パンチの独り言

(2025年1月27日〜2月2日)
(他愛ない、闇取引、先行投資、過大評価、身の丈、糞爺、歪曲)



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2月2日(日)−歪曲

 ワクチン騒動と言えば、ついこの間のあれを、思い出す人が多いだろう。あれも、効果や副反応の問題で、盛んに取り上げられていた。が、先月読んだ本では、以前から話題となり、世界的にも、この国が厳しく批判されている、女性特有の病気に、対するものが、取り上げられていた。
 異物を体内に入れる、という意味では、確かに、目的とする効果だけでなく、別の影響が現れる、ということもあるだろう。だが、それらのことは、治験の段階で、様々に検討され、効果の方が、悪影響を上回る、との結果を得ていた筈だ。歴史的にも、多くの感染症に対して、絶大な効果を上げ、時に、撲滅に至ったことさえある。にも拘らず、今回の大流行の際も、本に取り上げられたものも、何故、これ程に、厳しい批判を浴び、後者に関しては、大々的な接種政策が、頓挫してしまったのか、不思議に思う人も居るだろう。何方も、世界的には、依然として、効果が高いとされ、後者に関しては、この国のみが、接種を中断しており、再開の目処が立たない、と言われる。最近の例では、あるワクチンは、自閉症との関連が指摘され、中断を余儀なくされたが、結局、捏造との結論が出て、再開されている。但し、ここでもまた、国内では、拒否する親が居り、問題視されている。本で問題としたのは、一部研究者と報道の責任で、統計的な根拠無しに、被害を断定したことが、全てとなっていた。その中で、気になったのは、数値に関する、報道の取り上げ方であり、よく似た話が、年金問題でも、あったことだ。本の175頁には、「1割が未回復」との見出しが、主要報道を賑わした、とあり、接種した338万人のうち、副反応から回復したのが、1700人余りなのに対し、未回復が180人余りで、担当職員が、9割が回復と語ったのに対し、報道は、残り部分を強調した訳だ。年金でも、担当省の発表では、2010年度に、納付率が約6割とあり、それを、報道は、約4割が未納付だから、制度自体が破綻している、と報じたとされる。だが、この数字は、国民年金だけに加入した人のうち、免除者等を除外した、残りに関するもので、公的年金制度全体からすれば、5%にも満たない。それをこう報じられたので、最近は、別の形の発表を行っている。報道の歪さを見る思いだ。

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2月1日(土)−糞爺

 高齢化社会に関して、好意的な意見を書いた。しかし、その中で、海の向こうの餓鬼大将は、まさに、老害そのものとしか言えぬ、妄言を吐き続ける。競争相手を、打ちのめすことが、唯一の目的であり、それさえ達成できれば、満足との表情で、馬鹿げた妄論を、吐いたのだ。
 坊主憎けりゃ、としか思えぬ程、執拗な攻撃に、狂気さえ感じた、人も多いのではないか。前任者より、年少とは言え、就任時の年齢では、記録更新となった、老いさらばえた姿に、恥の上塗りとしか思えぬ、持論展開には、まさに、老害と断じるべき、と思う人も居るだろう。今回の遣り取りは、飛行機事故の原因として、前政権の政策の、失敗の結果、と断じた所で、証拠があるのか、と記者に尋ねられた際の、返答の中に、表れていた。記事にあるように、"because I have common sense"と語ったとあるが、その後に続いたのは、"a lot of people don't"と宣った。"common sense"とは、翻訳では、常識と示されたが、"common"とは、共通のという意味で、この論理の、馬鹿馬鹿しさを、如実に表している。人共通のものを、多くの人が持たぬとは、どういう論理なのか。元々、証拠も無く、勝手な意見を、社会媒体に書き連ね、管理企業が、責任逃れに、登録抹消の決断を、下したのは、こういう経緯にある。だが、この会見では、憶測を飛ばす、糞爺に対し、その責任も権利も、有さぬ人間であることを、糾弾するのではなく、彼独自の論理展開に、付き合った。今の社会が、如何に歪んだものかは、こういう所に、現れており、こんな遣り取りを、英雄気取りで、行う姿を眺め、その態度を、称賛する声が、社会媒体で上がるのは、他人を貶める為に、断定口調で、侮蔑表現を連発する人間に、議論の倫理として、相手の意見を、断ずることがあっても、人格をも否定することを、よしとしない人々が、太刀打ちできないことに、問題の根源がある、と思えてくる。会見より、社会媒体を選んだ前回と比べ、更に劣悪化した状況を、示しているようだ。

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1月31日(金)−身の丈

 高齢化社会が、何か悪いことのように、報道は伝える。だが、生き物が年齢を重ね、年老いていくことは、必ずしも、悪いことではないのでは、と思う。自身が、齢を重ねると共に、その思いが強まるのではなく、老害とか、冷や水とか、悪い話ばかりでなく、年の功を考えるからだ。
 以前から、目上の人の話を、聴くことに、抵抗は無かった。何度も、同じ話を聞かされるのは、確かに、面倒なことだが、それでも、その中に、新たな発見があれば、それでよしとする。そんな気持ちがあれば、大抵のことは、何とかなるものだ。はじめから、聴く気を持たず、ただ、知らぬふりをする人を見ると、勿体無いと思う。聞きたいことだけ、残せばいいのに、はじめから、耳を塞いで、他ごとを考え、ある意味、無視に近い態度をとる。何故、そんなことが、できるのかと思う。自分が、ある範疇での、高齢者の仲間入りをしたから、そんなことを考えるようになった、とは思わない。以前から、こういうことは、年の高低に関わらず、区別することなく、対してきた。さて、そんなことを、考えながら、久しぶりに、ある店を訪ねた。そこは、鉄道の便も良く、大規模施設の中にあるので、天候に関係なく、訪ねることができる。だからか、沿線の高齢者が、食事に訪れている。以前も、夫婦連れ、お一人様が、目立っていたが、外国人が溢れる店とは違い、今でも、同様の光景が広がる。老後の貧しさから、厳しい生活を強いられる、と報道は伝えるが、そこでは、そんな雰囲気は、全く見られない。平日の昼食を、愉しむ人々で、溢れているのだ。こういう社会こそが、誰にとっても、安全で安心できる、ものではないか。そんなことを、考えながら、こちらも、食事を楽しんでいた。何気ない日常とは、身の丈に合ったもので、十分なものだ。

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1月30日(木)−過大評価

 発表当初の、驚愕の声は、何処に行ったのか。また、賞賛の意見に対しても、冷めてしまった、とさえ思える。生成人工知能については、それまでの、指示に従うだけのものを、超えたのではないか、との見解もあったが、その後、落ち着きを取り戻し、平静に戻ったと思える。
 などと書くと、また、反論が寄せられるだろう。だが、彼らの見解は、正しいのだろうか。直後の過剰反応も、過大評価も、今回の相場の動きと同じで、極々心理的なもので、特に、過激な反応が、より大きな反応を、引き起こすという意味では、群集心理そのものに思える。有識者とか、専門家と呼ばれる人々でさえ、こんなことを繰り返し、落ち着くと、何事もなかったかの如く、冷静な分析を、披露する。今回の問題は、生産の自動化とも似て、人の労働を、奪うことが、最優先の懸念として、取り上げられた。だが、その中身を、落ち着いて眺めてみると、当初の反応が、過剰であったことが、見えてくるのだ。生成人工知能に、ある質問を与えると、それに対して、それまでに蓄積された、情報を元に、適切と思しき回答が、提出される。だが、その内容は、巷に溢れる、種々雑多な情報に、似たものに過ぎず、優等生とさえ、言えない水準のものだった。ただ、推進する側から、示された、使い方の数々は、それらの雑多なものでも、数射ちゃ当たるが如く、当たらずとも遠からずの集まりで、それらの中から、適切な答えを、導き出せば良い、となる。確かに、そんな使い方もあろうが、はじめの手順でさえ、必要なのか、と思うのだ。誰もが、何かを考える時、初めから、沈思黙考を始めるのではなく、まずは、思いつきを並べる。その段階で、確かに、ふとした思いつきとしても、それにまつわる情報が、頭の中を巡ることに、気付く筈だ。その過程こそが、実は重要なのでは、と思う人も多いだろう。経験した人の方が、この状況を、理解し易い。だが、多くの人々は、上からの指令に従い、ただ漫然と、作業を繰り返すことに、慣れているだけに、人工知能の性能を、羨ましく思うのだろう。この違いに気付かず、ただ、恐れるだけでは、何も起こせない。プログラミングなど、ある意味、単純な作業においては、能力を発揮するだろうが、創造的な仕事については、疑問ばかりなのだ。

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1月29日(水)−先行投資

 衝撃が走った、と伝えられたが、一夜開けてみると、様相は、一変していた。昨日は、経済紙の報道を、引用しようと思っていたが、無駄だと思う。昨日の夕刊では、波紋、株安、懸念などの文字が、一面を飾っていたが、今朝は、反発したと伝えられ、安心感が広がったらしい。
 でも、と思うのは、こういう乱高下により、利益を稼ぐ人々が居り、解説は、所詮後付けであり、不安を広げるには、一助あっても、解消には、何の役にも立たない、ということだ。打っ壊す、と宣言した宰相の下、解体やら再編やらで、暗躍したとされる、経済関係の大臣は、学者出身だが、他の経済人同様、後付けの解説ばかりで、窮すると、市場原理を連発する、似非学者だった。今回の相場の混乱は、まさに、市場原理の一つだろうが、その大元が、投資家心理であり、それに基づいて構築された、売買を自動化した、仕組みの問題だった。動き出せば、引き摺られて、加速を繰り返す。ほんの小さなきっかけで、大きな変化が、起きる背景には、以前からある、心理の問題に、素早い反応で、利鞘を稼ぐ、仕組みの問題が、加わったことがある。今回のものも、まさに、そんな話であり、大袈裟な解説が、直後に出されたものの、その対象を、過大評価しただけ、との解釈が、加わった途端に、急反発が起きた。狼狽売りをした、Bearな人々は、かなりの損失を、被ったのだろう。だが、その背景にあるものに、誰も目を向けないのは、何故か。それは、生成人工知能と呼ばれる、新たに登場した仕組みで、その万能性が、取り沙汰されることで、次の人気商品となり、それに関わる業界が、活況を来すとの思惑が、投資へと繋がった、と言われる話だ。だが、肝心の仕組みそのものに対して、初期の大きな期待は、裏切られつつあるのでは、と思える部分がある。だとしたら、これらの思惑は、空振りに終わるのでは。と言っても、相場の世界は、先行投資が常であり、期待外れなら、梯子を外せばいいだけのこと、なのだが。

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1月28日(火)−闇取引

 海の向こうの餓鬼大将が、好きな言葉は、tariff、関税だそうだが、それと同じ位に、好きなのでは、と思えるのは、deal、交渉だろう。大袈裟な表現で、相手に圧力を掛け、自分に有利な結果を、導き出すこと、と説明されるが、同時に、取引という意味もある。
 就任すれば、その日のうちに、解決する、と豪語していたが、その日が近づくにつれ、日延べが始まり、遂には、相手次第と宣った。彼独特の論理が、その場で展開されるが、相手にする価値は、見つけられそうにない。一方、もう一つの紛争地域では、前政権の幹部でさえ、彼の関与が、大きな影響を及ぼした、と漏らしたようだが、その割には、あの性格のように、白黒はっきりした、解決とはならず、すっきりとしないまま、山のような文句の数々を、発し始めた。中でも、今更のように、驚かされるのは、そこの住民を、他国に移動させよ、とそれぞれの国に、注文をつけたことで、独特の論理が、時と場合により、正反対のものとなるのが、見えてくる。これこそが、外交における、交渉術との解釈は、勝手に行えばいい。当事者にとり、そんな戯言ばかりでは、振り回されるのが、火を見るより明らかであり、結果への責任は、皆無との推測が、飛び交うのも無理もないことだ。問題は、交渉そのものではなく、移民の強制送還で、相手国から、着陸を拒否された、との通知の後、大好きな「関税」を持ち出し、圧力を掛けたことで、報復合戦の様相を、呈し始めたと思ったら、突然、合意に達したとの報があり、何をどう合意したのかが、全く見えなかったことにある。これは、交渉そのものより、別の取引が、あったのでは、との憶測を招く。ただ、報道は、そんなことは一切伝えず、強制送還のことだけ、伝えるのみだ。机の下なのか、単なる発言だけなのか、何れにしても、こんなことばかりでは、証拠も残さず、勝手し放題、となるに違いなく、また暴露本の山積みとなる。相手にしないのが、一番なのかも、だ。

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1月27日(月)−他愛ない

 安全性の確保は、確かに、重要なことには違いない。だが、それが過ぎると、安全という微温湯に、浸かる状況となり、人によっては、危険察知の能力を、失うのではないか、という懸念もある。真偽の程は、不確かなままだが、今の状況は、大いなる実験の最中、と言えるのかも。
 大袈裟に言えば、種の存続にとり、重要な要素を、自ら投げ捨てる、ことになるのかも知れぬ。だが、安全神話も、安全・安心の世界も、人によれば、強く求めるもので、それがまさか、自らの能力を、失うことになるとは、夢にも思わないだろう。その中で、社会媒体の浸透は、世界の奥底まで、到達しかかっている。まるで、依存症の如く、手にした端末から、目を離せず、次々に、頁を繰りながら、新たな情報を、掻き集めている。でも、それらの多くは、嘘や出鱈目ばかりで、何の役にも立たないばかりか、害悪となるものだ。にも拘らず、本人は、いたって真面目に、情報収集の大切さを、主張する。如何に、心乱されても、如何に、眠れなくなろうとも、四六時中、端末を手放すことなく、赤い目を擦りながら、必死の形相となる。だが、そこに表示された情報を、仮令、知ることがなくとも、何の変わりもない、ことに気付く気配は見えない。試してみることさえ、憚られる訳で、こんな調子では、勉学にしても、業務にしても、滞るのは当然だ。では、この依存症を、脱する手立ては、あるのだろうか。無い訳ではない。何かしらの強制力の下、一時的でも、手放せばいいのだ。しかし、日々の生活にも、必要となる端末と、縁を切るのは、ほぼ不可能だろう。まあ、そんなことに、悩むことなく、単純に、楽しめるものだけと、付き合えばいい、のかも知れぬ。そんな状況が、社会媒体にも、生まれ始めている。仲間内での、情報交換に、励む仕組みだ。誰かが、立ち上げた、そんな集まりに参加して、時に、発言を繰り返す。他愛のない情報交換、であれば、害は生じない、と言われる。そんな所に、大切な情報があるかは、問われていない。

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