パンチの独り言

(2024年12月2日〜12月8日)
(夜明け前、大戦前夜、責任転嫁、お上、迷惑メール、違いは何、愚民政治)



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12月8日(日)−愚民政治

 展開は、予想通りだったろうか。民衆の期待は、見事に裏切られ、納得できない人々は、更に過激化しそうだ。だが、昨日書いた、支持率と弾劾反対の、割合の違いにこそ、意味があるのではないか。発令の真意を、確かめることなく、ただ、自分達の権利が、剥奪されたと騒ぐのは、如何なものか。
 だからこそ、大統領を支持するか否か、とは無関係に、過激な反応を示すことを、考えてみたいと思う割合が、あれ程だったと見るべきかと。一方で、報道については、いつも通りに、偏ったものが、露骨に出ている。権力に与せず、民衆の側に立つ、という根本原理が、相も変わらず、一つ覚えの如く、繰り返されるが、あの感染症騒動では、正反対の言動を、繰り返し続けた。だからこそ、大衆は、見切りをつけ、社会媒体へと、走ったのだろう。だが、その一方で、海の向こうの展開は、理解不能な状況へと、突き進んでいる。民主主義は、多数決を基本とし、民衆の願いを、叶えるのが、根本原理だが、その中でも、直接と間接の二つの方式が、採用されている。ある国では、ほぼ全てが直接選挙で、決定されると言われるが、殆どの国は、間接選挙により、代表者が、ほぼ全てを決定する、という仕組みを、採り入れている。今の世では、何故、間接などという、回り諄いやり方をするのか、との批判の声が、多く寄せられるが、この違いを、理解するのに、最適な事例が、出されたことに、気付かないのは、不思議なことだ。連合を離脱するかを、国会で議論するより、直接選挙で、という考えを、時の宰相が、何故決めたかは、今だに謎だが、その結果、離脱と決まったことから、あの国の混乱は、始まったと言われる。そこから、次々に、宰相が交代し、内閣は、何度改造されたか、思い出せぬ程だ。その極みとして、与党と野党が、交代するに及び、確かに、別の安定が、手に入るかも知れぬが、さてどうだろうか。今回の隣国の混乱は、まさに、この状態の最中にあり、解決への道筋は、全く見えていない。が、だからと言って、民衆の叫びに、合わせる必要は、必ずしも無い。愚民政治が、何だったのか、思い出せば。

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12月7日(土)−違いは何

 政情不安、と思った人も、多いのではないか。普段なら、何らかの解決を、見てから、書くことを考えるが、今回は、そうしないでおく。理由は、そこにこそ、今の不安定な状況が、如実に現れており、問題として、考えてみる必要を、感じるからだ。何も、感じない人も、多いだろうが。
 まだ、何の結論も出ておらず、解決への道も、示されていない。だが、隣の国の、今回の騒動には、異常とも思える、反応があったのも事実だ。ある報道番組で、若手と思しき人間が、滔々と語っていた、民衆が、民主主義を守った、という個人的見解には、開いた口が塞がらず、見識の無さに、報道の問題が、如何に深刻か、思い知らされた。隣の大国で、40年近く前に起きた、あの事件を思い起こせば、権力の行使が、民衆にとって、如何に危険なものか、報道に携わる人間なら、当然知っている筈が、この人物は、余りに幼かったせいか、はたまた、単に無知なだけか、動員された兵士に、逆らうことの意味は、民主主義も何も、あったものでないのは、判る筈ではないか。違いは、上司の命令に、服従するだけの人間と、そうでない人間、あるいは、平和ボケした世代と、そうでない世代、というだけであり、重大な発令があり、騒動を抑える為に、動員されたとすれば、逆らうことは、死をも意味する。ただ、その後の展開は、民主化を目指して、立ち上がった民衆という、大国での図式とは、全く異なり、民主化後、絶対的な権力を、保証された、大統領による行使、との違いが、現れたようだ。隣国は、任期後に、不正を理由に、逮捕収監された大統領ばかりで、遂に、任期中にまで、そんなことが、起きるようになり、保身に走れば、有り得る判断と、思える事例だった。解決前に、書こうと思った理由は、そこではなく、支持率が、20%を割っているのに、弾劾決議に、反対する割合が、25%ほどだったことで、その理由は、何だろうか、と思ったことだ。調査では、的中しない確率が、5-10%となる割合を、目指すものだから、この違いは、歴然としたものと見える。だとすれば、違いは何処から出たのか。考えてみては、と思うのだ。

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12月6日(金)−迷惑メール

 詐欺の横行は、深刻になりつつある。ただ、その一方で、不安や心配を、煽るのに躍起となる、マスゴミについては、的外れな指摘ばかりで、自らの信用を、自ら、貶めているとしか見えない。そこに、社会媒体が、根も葉もないことを、書き並べて、一層の混乱を招く。
 どうしたことか、と思いつつ、こんなことばかり、書いているのだが、自らの愚かさに、気付かぬ人々は、まるで他人事のように、他人の批判を続ける。手にした端末は、思いつきを、世界に向けて、発信するのにも、手の込んだ嘘で、大衆を騙そうと、発信するのにも、大いに役に立つ。こんな時代となり、端末を無くしたり、忘れたりすると、途端に、窮地に陥る。何しろ、発信ばかりか、日常生活に、必須の持ち物だからだ。何処かに出掛けて、買い物したり、食事をしたりすれば、その度に、端末を操作して、支払いを済ませる。以前なら、財布から、カードを取り出し、署名したり、暗証番号を入力したり、と、ある意味、面倒なことがあったが、今なら、ただ翳すだけとか、入力装置と、接触させれば、全てが終了する。一方、出掛けずとも、銀行との取引も、端末から、全てが済ませられる。便利と言えば、その通りなのだが、それが無くては、何もできず、買い物どころか、食事もできなくなる。現金を、と思うかもだが、そんなものは、財布の中に、入っておらず、場合によっては、財布さえ、持たぬ人が増えた、と言われる。こんな時代に、それに関する詐欺も、増え続けている。特に、端末でも、他の電子機器でも、電子メールを、使う人の数は、もう限界に達しているが、そこに、膨大な数の、詐欺メールが、送り付けられる。最近は、自動的に、判断されるようになり、未然に防ぐようだが、網の目を潜り抜ければ、被害者は、続出しかねない。最近の傾向は、端末利用の決済や、新規の機能を宣伝する、銀行関係のものが、急増している。世相の反映、でもあるまいに。

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12月5日(木)−お上

 今朝の経済番組で、取り上げていたのは、昨日の経済新聞の記事。衰退が続く、国内経済状況が、好転し始めた、という話についてだ。そこには、「お上」の文字が、踊っており、経済活動においては、政策との決別こそが、重要となる、との主張が展開されていた。そうなのか。
 記事で、取り上げられていたのは、泡が弾けた後で、多くの金融機関に、注ぎ込まれた公的資金と、その悪影響によって、衰退が、これほど長く続いた、という話だった。思い当たるのは、「護送船団方式」と呼ばれるもので、少し調べると、全体の中で、最も劣ったものに合わせ、全体を導く戦略で、それを、国を挙げて行った、という話だった。確かに、成長が止まり、坂を下り始めると、経済状況は、悪化の一途を辿り、その中で、泡銭に群がった、金融機関は、特に大きな損失を、被ったとされる。その中で、政府が下した決断は、明らかな過ちであり、それこそが、長期の衰退を、招いたとの意見は、特に、海の向こうの経済界から、出されてきた。だから、「お上」とは決別せよ、というのは、これもまた、海の向こうの意見で、国の関与を、徹底否定することで、自由経済は、繁栄を謳歌できる、とされる。だが、何度か触れたが、別の国では、全く異なる政策で、国内企業の、海外活動を、支援している。この国でも、高度成長を支えたのは、国をあげての、産業振興政策が、実施されたから、とも言われるから、何方が、優れているかを、軽々に判断できぬ、と思うのだ。当時の成長を、支えた政策に関しては、こんな文書が、出されているから、そちらを参考にして欲しいが、特に、60、70年代に、監督官庁が、どんな施策を行うことで、国内産業を、支えてきたかを、今一度、見直す必要がある、と思う。ここまで、衰退した結果、簡単には、元の成長状態には、戻せないことは、明らかなのだが、この間、何処かの国の、脅迫に従った結果、今があることも、事実だと思うのだ。

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12月4日(水)−責任転嫁

 国家間だけでなく、身の回りも、物騒な時代になった、と感じる人が多い。連日連夜、強盗の話が、続けられるし、それが、組織的なもの、と伝えられる度に、治安の良さを、世界で誇った国が、一体全体、どうなってしまったのか、と思うこと頻り、となっているのでは。
 確かに、凶悪な事件が、増え続けているように思えるし、そうでなくとも、高級車が、尋常でない方法で、盗まれた話も、様々なところで、銅製品が、奪い去られる話も、どれもこれも、異常としか、思えない。確かに、件数は、急増しており、この国にとり、異常事態と思えるのも、無理はない。しかし、この傾向は、国内に限らず、どの先進国でも、現れているようで、その点については、何かのきっかけが、あるように思える。銅製品の場合は、盗品を捌く道筋が、存在していることが、最大の要因であり、世界的な傾向は、そんな背景から、引き起こされているようだ。高級車も、同様の状況で、根本的な解決は、その手の闇市場を、どう取り締まるかに、かかっているように見える。一方、強盗に関しては、全く別の事情がある。とは言え、こちらも、どうやら、世界的傾向になりつつあり、その原因として、考えられるのは、連絡媒体がありそうだ。ただ、媒体の整備で、確かに、そういうことが、世界的に起きつつあるが、一方で、加担する心理については、国毎、地域毎に、かなりの違いが、ありそうに思う。特に、治安の良さを誇った、この国に関しては、住民の心持ちが、強く影響していた、と言われるだけに、他国とは、大きな違いとなりそうだ。となれば、何を考えるべきか。自由と責任、の二つが、大きく影響しそうだが、近年、自由ばかりが、強調される中、責任を感じないままに、勝手気儘に過ごすのが、当然と思う、世代が増えてきた。恵まれぬのは、社会や周囲が悪いから、という考えに、取り憑かれた人々が、打開を目指して、強盗に加担するのも、そんな背景がありそうだ。一方で、国民性を見ると、制限、規制、罰則などを、厳しくすることが、単純な解決へと、繋がることも、何となく解る。

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12月3日(火)−大戦前夜

 政情不安、と書いた途端に、大袈裟な、と言われそうだが、その気配を、感じる人も居るだろう。百年前と言えば、二つの世界大戦に挟まれた時代で、一つ目に疲れ、荒れ果てていた世界は、二つ目に向かって、突き進んでいった。状況は、全く異なるが、不安という意味では。
 先の大戦が終わり、80年が経つけれど、その間、紛争地域や内戦など、世界の一部では、戦争と名のつく戦いが、繰り広げられていた。その一方で、世界機関の役割は、国対国の揉め事を、未然に防ぐことだったが、この所の情勢は、とても、役目を果たしている、とは言えぬものだ。冷戦が終結した後、多くの国々は、資本主義や自由主義といった、以前の西の仕組みを、取り入れることで、ある程度の贅沢を、手に入れることができた。しかし、その過程で、広がり始めた貧富の格差は、広がるばかりとなり、貧しい者の台頭より、富める者の独占を、強めることとなった。特に、解体した国々で、その問題が、拡大することで、遂に、他国への軍事侵攻という、暴挙が行われた。だが、その布石は、今考えれば、幾つもあったようだ。西と東の併合により、誕生した、工業先進国は、東出身の女性宰相が、率いるまでとなり、理想に近づいたように、見えていたが、そこに、問題の発端があったようだ。一方、長年に渡る紛争が、続く地域には、海の向こうの次期大統領が、前任の時に、英断したと伝えられる、一方への加担こそが、きっかけとなり、危機感を募らせた側が、暴挙に出ることで、一線を越えてしまった。それぞれは、一地域での問題に過ぎず、世界機関が、調整を図れば、解決に至る筈、との期待は、消滅しかかっている。となれば、先の大戦の如く、不満を抱く国々が、連携することで、より大規模な戦争へと、発展しかねない状況、とも言えそうだ。本来、有事に備え、回避することを、目的とした筈の機関は、今や、張りぼての如く、役立たずの体でしかない。次に、何が起きるのか。

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12月2日(月)−夜明け前

 決まったことは、仕方がない。諦めて、4年間を過ごそう、と思った人がいる一方、この際、移住をしよう、と決めた人も居るだろう。だが、対抗馬に投票した、7千万を超える人々が、全て、他国に移住するのは、あり得ない話だ。だったら、何が起きるのか、眺めるしかないか。
 8年ぶりに、そんな思いに駆られた人も、多いに違いない。だが、前の時との違いも、数多くありそうだ。巷では、前回との違いとして、側近に、支援者ばかりを、採用する企てを、伝えているが、その理由として、本人が、前回の、思いがけぬ勝利から、慌てて、見栄えの良い陣営を、採用したのと違い、今回は、用意周到に、実質を求め、自分の指示に、従う人間を、用意したと言う。真偽の程は、さておき、何方にしても、前回同様、迷走が続く、と予想する向きが、殆どとも伝える。ただ、一方で、前回の、大混乱の予想は、思いがけず、無難な域に、留まったことから、今回も、と予想する向きもある。確かに、民主主義の国では、独裁が実現しない限り、様々な制動が利く、とも言われるから、その表れとの分析も、なされていた。しかし、今回は、議会も、赤一色であり、均衡を保つ、力の行使は、望めないとの声もある。さて、どうなることか。海の向こうのことを、過度に、心配する必要は、おそらく無いだろう。ただ、当選が決まった途端に、極論を、披瀝し続ける態度に、強い懸念があるのも、事実には違いない。大好きな言葉を、繰り返し、叫び続ける姿勢は、前回と同じで、就任後は、毎晩の不規則発言が、続けられることも、予想されているから、側近も含め、周囲は、振り回されぬよう、心の準備を、整えなければならない。そうでなければ、イエスマンよろしく、全ての指示に従い、例え、崩壊の憂き目が、明白となったとしても、泥舟が沈むのに、任せるしかない、となる。何れにしても、国民達は、自分の生活にしか、興味は無い。どんな展開となるか、見守るだけのことだ。

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