出来る筈、と考える人の多くは、同時に、成功体験を、強く欲すると言われる。今の世の中も、こんな傾向が強く、どんなことでも構わぬから、成功を、手に入れさせようとする。だが、整えられた舞台での、成功などというものに、どれ程の意味が、あるのだろうか。
ということで、厳しく対応すれば、嫌われるに決まっている。上に書いた風潮は、まさに、この点から、来ているようだ。嫌われたくないから、優しく対応し、成功を手に入れさせて、誉め上げる。人間関係を、良好にする為の、最低条件のように、思う人も居るらしい。だが、その程度のものでは、自立は、覚束無い。結果的に、周囲から認められず、体調や精神を病むことになる。で、そんなことから、舞台を去った人々も、徐々に、回復し始めて、社会復帰を、果たすことがある。その際に、本人達が、重要と話すことに、何かのきっかけで、他人に手を貸した時に、感謝されたのが、心に響いた、という話がある。承認欲求などと、言われるものだが、だから、褒めることが大事、となっては、また、同じことの繰り返し、となりかねない。実は、この過程で、重要だと思われるのは、周囲の対応だが、それが、褒めるとか認めるとか、そういうことではなく、逆に、除け者にしない、という点ではないか。病んでいく過程で、当初から、影響を及ぼすのが、疎外感、という感覚であり、別の言い方をすれば、仲間外れ、などというものだ。友達が欲しい、と望む人が、世の中には、沢山居ると言われるが、彼らにとって、最重要なのは、仲間外れであり、疎外感なのだ。それを恐れる余り、友達を欲しがり、友人関係の構築に、努力する。でも、その為の行動は、却って、逆効果となり、嫌われる場合もある。適当な距離感が、大切と言われる一方で、離れてはいけない、とばかりに、近づこうとすれば、当然、相手は、遠ざかる。その結果、疎外感が芽生え、思い悩むことになり、結果として、退場を余儀なくされる。でも、この話の底には、相手から嫌われる、ということより、自分が、疎外感を持つということがあり、その原因の殆どが、自分にある、と気づくべきだろう。他人が、どうこうと言うより、自分が、となれば、何か出来そうな気がする。
宥和、という言葉を、知っているだろうか。国家間の話だが、敵対する間柄で、相手の要求を、ある程度受け入れる、という手段により、問題解決を、図る手法とのことだ。抑止、という考えとは、反対の概念となる、とある。核抑止など、今再び、話題になりつつある話と。
平和が、長く続く中、圧倒的な勢力が、保てなくなり、互いに妥協することが、多くなったことから、こんな手法が、注目されてきた。だが、今の状況は、どうだろうか。他国の領地を、いつの間にか、手に入れたことで、紛争へと発展する、と思われたことが、どういう思惑からか、敵対する国々が、敢えて、紛争へと発展しないようにと、だんまりを決めた。だが、その結果か、更なる拡大を狙い、前とは異なる手段、つまり軍事侵攻により、領地拡大を図り、果ては、首都を陥落させれば、国全体をも、占領できるとの判断からか、一気呵成に、攻め込んだのだが、戦略の過ちと、相手国の思わぬ反撃で、この企ては、大失敗に終わった。だが、その後も、依然として、一部地域を占領し続け、更に拡大しようと、他国の支援まで得て、侵攻し続ける。この中で、反撃用の武器を、供給することこそが、撤退を促す手立てとばかりに、支援が続けられてきたが、政権交代により、方針展開とばかりに、当事国を、置き去りにしつつ、新たな停戦策が、講じられているとされる。一見すると、宥和政策としか、思えないものだが、当人達は、まずは停戦とばかりに、攻め込んだ国に対して、便宜を図るかの如く、見えているだけに、簡単には、受け入れ難いものがある。そうでなくとも、移民対策などの、国内政治で、過激な方針が、台頭するのを見るにつけ、宥和そのものが、放棄されつつある中、新政権は、何をどうしたいのか、迷走が続くようだ。一方で、時代的には、多様性とか、少数派とか、配慮すべき問題に、過剰な反応が続いた結果、反対の方向へと、各国が歩み出している、ように見える。その点、こちらは、何処か余所事のように、国際情勢を眺め、我が道を行くように、見えているが、さて、どうなることか。
俺ならできる、と言っても、海の向こうから、毎日のように、押し寄せるアレではない。私はできる、と訴える若者が、物凄く増えている、と感じるのだ。確かに、若気の至り、と言われるが如く、古今東西、若者達の考えは、そんなものに違いない。自信過剰なのか、認識不足なのか。
ただ、一方で、経験値という言葉が、盛んに使われ始め、経験することだけでなく、成果を上げる必要が、取り沙汰される。それこそが、次代を担う人々を、教え育む為の、魔法の一つ、とさえ言われている。だが、その実態として、かけ離れた現実が、目の前に横たわる。特に、できる筈、と主張する一方で、やったことがなく、何が起きるのか、何をすればいいのか、その他様々なことが、全く理解できておらず、周囲を不安にさせる。だが、当人だけは、どこ吹く風といった具合で、我関せずと、やりたがる。と言っても、勝算が無いばかりか、できるという状況が、どうなることかさえ、見えていないことが、余りにも多い。これでは、任せられない、とばかりに、上司や同僚達は、説得を試みるが、そうなると、状況は悪化の一途を辿る。やらせろ、と言っているのに、何もさせてくれない。排除されていると感じ、疎外感が広がる。時に、心を病むこともあり、時に、体調を崩すこともあり、果ては、組織自体を、訴えることにさえ、及ぶこともある。どう対処すべきか、悩み苦しむ人が、居るに違いない。ただ、答えを見つけるのは、容易ではない。何故なら、当人が、このことに、気付くしかなく、多くの場合、こういう思考回路の持ち主は、自分の能力も、見通せないまま、ただ、周囲の問題としか、思わないからだ。その上、責任転嫁が、高じてくると、他人のせいにすることが、常となる。結果、何の解決策も、講じられないままに、組織崩壊に、及ぶことさえある。そこに現れたのが、海の向こうの餓鬼大将だ。彼の発言の数々は、できるという宣言と、その一方で、誰が原因で、できなかったのか、という宣言が、繰り返される。あれでいいのか、と思った人は、数え切れず、支持者になっていった。その程度の話、なのではないか。
収入が増えても、物価高の割合が、それを上回れば、生活は厳しい、と盛んに報じられる。確かに、その通りだが、人それぞれに、購入する物品は異なり、一概には、言えないことと思う。この話と共に、国独自の事情として、手取りが少なくなるものが、あると言われる。
ある人が、そんなことを、顔本に挙げていた。そこには、一定の収入で、国毎に、手取りが異なる、という状況が、表にしてある。本人が、まとめたものなのか、あるいは、何処かに、掲げてあったものなのか、出典が表示されておらず、はっきりとはしない。更に、リンクを張ると、こちらの匿名性が、保てなくなる可能性もあり、その情報は、示していない。ただ、内容から、本人が言いたいのは、この国が、如何に、税金や社会保険などの、公共的な負担が大きく、生活が圧迫されているか、ということだろう。しかし、これは、必ずしも、正しくない。何しろ、手取りを、受け取った後で、出ていく金は、必ずしも、普段の生活だけが、相手とは言えないからだ。例えば、表の一番下にある、海の向こうの国では、年金は、こちらと同様の、仕組みを維持しているが、健康保険は、事情が全く異なる。皆保険として、導入が、検討されつつあるとはいえ、あちらの事情は、健康保険が、強制的なものではなく、自主的なものであり、それも、保険額に、かなりの差異がある、と指摘される。更に、保険が保証する範囲も、保険それぞれで、大きく異なる為に、多額の保険額でも、医療を受けた時に、多額の医療費を、請求される場合も、少なくないのだ。となれば、手取りが多くとも、何か事があれば、多額の負担を、強いられることとなり、困窮状況に、陥る可能性がある。この辺りのことを、何も考えずに、ただ数字だけを、追いかける人々は、視野が狭いのだろうが、それだけでなく、そうなる要因がある、と言えそうだ。自分達が、如何に恵まれない状況にあり、その原因は、国の政治による、との結論を、導こうとする、思惑が、第一にある。だから、多くの数字の中で、その主張を後押しするものだけを、拾い出している訳だ。これでは、正しい議論は、できそうにないが、同じ思いを抱く人々には、好都合なものに映り、盛んに、同じ情報を、共有しようとする。その目的で、社会媒体は、便利な道具なのだ。受け取った側が、注意するしか、この拡散を、止める手立ては無い。
好きだ、という話に、論理もへったくれもない。と言っても、人と人の間に芽生える、あのことではなく、交渉好きの大統領が、派手に何度も叫ぶ、例の「関税」についてだ。自分達が、損をしている、という主張も、いい加減にしろ、と思えるが、それ以上に、その目的が定かではない。
論理的に考えれば、不当な価格で、輸入されるものに対し、関税を課すことで、国内生産物との、均衡を図るとなるが、あの人物が、矢鱈に発するのは、単に、気に入らない相手に、無理難題を、押し付けようとする、そんな思惑しか、見えてこない。本来なら、国内産業の保護、という目的があり、安値競争で、疲弊することから、経営が、立ち行かなくなることを、防ぐ為と言われる。確かに、そんな目的もあろうが、今回の発令で、度々触れるのは、他国生産物が、国内産業に、悪影響を及ぼすことで、雇用を失わせている、という点であり、その代わりに、自分の国に、工場を建てて、生産すれば、雇用の確保も、可能となる筋書きだ。確かに、雇用のみを考えれば、その通りの部分がある。しかし、国内産業、特に、自国の企業の、経営を維持することには、結び付かない。それが、如実になったのは、自動車産業だろう。40年程前、こちらから輸入される車を、公然と破壊することで、自動車産業の窮状を、盛んに訴えていたが、それにより、当時の共和党政権は、高関税を導入し、海外企業の移転を、強要したとされる。確かに、その後、自動車産業は、息を吹き返したが、自国企業は、その後も低迷を続け、今に至っている。他にも、同じようなことが起き、当時、自国生産を、盛んに促進したものの、労賃格差を、克服することができず、海外生産を、続けた例も多数ある。但し、これらは、自国企業によるもので、ある意味で、企業経営としては、良好な状況を、保っていた訳だ。その一方で、雇用確保は、捨て去られたこととなり、自分で自分の首を絞める、といった状況となった。これらを、総合的に考えると、果たして、関税措置が、功を奏するのかは、怪しげに思える。また、最新技術による産業は、この手法では、凋落を続けることとなり、虻蜂取らずとなるかも、だ。まあ、責任転嫁を常とする人物には、そんな憂き目は、見える筈もないが。
ゆすり、たかり、まるで恐喝のようで、それを、交渉とか取引とか宣うのは、本人の自由には違いないが、今の状況は、まさにこれだ、と思った人も、多いのではないか。ちょいと、語源を調べてみたら、ある寺の頁に、その説明があり、役人の業、とまで書いてあった。
強い立場から、強権的な態度に出て、相手に、無理難題を押し付ける、としか見えないが、支持者達には、全く違う姿に、見えているらしい。平和を求め、和平を導く為には、自分のことしか考えず、窮状を訴える人物は、蚊帳の外に置き、黙らせるのが一番、という判断らしい。政府の国務長官は、会談を始めることこそが、何よりも重要であり、その為に、攻め込まれた国の大統領は、邪魔でしかなく、排除の対象だった、ということだろう。それでも、脅しの一つとして、鉱物資源を、取引の対象とし、署名の為に、会談を整えたのに、揚げ足を取るような、発言を繰り返したことが、侮辱であり、それも、我が城の中での、暴挙となれば、軍事支援という、最後の札を、捨て去ることも、やむを得ない、となったらしい。驚くべき進展速度だが、temperと称された遣り取りは、何方の癇癪を、指したものかは、知れないけれど、この展開自体が、表しているようにさえ、見えてくる。これで、弱い犬は、尻尾を巻いて、何かしらの返答を、届けに来るに違いない、というのが、交渉術とでも、言いたいのだろう。その上、件の国務長官は、国際機関の存在意義は、平和を保つことなのに、それをしないまま、軍事侵攻に出た国を、糾弾するばかりとさえ、批判し続ける。だからこそ、その文言を抹消し、新たな提案を、審議したのだろう。確かに、軍事侵攻時に、国際機関が、連合軍を組織して、治安に出るべき、と独り言にも書いたが、それとて、安保理という、捻じ曲がった委員会の、決議が必要となれば、拒否権発動により、成立しなかっただろう。これらを含め、今の状況で、どんな道筋を、つけるべきかは、誰にもわからない。何しろ、あの長官でさえ、和平会談は始められるが、和平に至るかは、分かる筈が無い、と断じたのだ。
海の向こうの、爺いの戯言は、聞く価値が無いのは、勿論のこと、嫌悪さえ催す。だが、熱狂的な支持者達は、彼の全ての言葉を、素晴らしいものと受け止め、一層盛り上がる。亀の甲より、の筈なのだが、そうもいかないのは、含蓄も合わせ、中身が無く、棘しかないからだ。
本来、長い経験を有する人間の、言葉の重みは、かなりのものだ。彼らの話に、耳を傾け、自分にとり、役立つ形で、確かなものにすれば、失敗を減らし、成功を手にすることも、難しくない。だが、実際には、年寄りの冷や水、などと揶揄されるように、それまでに、築き上げたものに、寄りかかるだけで、戯言ばかりを、繰る人も少なくない。海の向こうの大統領は、その典型だと、こちらは思うが、そんなことは、おくびにも出さず、有り難い言葉を、受け取るだけの人も、多いようだ。さて、そんな話は別にして、目上の人間の発言を、どう受け止めるだろう。有り難いは言い過ぎとしても、何かしら、役に立つ部分を、選び出そうと、耳を傾けるか、はたまた、戯言ばかりと、無視を決め込むか、何方だろう。最近の傾向は、年寄りの方の問題も、確かに大きいが、それより、受け取る側の人々の、冷淡な態度の方が、遥かに大きいようだ。何故、こうなったのだろう。一つには、褒められることに、慣れた人々にとり、厳しい言葉が、老人から発せられることに、拒否感を抱くからだろう。その割に、熱狂的になる、あの行動様式は、理解不能なものではないか。不思議、と言えば、不思議なのだが、拠り所を、求める人々にとり、年齢よりも、権力の方が、優先されるから、かもしれない。それにしても、都合の良い言葉だけを、受け取ろうとする態度には、呆れるばかりだ。彼ら自身の問題でもあるが、社会が、全体的に、批判的で厳しい態度を、忌み嫌っている、今の風潮にも、大きな問題がある。何の役にも立たない、賞賛ばかりの話では、自身の成長も、無くなるというのに。