パンチの独り言

(2025年2月3日〜2月9日)
(通じない、どうして?、話し合い、老いの妄想、眼前の利益、妄想か、我楽多)



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2月9日(日)−我楽多

 餓鬼共の我楽多箱、とでも呼んだら、途端に炎上するかも、と思う。実は、思う壺なのだが、こんな誘いには、自分は賢い、と思っている、小賢しい連中は、乗ってきそうにない。嘗て、囀りと呼ばれ、大富豪が買収し、Xと改名した社会媒体は、何とも情けない程、下劣な存在だ。
 騒動が起こる度、屍体に群がる禿鷹よろしく、貪り食うように、無いことばかりを、並べ立てて、的となった人物達を、貶め続け、思いが成就すれば、また、別の生贄を求め、ネット上を、彷徨い歩く。事実が、どうなのか、という肝心な問題には、何の関心も抱かず、ただただ、やっつければ、それだけで、満足するのだ。あの大富豪同様、社会を良くする、と高らかに謳う割には、何の成果もなく、社会がどうなろうとも、意に介さない。だからこそ、餓鬼共、と呼ぶ訳だが、したり顔で、嘘や出鱈目ばかりを、書き立てていることに、酔い痴れているだけだ。この国でも、御多分に洩れず、選挙の度に、暗躍する。首都の首長の時も、虐め問題で、失職後の知事選挙でも、怪しげな情報に、群がる輩達が、大盛り上がりで、騒いでいた。それこそが、現状に不満を抱く人々で、政治を変えようとする、意気の表れ、と評する識者達は、何と見識の無い連中か、と思う。海の向こうの大統領も、同じ穴の狢だが、この我楽多箱を、自らの主張を、押し通す為の道具として、活用し続け、支持者と呼ばれる餓鬼共は、彼の一挙手一投足に、やんやの喝采を飛ばし、褒めちぎっている。ここでも、こちらの宰相が、訪ねた時の遣り取りで、何方の言動に対しても、独自の見解を、さも分かり切ったが如くに、書き並べる様子は、不見識の典型を、見る思いだ。こんな輩が、巣食う我楽多箱は、百害あって一利なし、の典型なのだが、どうしたものか。参加者達が、自浄作用を、発揮しない限り、このまま、例の2chと同じ運命を、辿るに違いない。所詮、人間とは、その程度のもの、とは思いたくないが。

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2月8日(土)−妄想か

 茶番に終わるのでは、と書いたら、どれのこと、と返されそうだが、隣の大国の企業が、生成人工知能のソフトを開発し、それが、従来の、海の向こうのものと比べ、遥かに安価で、同様の性能を誇る、と衝撃と共に伝えられた、あの話についてである。何が茶番なのか。
 大きく分けて、二つあるように思う。一つは、利用者が、人工知能に対して、課題を入力すると、それに対して、回答を与えるのが、実際には、人間そのものであり、人工知能には、何の関わりもない、という、何処かの芝居で、箱の中に隠れた人間が、機械のように、反応するという話と、同じようなものだ。喜劇として、客席から眺める分には、楽しいかも知れぬが、先日の大騒動は、何だったのかとなる。そう思った理由は、あの国の政治に関する質問に、まるで、政府の要人が、応じるような返答が、届いたというからだ。人工知能も、格納した知識に、偏りがあれば、そうなるのだが、こんな具合なら、人間が、と思ったのだ。もう一つは、更に穿った見方だが、確かに、人工知能が回答するが、それは、従来開発された、海の向こうのものであり、こちらが開発したソフトは、単に、質問を伝達し、返ってきた回答を、自分が答えたように、送り返しただけ、という茶番である。以前も、触れたことがあるが、あの国の企業は、最先端の技術を誇る、と伝えられる度に、この国や海の向こうで、開発されたものの、模倣に過ぎないものが、映し出されることに、大いなる疑問が浮かぶからだ。これも、成長過程では、追いつけ追い越せが、掛け声となるから、真似をするのは、止むを得ない部分が、あるものの、あの国は、それを、恥じることなく、自慢げに、そして誇らしく、見せる所に、恥知らずと揶揄される、所以がある。何方も、馬鹿げた思い付きだが、当たらずとも遠からずかも、などと思ってしまう。どうだろうか。

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2月7日(金)−眼前の利益

 はっきり言って、相手にする価値は無い。だが、世間は、皆挙って、真剣に相手をしている、ように見える。でも、実際には、そんなことも、ないのかもしれない。その上、現役経営者が、絶大な権力を得て、何やら、不穏な動きを、繰り返すと伝わる。こちらも、問題視される。
 しかし、これらの数々は、所詮、取るに足らぬこと、とばかりに、後々、断じられるだろう。それ以前に、経営者目線から、断行している、と言われることの数々は、実際には、成果を上げることなく、国民から、唾棄され始めるだろう。その意味では、投資家という人種は、なんと辛抱強い人々か。あの企業が、夢を立ち上げた頃、彼の語る話に、多くの投資家達が、賛同を示し、資金を提供し始めた。しかし、何年もの間、その夢は、幻のままで、実現することはなかった。にも拘わらず、株価の乱高下は別として、多くの資金は、そのままに置かれた。嘘八百とまで、揶揄されたことを、考えてみたら、資金を引き上げるのも、あり得る話だが、あの我慢強さは、別の所での、冷たい仕打ちに比べ、異常に思えたものだ。だが、国民は、そんな気は毛頭無く、語られた話が、その場やすぐにでも、実現せねば、すぐに見捨てる。迎合主義と呼ばれる、政治方式において、最大の問題は、ここにある。長い目で見て、判断を下そう、と何度言われても、朝三暮四しか、思いつかない生き物達は、目の前の利益しか、目に入らないのだ。だとすれば、経営者目線で、国の運営を考えた末に、様々な変化を、加えたとしても、すぐには上がらぬ効果に、業を煮やして、見捨てるだけのことだ。嘗ての、こちらの政権交代でも、出費を減らそうと、様々な茶番劇が、演じられたが、まずは、減らすこと自体が、難しかったばかりか、仮令、実現できたとしても、悪影響ばかりが残り、掛け声ほどのものが、起きなかった。規模や手法が、違ったとしても、同じ結末を迎えるのでは、と思えるのだが。

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2月6日(木)−老いの妄想

「駄目だ、こりゃ」、との声が聞こえてくる。交渉術と称して、自らの意見を、押し通すことが、今回の復帰において、最も警戒されたが、そんな予感を覆す程、凄まじい意見が、飛び出した。当然ながら、世界中から、猛反対の声が届き、孤立を深めている。と言って、歯牙にも掛けぬだろうが。
 こんな人間が、お山の大将よろしく、君臨する国に、将来は無い、と思うのも無理はなく、一時的に、国を去ったとさえ、伝えられる。一方で、囀りなどの社会媒体の中では、称賛の声に溢れ、評価は高まるばかり、とさえ言われる。だが、当事者の多くは、まさに、昨日書いたように、議論の意味を、理解しようとせず、ただ好き放題に、行動したいだけだ。尊敬される人間は、通常、見本となるべき存在で、常識的な言動を発する。だが、彼の常識は、他人に理解できず、唯我独尊とばかり、好き勝手に振る舞い、自らの主張を、押し通し続ける。それこそが、人気の源と、言われるのは、何故なのか、理解に苦しむのは、こちらが、非常識なのか、とさえ思えてくる。だが、何事も、論理的に考えれば、彼の発言のほぼ全てが、非論理的であり、非常識であることが、明白なのだ。しかし、この状況が、任期中に、どこまで悪化するのか、と思う人が、多いのではないか。確かに、この調子で、4年が過ぎたら、人々の疑心暗鬼ぶりは、強まるばかりとなり、その一方で、好き勝手が横行すれば、共同作業は勿論のこと、社会道徳さえ、失われてしまう。ただ、前回同様、無駄の数々は、いつの間にか、葬り去られ、ある範囲内に、留まることが、予想されもする。と考えれば、まずは、ここ2年の辛抱が、肝心となるだろう。辛抱と言っても、ただ受け入れるだけでなく、取捨選択を繰り返し、こちらの生活を守ることも、重要となる。ひと月にもならぬ期間に、暴れまくっていても、所詮、あの程度の人間が、できることなど、然程でも無いからだ。

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2月5日(水)−話し合い

 議論なんて、できる筈が無い、という意見が、囀りに書かれていた。互いに、意見を出し合っても、歩み寄ることなど、できる筈も無く、ただ言い放って終わり、という訳だ。話し合いや、議論の重要性が、取り沙汰される中、自分にはできない、と書いているだけだろうか。
 そうではない、と思う。この人物にとり、今までに、多くの人々と、意見を交わしてきたが、互いに歩み寄ることはなく、ただ単に、自分達の主張を、繰り返すのみだった、というのだろう。確かに、囀りをはじめとする、社会媒体では、そんな遣り取りが、頻繁に起こる。その結果、一方が、もう一方を、排除することさえ、起きているのだ。この国の政治家でさえ、それを、当たり前のこととして、主張し続ける。そういう仕組みがある以上、実行するのは、本人の勝手だ、と。同様に、海の向こうの餓鬼大将も、その代表の如く、一方的な要求を、相手に突き付ける。正当性を、主張するのだが、所詮、勝手な考えに基づくものであり、相手にとっては、受け入れ難いものばかりだ。しかし、そんな遣り取りの末、自らの主張が、通ったなら、それを交渉と宣う。こんな人物が、人々に選ばれる時代だからこそ、一部の人間が、議論ができる筈も無く、時間の無駄だ、と断じるのだろう。しかし、本当にそうだろうか。もし、個人が、それぞれに、勝手な主張を繰り返し、それに基づいて、行動を決めていたら、社会は、大混乱に陥る。分かり易いのは、自動車の運転だろう。交通法規も、道徳や倫理も、全て忘れて、自分のしたいように、走らせていたら、事故がすぐに起き、多くの人々の命が、奪われるだろう。だからこそ、免許制度なるものがあり、それに同意し、それなりの能力を備えた、と確かめられた人にだけ、自動車の運転が、許されるのだ。逆走も、信号無視も、今は、認知症の典型として、紹介されるが、議論は無駄、という考えの人が、それを押し通したら、そんなことが、日常茶飯事となり、皆が、自らの命を、自らで守らねばならなくなる。結果、多くの便利なものを、諦める必要が出てくる。その程度の想像を、働かせてもいいのでは、と思うのだが。

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2月4日(火)−どうして?

 問題があるとすれば、もう一つ、大きなものがある。免疫を発動させる為には、異物が体内に入ることが、条件となるが、ワクチンでは、感染しなくなった病原体か、その一部を、体内に入れる。それによって、発病しないことは、確認されているが、中に、そうでないものが混じる。
 という事故が、起きたこともある。この場合は、まさに、人為的なもので、関係者は、厳しく処罰された。だが、そうでない場合を、想定する人々が居る。免疫を発動させる為に、その対象となる抗原が、必要なのは当然だが、それだけでは、十分な効果が得られぬ場合、別の薬剤を加え、反応を促進させる。それ自体が、副反応を起こす、という指摘が屡々されるのだ。この指摘が、正しければ、現行のワクチンは、その殆どが使えなくなる。科学的には、検証がなされているが、例外という括りで、反対者達は攻める。この問題は、簡単には、片付きそうにない。ただ、科学的には、問題ないと結論されている。一方、感染症騒動において、登場した新しいワクチンは、全く異なる仕組みで、効果を表す。そこに、作製不能と言われたのに、実現した理由がある、と言われる。そこでは、抗原となるタンパク質やその一部を、非接種者の体内で、作り出させる。これにより、免疫発動が、始まるだけでなく、不活化病原体やその一部の作製が、不要となることで、時間短縮ができた、と言われる。それが、著名科学賞の授与に、結びついたのだ。だが、患者にとっては、更なる負荷が、掛かっており、副反応の要素も、増えることとなった。安全性は、科学的に保証されている、と言われるが、反対者には、疑義満載としか、映らないようだ。一方、科学的にも、今回のものは、不可思議な解釈が、施されることで、疑問が残っている。本来、感染防止が、免疫獲得の目的だったが、今回は、感染そのものは、防げないものの、重症化が防げる、との解釈変更があった。実は、感染症の基準変更が、原因かもだが、それも含め、科学の曖昧さを、露呈したことで、信頼性を失うことに、繋がりかねないのだ。

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2月3日(月)−通じない

 ワクチンの問題は、根深いと言われる。一部を除けば、生後まもなくから、成長期にかけて、接種を強要される、と言われるからだ。子供の成長に、不安を抱く人々にとり、異物を、大切な子供の体内に、入れることは、不安を増大させる。だから、断固、拒否する訳だ。
 免疫を獲得させるのは、元々、その感染症に、罹らない為のもので、本人への利益が、はっきりとしている。小児麻痺は、その最たるものであり、経口ワクチンは、生後まもなく、与えることで、一生の障害を、免れることができる。だが、爆発的な感染を、起こす疾病に関しては、別の観点から、接種が推奨され、時に、半強制的なものとなる。時に、死に至る場合があり、その利益も大きいが、爆発的な感染で、罹患者が増えれば、犠牲者の数も増す。それを防ごうとするもので、麻疹は、その典型とも言われる。だが、うちの子は大丈夫、という思いが、親の頭に過ぎるのは、やむを得ないこと、かも知れぬ。但し、その根拠は、非科学的であり、更には、そんな思いの拠り所となるのが、副反応となると、そこでの、科学的な知見が、重要な要素となる。ところが、本にもあったように、思春期の子供達は、精神的に不安定で、何かしらの異常を、示すことが多々ある。その原因として、異物の接種を、挙げたくなるのは、これもまた、やむを得ないこと、かも知れぬが、その根拠が、脆弱であることが、科学的に示される。一方で、一部の「良識ある」と言われる、医者達の中には、悲惨な症状を示す子らに、同情の念を生じるだけでなく、その原因を断定することで、寄り添う気持ちを、示そうとする人間が居る。その為に、科学が用いられれば、論争となっても、意味のある話だが、そうでないと、ただのこじつけでしかなく、無意味なものと断じられる。そんな状況が、社会に生まれると、今の時代、社会媒体を中心に、活動が広げられ、収拾がつかなくなる。どうしたものだろうか。

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