考えれば、確かに、多大の害を被ることも、度々あるのだが、それとて、世間から見れば、結局は、狭量な人間による、横暴としか見えぬ。何とか、切り抜けてきたので、この程度と思えるが、本当に、職を奪われたり、様々な妨害を受けていたら、こんな悠長なことは、言えないだろう。こんな窮地に陥り、精神を病んでしまえば、結局、虐めとして訴え、何かしらの反撃に、出る必要がある。ただ、そこまでに至ったことは、運良く無かった。だから、こんなことを、他人事のように、書いているのだ。だが、こういう害悪は、本来ならば、排除する必要があり、出来ることなら、当事者に、改善を求めるべきと思う。でも、その手立ては、功を奏することは無く、ただ、恨みの大きさを、増すだけとなるだろう。だったら、そんな人間は、居ないものとして、知らぬふりを続けるのが、得策に思える。慮る、という言葉があるが、それの出来ない人間は、相手をする価値が無いから。

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11月9日(土)−恨み

 恨みを、買ったことがあるだろうか。流石に、無い、という人は居ないだろう。だが、その内容は、様々ではないか。例えば、虐めの結果として、受けた側から、恨まれることは、多々あると思う。でも、その一方で、良かれと思っての行為の結果、逆恨みをされた、ということも。
 何事も、論理的に、という信念で動いていると、正論を、打つけることが、殆どとなる。その中で、当然と思う行動が、相手によっては、全く異なる解釈がされる。その結果、恨まれることになるのは、仕方ない部分もある。だが、そんな瑣事を、相手にしても、詮無いこととなる。だから、ほぼ全てを、無視することになるが、それが、恨む相手には、怒りを増すことへと、繋がるようだ。恨んだ相手は、兎に角、何とかして、こちらを貶めようと、躍起になる。こちらは、知ったことではないから、結局は、裏で動いた結果として、逆恨みの果ての、害を被ることとなる。虐めの論理では、正当な反応として、評価される場合もあるが、それは、第三者を巻き込み、虐めが、確かにあったと、結論された場合に限る。ただ、自分の主張のみを、誰彼なく、言い伝えた上で、どんな思惑からか、味方になってくれた人と、裏で画策するのでは、それは、正当とは言い難く、不当行為としかならない。特に、こういう人間に限って、他人が受けた、似たような行為を、全く理解できない人が多く、結局は、自己中心的な考え方しか、できないのだ。今の時代、こういう人種に対して、人の反応は、様々なのだが、多くは、触らぬ神に、という具合に、賛同した振りだけで、そのまま、距離を置くだけだ。ごく最近の例では、業務時間が迫るのに、何の連絡もせず、他の関係者が、やきもきする中、準備をやっと整え、始まるという時間に、謝りながらやってきた、ということだった。こちらは、彼が担当すべき業務に、関わるだけの時間がなく、叱責した所、それが、皆の前での恥となった、という訳だ。誰が悪いのか、よりも、皆の前での叱責が、恥となったことに、激怒したらしい。相手にする価値が、無いとしか言いようがない。

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11月8日(金)−言い散らす

 以前から、酷いものとしか、思っていないが、ここ数ヶ月、その酷さが、増しているのでは、と思うことが多い。社会媒体の中でも、匿名性があり、身勝手な発言が、掲げられることの多い、囀りについては、経営者の交代以来、発言の自由の保証と、内容の精査の希薄さが、目立つ。
 近年、社会媒体の影響力は、増すばかりだが、その一方で、被害を訴える声も、高まり続けている。偽情報は勿論のこと、差別的な発言も、一層目立っており、その中から、虐めや虐待との関連も、強まっているとの、懸念の声が上がる。自由とは、自らの権利を、主張するものである、と思い込んでいる、著名経営者は、持論を展開するばかりでなく、制限の緩和により、真の自由を、人民に与えることに、主眼を置いているようだ。だが、何の批判も無く、ただの言いたい放題となると、当然のことながら、害悪を感じる人の数も、増えるものだ。元々、海の向こうから持ち込まれた、虐めの定義に関する、新たな考え方は、加害者ではなく、受ける側の感覚を、第一とするもので、こういう場面が増えれば、当然の如く、被害が増えることとなる。先日も、虐めなどと呼ばず、犯罪用語を使うべき、との意見を掲げたものがあったが、暴力や脅しなどに、関連するものならば、当然と思うが、現実の虐めで、最も多く、最も深刻と見られるのは、無視や強い視線など、直接的、物理的暴力ではなく、心理的なものが、多いと言われる中、こんな暴論を、自慢げに書き込むなど、どうしたものかと思う。一方で、心理的なものについては、その前に書いたように、受け取り方で決まる、となれば、その扱いは、困難を極めるだろう。実際には、多いと言っても、その割合は、それ程でもなく、結局、こういう問題の解決には、大多数を巻き込むよりも、少数の問題を、どう取り扱うかが、肝心なのだと思う。学校教育での問題も、集団を対象とするだけに、少数を、殊更に強調しては、道を誤ることになるのでは。

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11月7日(木)−非現実

 映画を観てきた。選挙が近付くにつれ、悪夢の再現か、と懸念した向きが、制作したと伝えられる。分断の果てに、南と北が分かれて戦った、あの内戦以来のものが、起きたという設定だ。まさに、海の向こうの選挙が、行われる最中に、観に行ったのは、偶然ではない。
 それにしても、戦闘の光景が、前面に押し出され、銃撃や爆発の音が、大音響で、館内に鳴り響くのは、とても快適とは言えない状況で、どっと疲れた。想定は、空想の世界であり、現実は一つも無い、と言われるが、映し出される光景は、現実を基にしたもので、絵空事とは、とても思えぬ状況だった。最新技術で、どこからが、絵に描いたものか、という区別は、全くつかないが、やはり、製作者としては、戦闘の光景を始め、ほぼ全てが、創作でしかない、と言うに違いない。しかし、時期が時期だけに、憶測が飛んだのも、当然のことだ。海の向こうでは、半年以上前の公開で、おそらく、政党内の候補者選びが、佳境に達していた頃だろうし、こちらでは、つい先月の初めで、まさに、最終選挙が、佳境に入っていた頃だ。とはいえ、これを、良識による作品、と見るかどうかは、人それぞれだろう。但し、全くの絵空事、と思えないのは、劇中で、この大統領が、3期目に入った所、と設定されたことで、これ自体が、憲法違反となる。しかし、返り咲きを目論む候補者は、その破天荒ぶりから、連続でなければ、と言い出しかねない、と思われたらしく、そこにも、現実の反映が、ありそうにさえ思える。ただ、所詮は空想映画に過ぎず、何かしらの警鐘を鳴らす、と評されたとしても、現実との乖離は、否めないだろう。鑑賞後の感想は、まあ、そんなものか、という程度であり、極端にも思える戦闘光景も、現実感を、喪失させてしまった、とさえ思えてくる。平和な時代が続き、平和な地域が維持される中、分断が起きるのは、こんな背景によるものか。だが、議事堂占拠は、つい4年前の現実だ。

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11月6日(水)−騙しの手口

 おそらく、皆に当てはまると思うが、最近更に、塵メール、というより、迷惑メール、あるいは、詐欺メール、と直接的に呼んだ方が、いいような気もするが、そんなものが、矢鱈に送られてくる。多くは、銀行やカード決済に関する話で、所謂、フィッシング、と言われるものだ。
 フィッシングと言えば、所謂魚釣りを意味する、fishingを連想するが、ここでは、phishingと綴られ、造語と言われる。魚釣りの意味と、洗練の意味を、併せ持つ言葉だとされる。まあ、そんなことは、どうでもいいだろう。職場のアドレスも、無料のアドレスも、兎に角、毎日どんどんと、送りつけられるものが、迷惑の箱に、入れられていく。以前なら、数える程だったが、今や、表示自体が、枠を飛び出しかねず、それも、同じ銀行やカード会社から、と偽ったもので、懲りもせず、としか表現しようがない。その上、表示された件名には、見たことのない漢字が、使われており、以前なら、隣の大国からのもの、と断言できた。ただ、これについても、今や、状況は複雑となっており、一概に、あの国の責任、とは言い難い。元々、装置自体の進歩が、著しくなっており、自動翻訳もそうだが、拙い文章でさえ、修正が入るようになった、とさえ言われる。確かに、生成人工知能と呼ばれる仕組みが、登場して以来、この傾向は、一層強まるばかりで、早晩、本国人が、真面目に記した文書と、何ら変わりのないものが、登場するに違いない。だとしたら、自衛の手段は、無くなるのだろうか。そんなことはない。基本的には、対面でしか、問われることのない情報を、こんな怪しい仕組みの中で、尋ねてくるのだから、そこさえ押さえれば、どうということはない筈だ。だが、それとて、どう変貌を遂げるのか、予想もつかないばかりか、近年は、利便性の追求から、電子情報による、取引が主体となりつつあり、区別は、一層難しくなる。触らぬ神に祟りなし、と思えば、そんなことに関わらぬのが、一番だろう。

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11月5日(火)−転ばぬ先

 連休中に、出かけた人も、多かったのではないか。ただ、今回は、出鼻を挫かれた、という人も居ただろう。近年は、台風の季節となると、暴風雨への警戒から、公共交通機関が、運休となることも、あるようになったが、今回は、それとは違った状況のようだ。予定外は、同じだが。
 台風と言えば、当てはまるのだが、勢力を弱めた後で、通常のように、熱帯低気圧ではなく、温帯低気圧となったものが、前線を伴う形で、各地に大雨を降らせた。特に、西の方の被害が、大きくなったようで、新幹線などの交通機関の運休や、高速道路の閉鎖も、起きたとある。出鼻と書いたのは、まさに、連休の初日であり、移動を始めた時に起きたので、遠出を控える羽目に、という人も居たのではないか。計画して、被害を減らす、と言われても、利用予定の人間には、どの道甚大な被害、となる訳だが、今回は、予想を上回る降雨量で、多くの被害に繋がったようだ。公共交通機関は、どうにもならない、という状況に陥り、四苦八苦させられたが、それでも、目的地に着ければ、まだましだろう。そうもいかず、遠出中止となれば、楽しみの旅行も、台無しとなる。とは言え、日帰りなどなら、回復した天気で、楽しんだ人も多い。だが、これもまた、いつもと同じで、車で出掛ければ、行きも帰りも、渋滞に巻き込まれ、という人も少なくない。特に、普段と違う経路で、出掛けるとなれば、不慣れな道で、戸惑った上に、事故に巻き込まれ、という場合もある。渋滞も、単に、交通量が増えたから、だけでなく、事故が原因で、となる。その程度のことは、予想がつくのに、と思うのは、その通りかもだが、実際には、こんなことは、悲観的にではなく、楽観的に考え、自分には当てはまらない、と思うのも当たり前、巻き込まれてから、こんな筈では、となる。だったら、不慣れな道だからこそ、いつにも増して、注意を怠らず、とすればいいのでは、と思う。簡単ではないのだが。

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11月4日(月)−面倒か

 自信を喪失し、自傷を繰り返し、隠れ住むようになる。そんな人々について、報道は、繰り返し伝えるが、その一方で、根拠の無い自信過剰から、別の問題を生じる人が、居るにも関わらず、そちらについては、殆ど伝えられず、放置されている。何方も不幸に違いなく、助けを必要とする。
 だが、前者の物語に対し、後者の物語は、多くの人々にとり、理解不能でしかなく、手の施しようが無い、とまで言われる。何方にしても、割合としては、大したことはなく、社会としては、無視するのが、安易な選択となる。だが、家族にとっては、何方も、重大な問題でしかない。だとしたら、どうしたらいいのか。答えが、簡単に引き出せるとは、とても思えない。こんな話題が、出される度に、識者が登場して、問題の深刻さと共に、解決法が披露されるが、何十年も、この状況が続くことから、これらの方法が、何の解決にも繋がらず、結果的に、放置に結びついていることが、分かっている。そんな理解は、実は、何の役にも立たず、新たな発想が、導き出されることもない。とは言え、当事者とその家族にとり、何かしらの道筋を、見つけ出すことが、喫緊の課題であり、試行錯誤が続けられる。教育についても、こういった問題を抱える人についても、専門家の分析は、的外れの場合が多く、結果的には、無駄でしかないのは、何故なのだろうか。彼らの思い込みは、全く別の方に向いており、問題の核心に、近づく気配は、全く見えてこない。だとしても、放置するしかない状況は、どうしたものだろうか、実は、様々な問題の多くは、小さな割合でしかなく、社会全体で、解決せねばならない、という状況にはない。だったら、知らぬふりでも、問題は大きくならない、としていいのだろうか。そこにこそ、問題の本質がある。少数の異端の人にとり、問題が如何に大きくとも、その他大勢には、何の関係もない。だから、そのまま、放置しておけば、としていいのだろうか。面倒には、違いないが。

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