大衆迎合に、注目が集まるが、その一方で、どういう訳か、独裁主義が、台頭しているようにも、見えないか。先の大戦に、入っていくきっかけは、その前の大戦の、負債に苦しむ国が、苦境を脱する為に、国を挙げて、向かう中での、大衆迎合への展開、だったように言われる。
苦しむ国民を、救うような政策に、皆が魅力を感じ、支持に動いたのは、当然の帰結、と言われる。この状況は、あの時も今も、同じなのかも知れぬ。魅力的な政策は、確かに、今より良く見え、利益があるように、見えるのだろう。軽薄な庶民は、減税や現金支給など、直接的な利益に、飛び付いてしまう。だが、少し落ち着いて考えれば、収支の均衡から、破綻を来すことは、自明とも見える。だからこそ、大衆迎合と呼ばれ、危機感を抱く、評論家が、盛んに警告を発する。だが、そんな警句が、届く筈もなく、下り始めた列車は、勢いを増すばかり、となる。今、世界中に広がる、不確実の闇は、まさに、そんな様相の現れ、としか思えない。だが、一度走り始めたものは、ほんの百日程では、止められないものだ。では、どうすればいいのか。どうしようもない、のである。一方で、その闇の中で、暗躍する人々は、私利私欲に駆られ、上前を跳ねようと、蠢いている。庶民にとり、別の世界でしか、ないものなのだが、害が及ぶとすれば、その辺りからだろう。不確実、と呼ばれる位は、まだしもであり、その内、破滅へと向かうのでは、という懸念は、徐々にだが、広がり始めそうだ。でも、楽観視する人からは、前回の任期でも、そんな不安が広がったが、大禍無く済んだ、という見解が、示される。確かに、民主主義、自由主義の下では、独裁者の暴走も、様々な制動がかかり、進む方向も、修正されるものだ。だが、一歩間違えると、大戦へと突っ走った、あの時代のあの国の、状況へと陥るのでは、とも思える。二度目には、前回に、実現できなかった、あの夢を実現する、と決断した人間が、さて、その為に、何をしでかすのか、現時点では、見通せないのだ。
嘗て、海の向こうの元大統領は、世界平和を脅かす国家を指して、悪の枢軸、axis of evil、と呼んだ。独裁者という存在が、敵対する国家を、築き上げたと言われるが、先の大戦で、連合国に対して、敵対する国々を、枢軸国と呼んだのと、似た事情があったのだろう。
では、今の状況は、どうだろう。世界平和、という意味からすると、ある三つの国々が、脅かすことへと、繋がりかねない、との懸念が、一部で広がるのではないか。一つ目は、言わずと知れた、軍事侵攻を進める、あの国で、長年に渡り、君臨し続ける独裁者が、自らの考えを、正当化するばかりか、隣国への侵攻という、暴挙に出ており、平和そのものだけでなく、世界の経済活動にまで、悪影響を及ぼしている。長く続いた冷戦が、社会主義を主体とする国々の、自己崩壊によって、終焉を迎えたが、その後、自由社会が、築かれるとの期待は、大きく裏切られ、裏の社会を牛耳っていた、組織に属した人間が、いつの間にか、中枢に君臨し、諜報活動の経験を元に、嘗ての独裁者同様に、独自の恐怖政治を、築き上げてきた。国内の出来事は、こんな時代でさえ、詳らかにされず、不都合な情報は、ほぼ全てが封じられてきた。二つ目は、隣の大国だろう。世界の工場として、あらゆる生産を引き受け、急速に成長した結果、強大な国力を、手に入れてきたが、一党支配の仕組みは、ある主席の登場によって、独裁化へと、先祖返りしている。成長に翳りが見え始め、安定を手に入れる為には、支配制度自体を、不変のものに、すべきとの考えは、様々な軋轢を産み、不安定が増している、とも伝えられるが、こちらも、厳重な情報統制により、実態は、幕の向こうに、あるようだ。最後に来るのは、先日返り咲いた、件の大統領が、君臨する国となる。意外に思うだろうが、自由社会の泰斗であり、枢軸と呼んだ元大統領と、同じ国なのだが、今の状況は、前の二つと、大差無いようにさえ、見えている。このまま進めば、これらの3人は、同じ道を歩むのでは、とさえ思えるが、どうだろうか。唯一の違いが、あるとすれば、国の制度の違いだろうが、一方で、彼らの思うがままに、進むとすれば、不安定が極まり、大戦となりかねない、とさえ思えてくる。さて、どうか。
人災の多くは、悲惨なものであり、二度と起こしてはならぬ、と言われることが多い。半世紀以上昔の、航空機事故は、着陸直前、空港手前に、着水してしまったもので、機長の心身不良が、原因とされた。ただ、あの仕組みでは、二人での操縦で、ある程度は防げたろうが。
ある時期までは、この事故が、繰り返し報道されたが、その後、史上最多の死者を出した、事故が起きると、殆ど触れられなくなった。この事故も、ある意味では、人災と言われ、整備不良の問題が、大きく取り上げられた。一方で、鉄道事故の場合、運転士は一人で、全ての責任が、かかっている。だからこそ、機械的な安全装置が、重要と考えられ、その開発と導入が、進められている。しかし、20年前の事故は、その導入が、間に合わなかった例として、鉄道会社の責任が、大きく取り上げられた。毎年、取り上げられるが、節目ということで、今回も、挙って取り上げられていた。ただ、その報道姿勢には、首を傾げさせられる。確かに、多くの死者が出て、生き残った被害者も、遺族も、そのような目に遭わされたことに、衝撃を受けた後には、何故という気持ちや、改善を要求する声が、高まるのは、当然のことだろう。だが、この企業のHPには、その後、整備された安全装置の話が、掲げられており、ある意味の安全確保は、達成された、と言えそうだ。にも拘わらず、被害者等は、依然として、企業の責任を、問い続けている、と報道される。対応の問題からは、企業の姿勢を、明確に示すことが、必要だと思うが、その側で、盛んに批判を続ける人と、彼らを支援する報道に、疑問を抱かざるを得ない。こんな状況では、加害者とされた、企業の人間も、説明をする機会が得られず、誤った方向へ進むことに、なりかねない、ように思う。この事故も、運転士の心身不良が、原因だったとされるが、その状況でも、事故を防ぐ為の装置が、設置されたのであり、安全・安心は、手に入れられたのでは、ないだろうか。もし、働く人の健康を、と要求するのであれば、それは、事故とは、全く別物でしかない、と思う。
人手不足、との声をよく聞くが、どうだろう。発言権を握る、雇用者側や、彼らに寄り添う、経済識者達は、盛んに、人手が不足しており、外国人の雇用が、喫緊の課題と訴える。だが、肝心の、人手の核となるべき、若者達の意見は、どうか。そんな声が、届くことは、少ない。
このひと月、多くの新入社員は、社会の厳しさに触れ、心の安定を、保つことさえ難しい、と感じたのではないか。それに対して、誰も助けてくれず、孤立感が募る、と考えた人が、多いのかも知れぬ。半世紀程前、まだ、泡が膨らみ続けていた頃、多くの企業は、新規採用した人々を相手に、研修と名付けられた、訓練を実施していた。だが、泡が弾け、余裕が無くなるにつれ、効率化の名の下に、研修は、社内ではなく、専門とする企業が、肩代わりするもの、となっていった。それから、随分の時が流れ、社員教育自体が、手薄となった結果、企業の多くは、即戦力を求め、大学への注文や依頼が、増え続けたようだ。だが、教育の場で、必要となる事柄と、各企業で、必要となる事柄は、必ずしも一致せず、注文や依頼に、応えること自体が、難しいと気付き始めた。こうなれば、当然のことだが、社内教育を充実させ、研修期間を、長く取って鍛える、という旧来の方法に、立ち戻る必要が出てくる。でも、そんな余裕は無い、と経営者達は、異口同音に言い募る。ここに、人材不足、人手不足の、源があるのではないか。余裕の無さが、即戦力を渇望し、結果、外国から、完成された人材を、かき集めようとする。現実には、灯台下暗しであり、手近な所に、多くの人材、人手が、眠っているのに、それを見えないふりをし、不足を強調する。そんな一つ覚えが、巷に溢れており、通常の感覚からは、馬鹿げた考え、にしか見えぬことを、雇う側は、主張し続ける。高度成長を支えたのは、確かに、教育水準の高さも、あったろうが、それと共に、企業が、人材育成に、力を入れ続けたことが、大きな重みを、もっていた。それが、放棄された結果、今の窮状を産んだ、とすれば、解決法は、それ程には難しくない。金の卵は、すぐそばに転がっており、それを拾い上げ、磨き上げさえすれば、十分に、繁栄の時を、取り戻すことができる、筈だ。
今朝の経済紙一面に、消失という文字が、踊っていた。内容は、海の向こうの政府が管理する、所謂電子頁で、膨大なものが、いつの間にか、消されていた、という事実が、判明したというものだ。情報の話題続きで言えば、情報源が、誰かの思惑で、操作された、となる。
源が消えれば、弱者も強者もなく、誰も、その情報を、手に入れられなくなる。こうなったら、何が起こるのか。すぐには、想像がつかないかも知れぬ。ただ、報道側からすれば、小見出しで、「議会襲撃」を、明示したことから、政府、と言うより、件の大統領に、不都合な情報が、消去された、と伝えたいのだろう。この記事は、一般的には、購読者しか、読めないようになっている、経済紙のサイトで、誰もが読める記事、として掲げられている。読んでみれば、膨大な量の情報が、就任初日から、どんどんと、削除され続け、今の状態に至った、ということが、理解できる。それ自体、作為的なものとして、公的機関が、行ったこととして、暴挙に属するもの、と見做されるが、記事の中で、興味深いのは、その数の、前政権との比較のグラフだろう。ここまでに、削除されたのは、千頁を超えた、と見出しにもあるが、前政権では、同じ期間で、120頁に過ぎず、違いは歴然としている。ただ、割合で示すことが、数値解析では重要、との考えから、母数との比較として、現政権は、9.2%であるのに対し、前政権では、3.0%だったと示される。気になったのは、登録数であり、現政権が発足した時、1万件を超えていたのに対し、前政権の成立時は、4千件に満たない数だった、ということだ。これは、逆に考えれば、前大統領の在任期間に、2.5倍以上、増やされていた、ということで、情報を扱う上で、重要な指標となる。弱者か強者か、という問題にも、同じことが、影響を及ぼし、氾濫する情報に、溺れてしまうことが、問題とされる点でも、この差異は、重要な示唆を、含んでいるように、思えるのだ。その一方で、増えた筈の、6千件余りの中から、たった千件しか、消されていない、という点も、考えた方が、いいのではないか、とさえ思えてくる。何れにしても、過剰な情報量に、私達は、溺れぬようにせねば、と思うこと頻りだ。
個性が叫ばれた時代が、あった。他人とは違う、何かを見つけ、それを伸ばすことで、自分というものを、確立させる、という考え方だったか。「バカの壁」の著者は、盛んに批判をし、これも、一種のバカの時代の現れ、と言っていたような、気がする。今は、どうか。
今も、成長するに従い、自らの夢を実現させる、とか、一生の宝となるものを見つける、とか、そんな思いを抱きつつ、上の学校へと進む、若者達が居る。でも、何を、どうしたら、そんなことができるのか。その答えさえ、見つからぬままに、就学期間が過ぎ、社会へと送り出される。何も、固まっていない内に、現場へと歩み出し、さて、何をどうすればいいのか、戸惑うばかりの新入社員が、巷に溢れてから、早ひと月が経とうとしている。何が、どう変わったのか。一週間も経たないうちに、代行業者に連絡し、退職の手続きを、やって貰った人の話は、以前書いたが、報道の非常識さ加減が、大きく現れた内容だった。今でも、その続きが、現場で起きているだろうが、最初の山を、何とか越えた人々は、少し落ち着きを、持ち始めたろうか。はたまた、別の障害物となる、休みが続く期間に、暇を持て余した挙句、出社を拒否する、などという事態が起きるだろうか。何れにしても、長い人生から見れば、ほんの一瞬に過ぎず、何をどう悩んだかさえ、思い出せぬことと、なるに違いない。一方、報道は、撹乱の種を、ばら撒こうとばかりに、別の情報を、流し始めた。曰く、初任給が上がった、とか、福利厚生の有利さが、魅力の一つとなる、とか、そんな話題ばかりで、仕事の内容には、目もくれない。一方で、夢の実現とか、一生の仕事とか、そんな餌を撒いておきながら、条件の良し悪しばかりに、目を向ける。この違いに、渦中の若者達は、振り回されるのか。それとも、何の考えも無く、ただ、右往左往することが、役目とでも思っているのか。情報とは、情けに報いる、という意味だ、とある人から聞いたが、今、巷に溢れる情報は、無情の果てでしかなく、何に報いるのか、見えてこないばかりか、別の圧力ばかりが、伸し掛かってくる、と思っているのでは。そんなこんなするうちに、何を目指したのか、すっかり忘れ、日常に追い立てられる。まあ、そんなものなのだ。
情報が大切、と言われ続けているが、どうだろう。ここに綴った、独り言を読めば、首を傾げるだろう。確かに、正しい情報を、他人に先んじて、知ることで、何かしらの利益を、手に入れられるかも、だが、そんなものが、何処にあるのか。相場の世界では、特に、かもだが。
それにしても、と思うのは、毎朝開く、電子メールだ。いつの頃からか、偽物を振り分ける、そんなことが、当たり前となっている。有料無料に関係なく、多くのものが、実施しているから、誰もが知る所となる。だが、どんな手順で、振り分けているのか、定かでないように思う。紹介するのは、今朝の「迷惑メール」に、振り分けられたもので、ここ数週間は、受信箱に入るものより、遥かに多くのものが、こちらに投げ捨てられる。少し眺めただけでも、クレジット、運送、ガス・電気、その他の通信販売、果ては、税務当局のものまで、種々雑多である。以前は、景品が当選したとか、還付金がとか、そんな詐欺が、横行していたが、最近の税務関係は、未納の税金を、徴収しようというもので、駄賃より刑罰が、この世界でも、優先される風潮が、反映しているのだろう。それにしても、詐欺集団は、懲りないらしく、一方で、取り締まりは、犯罪集団の中枢には、辿り着けていない。これこそが、情報社会の暗黒を、表しているように思える。また、これほど多くの、餌撒きが、可能となるのは、通常の郵便と異なり、何通送ろうが、一定の経費しかかからず、その手間も、一斉配信とすれば、一通だろうが、何万通だろうが、全く変わらない、という点にある。情報社会が、産み出した、犯罪の典型、と言えるのだろう。それ以前は、電話で行うものが、主体となっていたから、一々、人間が関わることが、不可欠となっていた。それが、今や、全て、機械任せなのだ。こんな形の情報が、巷に溢れ、大切な情報より、遥かに大量のもので、世界中に、塵が溢れている。それでも、一部の人々は、その無駄こそが、情報流通を、高める為の必要悪だ、とさえ主張する。国際的な犯罪では、取り締まりも、及ばぬから、との理由も、そろそろ、根本的に、考え直す必要がある。弱者保護を、前面に出すのなら、そこまでやり通さねばならぬ。