パンチの独り言

(2025年4月21日〜4月27日)
(お山の大将、要らぬ言い訳、対処法、非接触、効率か、やれやれ、見猿聞か猿)



[独り言メインメニュー] [週ごと] [検索用] [最新号] [読んだ本]



4月27日(日)−見猿聞か猿

 忍耐や我慢が必要、と書いたが、必ずしも正しくはない。少し前に書いたように、情報弱者の問題が、課題として掲げられ、整備を進めたものの、それは、却って逆効果となり、精神的に不安定な人間には、悪影響を及ぼした。それと同様に、老人の戯言など、聞かねばいいのだ。
 手にした端末から、世界の出来事に触れる。そんな喜びに、満悦していた人が、混沌とし、恐ろしく、興奮させられる、発言の数々に、悩まされ続けている。もし、耳や目を、塞ぐことができぬなら、忍耐や我慢が、不可欠となる。もし、取捨選択ができるなら、吟味を繰り返し、戯言の数々を、塵箱に捨てれば、それで済む話だ。だが、そういった手法を、学ぶことをせず、ただ、周囲と同じであれば、安心できると、だらしない生活を、続けてきた人には、突然、何かが必要と言われて、すぐに対応することなど、できる筈もない。なのに、情報弱者は、御免とばかりに、端末を見つめ続け、情報を漁り続ける。だったら、窮地に追い込まれても、淵に落とされても、不安定に陥ったとしても、致し方ないのだ。その一方で、忍耐や我慢という、別の心の動きを、始めるしか、手立てはない。でも、もし、端末から目を離し、暫く、落ち着いた生活を、と決断できるのなら、そちらの方が、遥かに、容易いこととなる。それこそが、無視をする、耳を傾けない、といったこととなる。でも、公共電波では、こちらも、懲りない人々が、せっせと、ネット上の、塵漁りを続ける。特に、海の向こうの年寄りは、これもまた、懲りもせずに、これらの電波や新聞を、牛耳る人々を、偽物とか嘘吐きと呼び、自分だけが、真っ当なことを語り、囀っていると言う。だが、前言撤回を含め、嘘ばかりを並べ、他人を、罵倒し続ける姿に、どんな意味があるのか。あれこそが、老人の戯言の典型であり、聞いたり読んだりする価値は、全く無いのだ。だからこそ、無視を続けるべきだが、嘘吐き呼ばわりされた連中が、それこそ、批判を返す為に、その一つひとつを、細かく説明し、論破しようとし続ける。これでは、馬鹿の寄り合いにしか、ならないのだ。だったら、はじめから、知らなければ、それで済む。聞いて、悩まされた挙句に、忍耐や我慢を、と言われるくらいなら、弱者と言われようが、手に取らねば、と考えるのが、自然の成り行きだ。是非、どうぞ。但し、独り言は、時々読んで欲しい。

* * * * * * * *

4月26日(土)−やれやれ

 この国では、新聞は、その多くが全国紙だ。ある時代までは、流通の問題から、限られた地域しか、読むことのできないものが、多かったのだが、徐々に、合併を繰り返し、全国を販売地域とするものとなった。それに対し、以前も書いたが、海の向こうは、依然として、基本地方紙だ。
 そう書くと、必ずと言っていい程、あの新聞が、その新聞が、と有名紙を取り上げて、それらが、全国紙に違いない、と言う人が居る。だが、全国紙は、一般のものと、経済紙が、それぞれ一つずつあるに過ぎない。と言っても、現実には、ある程度大きな都市では、有名紙は、街頭で売られており、だから、と言いたくなる人も居るだろう。でも、配達を基本とすれば、その考えは、通用しない。しかし、環境の変化は、活字媒体にとり、大きな変化を起こした。こちらと同様、あちらも、一種の活字離れが起き、新聞の売り上げは低迷し、多くが、身売りを余儀なくされた。次に訪れたのは、媒体の一新で、印刷は、細々と続けるにしても、皆が手にする端末や、ネットに繋がる機器で、接続する方式が、主体となった。嘆く人が居る一方で、歓迎の声も大きい。何しろ、媒体一新は、経費削減へと、結びついたからだ。先日も、情報収集として、あちらの新聞サイトに、接続したことで、登録したアドレスに、広告が、盛んに届くようになり、遂には、期間限定契約を、促すものへとなった。半年で、10ドル程だったか、試してみることにした。情報は、更に頻繁に届くようになり、あちらの状況が、手に入るようになった。とは言え、例の大統領は、偽情報と揶揄するものだ。さて、どの程度のものか、とも思う。当然、不規則発言や前言撤回を、繰り返す中、厳しい批判記事が、連なっている。紹介するのは、世論調査の結果だが、有権者が、今の政権に対し、どんな印象を抱くか、を示したものだ。皆が、同じように読めるかは、以前紹介した時同様、不確かなままだが、もし読めたら、読んで欲しい。曰く、chaotic、混沌とした、66%、scary、怖い、59%、exciting、興奮する、42%となる。不確実性、と盛んに言われるように、国民の印象も、それに沿ったものだ。だから、という訳ではないが、これらの反応の多くは、やはり落胆から来るもの、なのではないか。どうするか、まだ始まったばかりだから、あと4年近くは、忍耐や我慢が、必要なのかも。

* * * * * * * *

4月25日(金)−効率か

 覚えているだろうか。今と同じように、政治が不安定となり、その結果として、政権交代が起きたことを。今回は、こんな筋書きには、なりそうに無い、との意見が大半を占めるが、何処が違うのか。一つには、前回の交代で起きた、現場の混乱と、その一方で上がらぬ成果が、記憶に残るからだ。
 増え続ける、国債発行額を、負の遺産と捉え、減らす為には、予算削減しか無い、と断言する公約を、果たそうとばかりに、新政権は、「事業仕分け」なる動きを、強めていった。中でも、多くの人々が、呆れたのは、政権中枢に居座る、女性議員が、国の研究に対して、「2位じゃダメか」と問うて、研究資金の削減を、求めた話だろう。その後、随分経過してから、ある新聞が取り上げた記事は、研究者の思いを、吐露したものだろうが、こちらも、当時の答弁同様、冴えないものだ。研究の重要性を、あの頭の悪い議員に、説明しても、理解不能であり、意味不明と終わる。相手の知性に、合わせられぬ言動は、官僚も、研究者も、同じ穴の狢だ。あそこは、マラソンでは、先頭集団についていくことが、重要と言われており、研究も、遅れを取らず、先頭に居ることが、不可欠となる為、その表れとして、一位を目指すのだ、と言えば済む。当時、そんなことを、独り言に書いたような気がするが、確かではない。で、その仕分けが、予算削減に繋がったか、と言えば、多くが、公約通りの割合とはならず、その上、事業廃止されたものが、別の悪影響を及ぼし、成果は上がらず、と断じられた。不手際ばかりの政権は、その後、新たな選挙で惨敗し、今に至っている。海の向こうでは、大統領交代で、政権政党が代わると、政府の要職ばかりか、省庁の殆どで、人員交代が起きる。だが、今回は、それでは不十分とばかりに、DOGEと呼ばれる、新たな組織が編成され、その長に、例の企業経営者が就いた。彼が行ったのは、事業仕分けでは無く、単純に、人員削減であり、当然、その経費となる予算の、大規模削減を目指したものだ。結果は、悲惨なものとなったが、金額を見れば、確かに、減らすことができた。問題は、次に来るものだ。それにより、国が行うべき事柄が、停滞したり、頓挫したら、どうなるのか。その結果は、暫く後となる。既に、辞任を表明した人物は、そんなことには、目もくれず、悪化する経営を、立て直すことに、専念するのだろう。

* * * * * * * *

4月24日(木)−非接触

 情報弱者、という言葉に、注目が集まった。その結果、どうなったのか。一つには、弱者保護の観点から、情報への接続を、容易にする仕組みが、導入され始めた。これで一安心、と思った人は、実は少なく、その中で、更に弱い者が、悲鳴を上げ始めた。この問題は、複雑なようだ。
 強弱は、所詮、比較の問題であり、絶対指標とはならない。だから、どこまで知れば、強者になるか、そんな基準は、存在しない。それより、彼奴と比べたら、より多く知っている、という優位性こそが、優先される。これでは、この問題は、永遠に続くこととなる。それこそが、この問題を取り上げた連中にとり、幸いとなる要因だろう。整備に必要な資金を、注ぎ込むことが、喫緊の問題となれば、その上前を撥ねるのも、容易となるからだ。まあ、そんな図式は、何処にもあり、ここで取り上げる価値もない。では、この問題に関する、より本質的なものは、何か。情報弱者という立場が、実は、自らの心も体も、正常に保つ為に、重要な要素となる、という考え方だ。不確実性の権化、と呼ばれる、あの大統領の、不穏当極まり、不規則だらけの、一連の発言に対し、情報は、次々と、現場の悲鳴を届ける。その上、対策と称する、付け焼き刃の数々を、列挙することで、関係者達は、疲弊し続ける。情報とは、実際には、そんなものではない。正しい情報を、如何に選択するかが、肝心となるが、今の状況は、まさに、その正反対にある。嘘や出鱈目を、撒き散らすばかりの輩が、国際政治の世界のみならず、囀りの世界でも、跋扈する時代である。情報とは名ばかりの、操作を目的としたものに、振り回されるのは、愚か者のやることだ。強者と思い込み、氾濫する情報に、日々接することで、心の平安を見出され、日常生活さえ、覚束なくなる。結果、心身を病んでしまえば、何の意味も無い。こんな時代、弱者を装って、知らぬふりを続け、偽物に触れることなく、我が道を進むことが、肝心なのではないか。十分な判断力を有し、吟味を繰り返す能力を、備えた人間には、弱者と強者の区別は無く、波風も、委細構わず、となるのは、当然のことだが。

* * * * * * * *

4月23日(水)−対処法

 不穏当な発言が続き、散々振り回された挙句に、大損を被ることを、報道は、不確実性などと評する。一見、妥当な意見と見えるかもだが、どうだろうか。彼の戦略は、交渉であり、相手の心理を逆撫でし、焦らせることで、自分に有利に運ぶことだ。これを、不確実と呼ぶのか。
 実際には、思い込みで、誤った方向を示し、それによって、振り回された連中を、笑ってみたり、相手を操ろうとする。その手法は、不確実でも何でもなく、単に、思い通りに運ぼう、との思惑に満ちただけで、慌てずに、対応すれば、恐れることもない。だが、彼を尊敬し、神の如くに、敬う人々は、本人の過激な発言を、素晴らしいと称賛し、それによって、周囲を操る姿を、見習うべきと思うらしい。強引かも知れぬが、ここにこそ、教育の重要性が、出てくるものだ。冷静に分析し、綻びを見極め、過ちを指摘する。それらの行為には、教育を受けることで、培われた能力が、大きく反映する。今、あの人物を、敬う人々の多くは、不十分な学習の果てに、不利な扱いに甘んじ、現状打破を目論むか、或いは、金銭的なお零れに、与ろうとする、私利私欲の塊か、何方かに属する。このような連中は、支持した人物の、悪政の果てに、目論見が崩れると、途端に、別の標的を探そうとする。落ち着いて考えれば、今の状況は、その多くが、想定された通りであり、長い目で見て、成り行きを見守り、慌てて動かぬことが、得策となるだろう。確かに、先手を打ち、相場が下がれば、買いに入り、上がれば、売り抜ければ、大儲けには違いない。だが、猫の目の如く、日々変わる政策に、付き合うのは、並大抵ではない。それも、極まれば、朝令暮改の如くに、気付けば、正反対の結果を、押し付けられる。この状況は、この国の大戦前に、似ていると思うが、どうだろう。特に、狂気じみた発言の数々に、呆れるばかりで、手の施しようなし、とばかりに、無視を決め込む、社会的に責任のある人々は、あの時代と、よく似ている、と思えてくる。戦前の、その後の暴走と、その勢いに乗ろうとした、若者達の行動に、同じことを、繰り返してはならず、と思うのだが。防ぐ為には、確かな教育こそが、重要ではないか。

* * * * * * * *

4月22日(火)−要らぬ言い訳

 本人達は、説明を与えている、とでも思っているのだろう。だが、その内容は、どう見ても、説明ではなく、当事者達が並べた言い訳を、ただ伝えただけだ。相変わらずの高値に、消費者の行動は、常軌を逸し始めているが、その不思議さを、誰も指摘しようとせず、ただ伝えるのみだ。
 米騒動は、依然として、収束する気配さえ無い。遂には、昨年度の収量が、概算に過ぎず、実際には、もっと少なかったかも、などと言い始める始末だ。ただ、この情報は、語っていた放送局の記事を、見てみたが、見つからなかった。さて、その記事では、何を言い訳として、並べているのか。相変わらずの高値に、原因の分析が必要とばかりに、様々な要因を、見つけ出したとして、流通の問題を指摘する。だが、落札を控え、次に必要となるのは、もう一つの原因として、指摘された、精米などの処理と共に、各卸や小売店への、運搬となるのは、誰の目にも明らかで、その準備を怠ったとは、呆れて物が言えぬ。また、そこから更に、落札者との取引の無い、卸業者への便宜からか、横流しとも言える、流通の整備を持ち出すに至っては、単に、中間経費を、増すばかりとなる、例の如くの図式か、とさえ思えてくる。元々、備蓄米放出にあたり、入札を行うと報じられたが、現実には、落札者は、ほぼある組織だけとなり、独占とさえ、見える結果だった。そこから、今、言い訳として並ぶ、処理と流通が、課題となったという話に、繋がるとしたら、この結果は、予想可能なものだったに違いない。その一方で、独占することで、市場を操作し、高値を続けることで、収益を確保する、という目論見も、当然の結果として、指弾すべきものだろう。だが、この放送局は、解析の結果として、あの組織の言い分を、ただ伝えるだけで、何の批判もしない。こんな調子だから、大衆媒体は、厳しく批判され、社会媒体からは、嘘吐き呼ばわりや、権力に与するとさえ、言われる始末となる。彼らの責任は、確かに重いのだが、今回の騒動では、その中心に居座る、上に書いた組織こそが、元凶と見るべきではないか。特に、こんな行状からは、米離れだけでなく、農家の廃業にさえ、繋がることが、考えられるのだ。巨大化した組織の悪行に、鉄槌を下すべきか、と。

* * * * * * * *

4月21日(月)−お山の大将

 一週間、あの話題は取り上げず、他の話題について、書いてきた。理由は、すぐに解ると思うが、暫くの間、放置したとて、何も変わらぬ、と思ったからだ。さて、どうなったか。こちらも、明白だろう。何も、変わらぬままで、人々の心に、波風が立っただけ、なのだ。
 要するに、あの類の人間は、その程度の輩である。会社の経営は、確かに、何かしらの利益を上げ、巨万の富を、築いたのかも知れぬが、それは、多くの嘘をばら撒き、約束を違えることで、事を、自分に有利に運んだだけで、諦めた相手は、立ち去ったに過ぎない。その中で、お零れに預かろうとする、別の類の人間が、擦り寄っているに過ぎない。就任から、三ヶ月が過ぎようとするが、彼の約束の数々は、何の成果も上げられぬままに、放置されるか、棚に上げられるか、はたまた、忘れ去られるかの、何れかとなった。自分なら、一日で解決できる、と就任前に豪語したものの、現実を前にして、安全策を講じたつもりで、先延ばしした期限さえ、守れぬままとなる。思い通りに運べぬことで、苛立ちを露わにするが、軍事侵攻をし続ける暴君は、相変わらず、のらりくらりと、交渉を先延ばしにし、更には、突然の停戦宣言で、撹乱戦法を、取り始めた。明らかに、お手上げ状態であり、待望の受賞は、遠のくばかりとなる。紛争地域も、同様であり、突飛な提案は、世界からも、無視され続け、一方のみに加担する姿勢は、露骨な批判対象となる。経営方針そのものの、やり方なのだが、国家間は、気弱な経営者を、相手にするのとは、大違いなのだろう。同様に、貿易問題を、喫緊の課題として、梃入れの策として、相互関税なるものを、導入したのだが、これがまた、何の見通しもなく、数字の遊びとなる始末、相手国からは、様々な反応があるが、どれも、彼の思惑通りには、進まぬ様子で、お手上げかとさえ、思えてくる。まあ、交渉事は、こんな調子でも、何かしらの進展を、見せるに違いないが、約束の反故は、確実とさえ、言われる始末だ。そんなことかと、一週間、放置したが、そんなことだった、ようだ。

(since 2002/4/3)