パンチの独り言

(2025年1月20日〜1月26日)
(娯楽業界、元も子も、見せ物、主客転倒、障害発生、無知ぶり、誰の責任か)



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1月26日(日)−誰の責任か

 ネット上の情報に関して、信用ならぬ、との風評があるが、果たして、どうだろうか。一方で、ここ数日の話のように、閲覧する際に、情報の安全性について、問題ありとする、話も次々と出ている。だから、全体の管理が、重要だとの見解は、妥当とも見えるが、如何に。
 毎日、独り言を書く中で、信用ならぬ、と断じられるのは、心外というものだ。だが、その一方で、多くの社会媒体で、捏造としか見えない、内容のものばかりが、並んでいると、どうしたものか、と思うことも、当然の如くある。確かに、そんな塵ばかりを、撒き散らす輩が、居ること自体にも、問題があるのだが、半面、そんな塵を信じ込んで、拡散に手を貸す人間が、居ることも事実だろう。だからこそ、情報操作が、犯罪と化す訳で、結果的に、被害を受ける人間が、出てくる訳だ。そんな嘘や出鱈目を、信じる奴が悪い、とばかりに、開き直る犯罪者は、厳しく罰すればいいが、では、正義感と思しき、怪しげな動機から、拡散に手を貸した人間は、どう扱えばいいのか。一説には、悪意に満ちた発信源より、正義感面した拡散者の方が、遥かに責任重大で、彼らの存在こそが、今の社会の歪みを、強めていると言われる。そこまで言うと、実は、受け手の問題にも、及ぶのではないか、と思えるのだが、そちらに目が向くことは、殆ど無い。とはいえ、「いいね」を掲げるような、積極的な行為が、絡む場合には、どうだろうか。こちらについても、賛否があるだろうが、今の状況が、必ずしも、いいようには見えないのは、何処かに、難点があるからだろう。だとしたら、何をどう改善すれば、と問われたら、何と答えるだろう。どの例においても、犯罪者と断じるべきだろうが、その一方で、判断力、という観点からすれば、受け手、つまりは関わった人間全てが、何かしらの責任を、負っているとみるべきではないか。検閲が必要かは、別の問題だろうが、安全性についても、また別の問題が生じる。所詮、こんな仕組みは、その程度のものと見ておくべきだろう。

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1月25日(土)−無知ぶり

 昨日の障害は、ごく単純なことが原因だった。確かに、普段使っているパソコンとスマホで、反応が異なっており、何かしらの原因が、その違いにある、と思ったのだが、パッと見た所では、その違いに思い当たらず、つい、管理者向けに、質問してしまった。無知なばかりに。
 何の反応も得られないまま、困ったものと考えたが、ふと、表示されたUrl、つまり、宛先を見てみると、と言っても、最近のものでは、全ては表示されず、そこを押さなければ、眺められないのだが、そこに表示されたのが、https:とあり、おや、と思った。実は、この独り言を含むウェブサイトを、設置してあるサーバーは、数年前から、従来のhttp:だけでなく、https:も使えるものとなり、現状は、並列することができる。これらの違いは、安全性の確保の有無で、詳しくはわからないが、情報転送において、暗号化されるか否か、という点にあるらしい。安全性の担保は、情報発信に携わるものに、課せられた役割のようで、多くのサイトが、設置されたサーバーの管理者から、https:への移行を、促されてきた。その意味では、包含された情報の価値にも、よるものであり、同じサーバー上に、設置されたウェブサイトが、安全性不十分でも、他のサイトが、被害を受けるのでなければ、旧来のものでも、構わないのかもしれない。だが、閲覧者の立場から見れば、危険なサイトが、放置されていると、そこから個人情報が、漏れるかもしれない、となるだけに、閲覧用のソフトである、ブラウザが、危険性を孕むhttp:への接続を、放置する訳にもいかない、となる。昨日の朝に、ブラウザの更新があり、そこで、新たなものから、自動転送が始まった、という点が違いだった、のだろうか。以前なら、「安全ではない」との表示で、済ませていたことを、より安全性を高め、危険を覚悟して、強行する利用者以外は、間違いを犯さぬように、ということだ。確かに、それはそうかもしれぬが、でも、この流れには、無知を増やすばかりなり、との懸念がありそうだ。

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1月24日(金)−障害発生

 何かしらの障害が、生じる度に、戸惑ってしまう。便利な仕組みなのだろうが、時々、何が起きたのか、全く理解できないことが多い。今、あなたが眺めている、この独り言も、ある無料サーバーに設置した、個人的なウェブサイトに、書き込んだものだが、今朝は、接続できない。
 こういう障害は、これまでに、何度も起きていた。しかし、今回のものは、少し違うように思える。手にした端末からは、接続できるのだ。一般的に、サーバー自体に、何かしらの障害が起きれば、何処からも、接続できなくなる。これまでの障害では、こんなものばかりだった。一方で、今、これを書いている、ファイル転送の仕組みに、問題が起きた場合には、独り言を読みに行けるのに、書き込むことができなくなる。さて、今回の障害は、何だろうか。丁度、直前に、ソフトの更新を、行ったから、その為かもしれない。と考えて、別のソフトで試したが、こちらも、白い画面が表示されるだけで、そこから先には、接続できない。接続そのものが、何かしらの問題を抱えた場合、接続不能の表示が出され、サーバーの問題、ということがわかるが、今回のものは、白い画面になり、表紙の区分けまでは、できていることが、わかるだけに、何のことやら、という疑問ばかりが、湧いてくる。こうなったら、管理者に報告し、そちらの対応を待つしか、無いということだ。ただ、書き込み自体は、可能なままだから、今、これを書き込んでいる。点検自体は、スマホから行えば、何とかなるだろう。さて、利用者に、できることは無い。ただ、見守るしかなく、ただ、待つしかない。その上で、何かしらの対応があり、解決していたら、あなたが接続した時には、ご覧になることが、できるようになっているかも。祈るばかりだ。

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1月23日(木)−主客転倒

 媒体からの情報に、一喜一憂する。もう、日常となったろうか。にしても、こんなことに、時間を費やすのは、単なる浪費では、と思う。ただ、喜ぶか憂うかの違いは、内容ではなく、その表現法にあるのでは、とも思う。寄り添うのは、愚の骨頂だが、攻撃的な表現に。
 確かに、相手を貶めようと、矢鱈に、激烈な表現を用い、論争になると、単なる喧嘩の如く、侮蔑的な表現を繰り返す。そんな輩は、相手にしても、無意味でしかない。一方で、相手を傷つけないように、という配慮でもあるまいが、矢鱈に、馬鹿丁寧な言い回しが、巷に満ち溢れていないか。若者達が、警戒心を露わにしながら、間違った敬語や謙譲語を、多用するのは、よく知られた所だが、大衆媒体の中にも、そんなものが溢れ始めた。数年前に亡くなった、女優が主演した、ある公共放送の番組では、20年程前に、そんな目的の話題を、取り上げていた。幾つか印象に残るが、例えば、「してあげる」という表現は、今時では、目上も目下も、区別無く用いる人が、殆どだろうが、本来は、上げるものだから、目上に対する、と断定していた。それとは、違う表現だが、目下に用いるものとして、「させる」がある。やらせるとか、行わせるとか、そんな使い方で、特に、子供相手に、遊ばせるなどの使い方が、ごく当たり前だったのだが、最近、とんと聞かなくなった。遊んで貰うは、流石に使い難いが、やらせるについては、やって貰うが主流のようだ。学ばせるなども、学んで貰うとなる。これ、不思議に思う。半強制的に、子供への教育の一環として、何かをさせる訳で、貰っている訳では、決してない。まして、同じ意味の、謙譲表現である、して頂くとなれば、おかしさが、一層増すに違いない。させて貰うは、主体が変わるから、問題ないと思うが、何時から、こんなことが、起き始めたのか。例の番組を、制作していた放送局が、盛んに使うのは、如何なものか、と思うこと頻りだ。

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1月22日(水)−見せ物

 愈々始まり、混乱の渦が、起き始めたと言われる。餓鬼大将のよう、とも評されるが、少なくとも、企業経営に携わり、一国一城の主として、君臨してきた人物だ。前回のような、不手際ばかりでは、恥を晒すとばかりに、用意周到に、自らの権限を、振り回し始めた。
 確かに、前回と違うのは、就任早々に、大統領令への署名を、中継させたことだろう。見せ物として、演出効果があった、とも言われるが、その内容は、どうだったのか。国際機関や国際協定からの離脱は、前の任期と、同じ状態に戻しただけで、何の衝撃も無い。4年の任期の間に、どんな変化が起こるのか、眺めてみよう。移民問題に関しても、同様であり、強権発動と見做せるが、かと言って、何が起きるのかは、不透明なままだ。特に、物価上昇に対して、雇用状況が、どう変化するかが、重要な案件となっており、その一部として、移民の関わりが、論じられるだけに、そちらへの興味が、強まるのだろう。自身を含め、先住民以外は、すべて移民だったことなど、どうでもいいことだ。その他の多くの署名でも、一つひとつ、問題点を強調し、持論を展開する。支持者にとっては、まさに、劇場の開演だろうが、それ以外には、これもまた、どうでもいいことだ。が、ある業界だけは、発する批判とは裏腹に、歓迎の姿勢が、見え隠れする。不安や恐怖を煽り、大衆の目を、釘付けにしよう、と躍起になってきた、大衆媒体は、彼の発言に、一々文句をつけている、ように見える。がしかし、その本音は、煽りの材料提供に、感謝しているのでは、と思えてくる。今朝の経済紙では、「要らない」との文言が、掲げられていたが、そんな例外は除き、多くの報道媒体は、騒動を、微に入り細を穿ち、大袈裟に伝えるのみならず、今後の展開を、悲観的予想のみ、伝え続けている。不安や心配に、苛まれている庶民は、また、社会媒体で、悲鳴を上げるのだろうが、その一方で、支持者達は、明るい未来を、断定し続ける。分断だろうが、混乱だろうが、勝手にすればいい、こちらは、自分の生活を、守り続けるだけだから。

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1月21日(火)−元も子も

 今回の騒動も、所詮、喉元過ぎれば、となるだろう、と思う人は多いだろうが、それにしても、分断の時代なのか、過剰とも思える反応も、生じているようだ。典型は、件の放送局に対し、広告の依頼主が、差し止めを始め、その範囲が、急速に広がっている、ということだ。
 民間放送は、視聴料を設定せず、広告収入によって、運営されてきた。公共放送とは異なり、多様な収入源があり、それによって、ある意味、多様性の確保や、不偏の姿勢の確保が、行えると言われてきた。だが、実情は、親会社の都合や、広告主への配慮など、理想とは異なる、とも言われている。ここにきて、騒ぎが大きくなると、広告差し止めが、起き始めたが、空いた時間を、どう埋めるのか、疑問に思う人も居る。実際に、画面を眺めてみると、ある種の広告が、次々と流され、それだけ多くの、差し止めが起きた、と理解できる。公共広告を行う、機構からの広告では、収入は得られず、流す媒体自身が、その分を賄うこととなる。つまり、今回の事件では、莫大な収入を、失ったと思えるのだ。では、どの程度か、一説には、15秒程で百万円と言われるが、例えば、大相撲の懸賞金は、一本単価6万円強であり、広告料として、高いか安いかには、諸説あるようだ。何れにしても、広告を頼りとする企業が、事件に対する、説明責任を果たさず、これだけ多額の収入を、失ったとしたら、それは、誰のどんな責任によるのか、暫くは、こんな話題が取り上げられそうだ。大衆媒体が、以前から批判を受けてきたように、不偏不党でなく、偏った、恣意的な情報伝達を、繰り返したことから、今回の騒動のように、倫理に悖る行為を、繰り返してきた、となれば、あの業界全体に、悪影響が広がりそうだ。さて、喉元なのか、噂が75日なのか、どうなることやら。

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1月20日(月)−娯楽業界

 若い男性歌手が、画面に登場する。そんな日常が、失われるとの懸念は、どうやら、現実のものとは、ならずに済んだ。だが、あの会社の責任者が、彼らに及ぼした、犯罪的な悪影響は、消えることは無い、と言われた。でも、果たして、どうだろうか。今、その残留者が、厳しい批判を受けるが。
 所詮、あの業界は、その程度のもの、と思った人も居るだろう。確かに、華々しい世界では、何事にも、派手であるべきで、男女の関係にも、当てはまると言われる。だが、今回の騒動も、最初に書いた騒動も、犯罪でしかなく、首謀者が、世を去ってから、糾弾するのは、非常識極まるし、今回の事件も、人気者として、多くの画面に、登場してきた人物が、犯したことについて、今更のように、批判の声が高まる。業界として、これらの事象に対して、どう対応するかが、問われている、と言われるが、これまで通りであれば、忘却の彼方へと、押しやられるだけだろう。個人として、どんな境遇へと、追いやられるかは、まだ、不確かなままで、批判の声が、収まり始めると、何も起きなかったように、戻ってくると思われる。一方で、企業としての責任については、簡単には、収まらないかも知れない。特に、免許制度で支えられた、特権的な利益を、保証する為には、何かしらの措置を、取らない限り、難しいとも言われる。でも、これとて、これまでの事件を、顧みる限り、所詮、一時の騒動に過ぎず、喉元過ぎれば、となるに違いない。その程度の存在、と言ってしまえば、その通りだろうが、こんな企業、機関が、情報社会の中で、都合良く操作し続け、その中で、茶番ばかりを流し続ければ、離れる人の数は、増すばかりだろう。だが、情報に飢えた人々は、別の源を探し、結局、件の社会媒体に、吸い寄せられる。ここでも、目糞鼻糞の、話にしかならず、迷い人達は、戸惑うばかりとなる。どうしたものか、と思っても、あの業界に巣食う輩は、甘い汁を吸い続けるだけだろう。取捨選択とは、拾うことでもあるが、捨てることでもある。

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