パンチの独り言

(2025年12月22日〜12月28日)
(情報とは、急募、静観する、傷付かず、過激思想、八方塞がり、付き合い)



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12月28日(日)−付き合い

 不埒な連中は、一時の鬱憤晴らしで、満足するのだろうか。それとも、執着心で、何時迄も、相手を追い続けるのか。囀りでの騒ぎから、巷では、後者を思い浮かべるようだが、現実には、ほんの一握りに、過ぎないだろう。理由は様々だが、所詮、反射的な反応で、深い考えなど無いのだろう。
 だから、此処に、少し位書いても、何も起きないのでは、と思っている。ただ、時には、別の心持ちの、不埒な連中が、居るかも知れず、油断大敵かもだ。江戸の仇を、という八つ当たり、ではないものの、筋立てして、論理で遣り取りしたい、と思う。それにしても、知らないことを、書かれたら、それだけで、差別だの、馬鹿にされただの、との大騒ぎが始まり、考えても、思いつかないと、腹を立てて、罵倒の言葉を並べる。何時頃から、こんなことが、始まったのか、と言えば、おそらく、ネット上の掲示板が、始まった頃、という見方を、したくなる。そこにあるのは、面と向かっての文句から、匿名という形で、自分の姿を隠し、互いに見えぬ相手に、どれ程の罵声を、浴びせられるかを、競っている、という絵だろうか。一部には、無駄なこと、取るに足りぬ、塵だらけ、などと揶揄する、声があるが、それにより、心を蝕まれる人が、出てくる事態には、何らかの措置、を望む声がある。だが、こんな連中は、決して居なくならず、却って、逆効果となる、場合も少なくない。はじめに書いた、後者の方も、実は、愉快に思う連中が、次々に、襲いかかってきて、結果として、何時迄も、追い続けるように、見えることが、遥かに多く、それで、悩まされるのは、やめておいた方が、いいのだろう。特に、囀りなどの仕組みでは、嘗ての記事が、どこかに残り、それを掘り出して、何度も晒すことも、愉快の根源となる。匿名なら、自分に戻ることは、決してない、とする人々は、都合が悪くなれば、そんな姿を消し去り、別の存在に、すりかわる。何とも、無駄な仕組みだが、それに頼る人も居て、何かの役に、立つのかも、とさえ思える。暫くは、相手をしてみよう、と思う。

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12月27日(土)−八方塞がり

 案の定、と思う。ある国の王が、国民に向けて送る、恒例の発言で、「多様性の中の結束」を、訴えたとある。それに対して、無関係な国の、下々の者が、この発言が、国を滅ぼす、とまで書き連ねる。自由な発言の場、であることは、保証されるが、といって、これはと思う。
 この国も、前回の選挙から、外国人排斥や、異端の人々の排除、などが、声高に、主張され始めた。今の歪みを、眺めれば、当然の意見、とも言える。だが、その論旨は、脆弱な根拠と、捻じ曲がった論理に、満ち溢れており、多くは、自分に戻り、自滅への道を、驀地、となりそうに見える。排他主義、という言葉が、何を意味するのかは、定かではないが、それこそが、愛国主義の典型、と信じ込む人々には、何の違和感も無く、妥当な意見、と見えるようだ。上に立つ人間が、どんな意図で、発言したかについて、思いを巡らす気配は、全く無く、ただ、自分の考えと、違うものへの、反射反応として、書き殴るに過ぎない。取るに足りない、と捨て置けばいい、と言われてきたが、現状は、その方が、多数派を占め、発言権も、絶大となる。社会媒体では、そんな極端な意見に、賛同する者が、多数を占める、とさえ思える現状だが、無言の多数派は、表に現れることが、決してない。この勢いは、戦争へと突入した、あの時代の風潮を、思い起こさせるが、当時、権力に与することを、選んだ報道は、今では、権力の犬だったり、陰謀の主だったりして、社会媒体に、巣食う人々からは、唾棄すべき存在や、無視すべき者、として扱われ、本来、あるべき筈の、制動力は、微塵も感じられない。そこに至る道筋を、思い起こせば、自業自得でしかなく、更に、状況を、悪くするのは、どちらの媒体も、自浄作用が、働くように、見えないことだ。多勢に無勢だったり、付ける薬がなかったりと、救いようの無さを、見る材料には、困らぬが、反対のものは、見えてこない。こんな独り言に、その力は無いだけに。

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12月26日(金)−過激思想

 社会媒体が、存在感を強める中、多様性という言葉は、難しい立場に、追い込まれている、ようにも見える。確かに、社会には、多様な意見が、あるべきだろうし、弱者は、保護されるべきだろう。だが、それによって、何かしらの害を被ると、手にした端末から、過激な意見を送る。
 それが、すぐに、大きな影響を及ぼす、とは言えないだろう。だが、海の向こうの暴君が、盛んに、偏った意見を、送るようになってから、そんな勢いが、急速に増している。他人の為に、という社会活動は、自分を殺してでも、行うべきなどと、言う人は居ないが、でも、何となく、我慢しながら、同調してきた、という人は、確かに居るだろう。そんな不平不満が、心の何処かにある中、国の頂点に立った人間が、そんな気遣いを、見せることなく、平気で、極端な意見を、掲げていく。偉い人でも、という思いや、彼こそが、国の救世主だ、と信じることが、そういった動きを、強めてきたように思う。そこで、勢いを増すのは、所謂、同調圧力であり、同じ考えへの、賛同こそが、力という考えだろう。自分達は、恵まれぬ環境に、追い込まれており、その不平不満を、吐き出したいという、思いに駆られる中、言いたいことを、言えばいいという、そんな考えが、何の問題も、生じないばかりか、大きな賛同を得て、頂点に立つことさえ、可能となる、となれば、誰もが、自分中心の考えで、反対者を罵倒し、同意を得れば、尚一層、勢いを増す、との連鎖が起きる。普段の生活では、大人しく、余計なことも、言わない人間が、端末からは、過激な意見を並べ、同意を得て、満足する。こんなことの為に、媒体が作られた訳では、決してないが、今の状況は、そんな印象にある。様々な意見は、無駄なもので、自分の意見こそが、重要との考えは、多様性には、結び付きそうにない。でも、今の、幼い心の参加者達は、そんな考えを、無駄と断じて、自己満足に走る。言い過ぎを、承知で書くが、そうでないと、言い切れるだろうか。

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12月25日(木)−傷付かず

 慰め合い、と言ったら、過ぎるだろうか。囀りをはじめとした、社会媒体の有用性で、確かに、情報収集は、最大の要因に、違いないが、実は、多くが、全く別の目的で、書き込んでいるらしい。実生活で、辛い経験をした、とか、厳しい叱責を受けた、とか、そんな時に。
 その状況を、書き綴ることで、誰かから、慰めて貰うのを、待つのだ。そんなことを、書いた途端に、弱り目に祟り目、泣き面に蜂、の如くに、罵声を浴びせる書き込みが、急増するに違いない、という反論が来そうだ。ただ、この仕組みの便利な所は、と言っても、こういう使い方にとっての、便利さにすぎないが、登録した者同士の、秘密会を、設けることができることだ。これにより、味方以外には、読みもできず、書きもできず、何の心配も要らず、となる。でも、と思う人が多いだろう。それは、情報交換であれば、門戸を広げ、不特定多数からの、情報を、待つ方がいいからだ。でも、傷付きたくない、とか、突き落とされたくない、とか、そんなことを、考える人の方が、遥かに多いのだろう。先日も、少し意見を書いたら、途端に、戸を閉じてしまった。居心地のいい所に、留まりたい、という気持ちが、優先され、その上、耐えたり、堪えたり、といった苦行は、真っ平御免となる。まあ、勝手にしたら、と思うのだが、そうでないと、壊れてしまう、脆い心の、持ち主が増え、そんな人々が、自分は当然だが、相手も傷付けぬよう、慎重な書き込みを、心掛けている。それが、自分の心を、蝕むことへと、繋がりかねない、などとは、考えもしないのだろう。強さは、手に入らぬもので、弱さこそが、武器となる、と信じているのか、理解不能に陥る。社会全体に、そんな風潮が、高まるばかりで、正しい意見は、相手を傷付けるもの、と断じられるし、その発言者は、犯罪者の如く、扱われることさえある。このままでは、自己崩壊へと、向かうのではないか、と思うこと頻りだが、当事者達は、何処吹く風とばかり、自分だけは、となるようだ。触らぬ神に、とすべきだろうか。

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12月24日(水)−静観する

 でも、やはり、と思う人が、多いのではないか。確かに、情報を手に入れる為に、不特定多数の人に、問い掛ける機会として、社会媒体は、大変有用なものだろう。だが、だからといって、罵詈雑言を、浴びてもいい、と思う人は居ない。誰もが、気持ちよく生きられる、と願うものだ。
 さて、その中で、日々、幾つかの反応を、書いているが、反応は様々だ。「いいね」を、期待する訳ではないが、だからと言って、何の反応も無しで、構わないという訳でも無い。何らかの反応が、出てくるのであれば、嬉しいものだし、それによって、囀りという場が、賑やかになれば、有り難いと思う。情報交換が、相互理解に繋がり、それに付随して、多くの人が、何らかの利益を、得られるのであれば、存在価値も、高まるというものだ。だが、現状は、程遠いものであり、劣悪、という一言で、片付けてしまう人も、多いのだろう。今、これを書いている時に、ある囀りに対して、少しの反応を示したら、早速、回答が、寄せられていた。こちらが、疑問に思うことに、答えてくれるのは、有り難いことだし、それを、他の人が読み、何かを得てくれれば、と思う。その一方で、先日、実名の方で、書き込んだものには、興味を示した、人が多かったのだが、その中に、「言わずもがな」、と表現した部分に、拘りを見せる、一部の人が居た。尋ねられたので、考えてみたら、と返した所、別の人が、罵声を浴びせてきた。これで、すぐに反応したら、また、馬鹿げた遣り取り、となっていただろう。ぐっと堪えて、そのまま放置する選択をした。その後、音沙汰は無い。人それぞれであり、知りたいと思った人が、教えろと迫るのも、こういう場の、特徴の一つかもだが、無知は、恥じる必要がなくとも、考えもせずに、答えだけ寄越せ、と迫るのは、脅迫行為に近い。誰もが、参加できる、情報交換の場に、相応しいとは、とても思えず、こんな反応しか、返しようが無い。ただ、こういう形で、返答しないことも、意思表明の一つ、と思うのだが、どうだろうか。さて、囀りの次の話題は、何だろうか。

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12月23日(火)−急募

 劣悪だと、考えつつも、何か教えて欲しい、と思ったら、頼りたくなるもの、なのかも知れぬ。先日も、ある大学関係者が、情報が見つからぬ、ということで、【急募】と付記して、誰でもいいから、教えてくれ、と叫んでいた。何がどう困っているかは、判らぬものの。
 余計なこと、と思いつつも、何かできれば、とばかりに、鍵単語を頼りに、検索してみた。すると、それに当てはまる情報が、すぐに見つかった。そこで、親切にも、返信してみたが、その後一日以上経過しても、何の音沙汰もない。困ったものだと思いつつ、こういう場での、礼儀として、如何なものか、と思う所を、書き記しておいた。依然として、放置されたままだ。こういう場は、ある意味の仲間意識で、関係が成立する、と思っているが、一部の不埒な輩は、馬鹿にしたり、批判する為だけに、罵倒したり、罵詈雑言を繰り返す。そんなことでは、より良い場が、築ける筈がない、と思うからこそ、こんな瑣末なことにも、対応してみるのだが、徒労に終わっては、何ともはやである。まあ、元々、求めた情報が、自分が示した所の、下に存在していたので、当人にとっては、単なる恥晒し、でしかなかった。だとしても、その不注意を恥じ、皆に、表明してこそ、人の上に立つ人間としての、矜持を示せるのでは、と思う。それも含め、良識や良心に、依存する世界を、このまま、便利な場として、維持しようとするなら、参加者全員が、その心掛けを、示す必要があると思う。それをせずに、ただ、自らの利益のみを、追求したとしたら、荒廃するのは、当然の帰結であり、その片棒を担いだことも、恥じるべきだろう。何故、こんな風に、私利私欲に走る人間が、巷に溢れる結果となったのか、理由や原因は、さっぱり思い当たらぬが、本人達は、何かしらを気付いている、のかも知れぬ。さて、どうなるものか。暫くは、あの書き込みを、見守っていきたい。何の期待も抱かず、遠くから。

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12月22日(月)−情報とは

 皆が、引き寄せられた、理由は定かでない。だが、現実に、多くの人々が、日々、手にした端末に、目を奪われ、気付いたことを、盛んに発信する。その意味では、情報交換が、主たる目的であり、その役目は、ある程度、果たされている、と見るべきか。だが、その他大勢は。
 こちらも、時に、思いついたことを、発信しており、それに対して、寄せられる反応に、目を通している。人によっては、書きっぱなし、送りっぱなしで、見返すことも無く、単純に、発信のみ、となるのだろうが、多くは、目を通し、時に、反応している。と言っても、相手によっては、非論理的な書き込みを、繰り返すばかりで、無駄玉、という印象が拭えない。そう考えると、この情報交換の仕組みも、大多数は、塵同然であり、取るに足りぬばかりか、目を向ける必要さえ、感じられない。情報の流通を、円滑にし、万人に役立つものを、との狙いは、ほんの欠片しか、達成されず、これ自体を、無駄なもの、迷惑なもの、と見る向きもあるが、そうとは言い切れまい。これは、電子メールも、同様の状態であり、以前書いたが、職場のメールも、今では、肝心な通信に比べ、詐欺紛いが、一桁多いように、毎日感じている。では、この仕組みも、無駄かと問えば、誰もが、必要不可欠であり、使い方次第で、有用である、と答えるだろう。この状況は、もっと古い媒体でも、同じことだ。電話も、唯一の連絡手段として、その地位を築いてきたが、今では、最初に書いた端末と、同じもので、連絡する場合が多く、その意味では、音声よりも、文字で伝えよう、とする仕組みの方が、便利に映る。とは言え、依然として、多くが、電話として利用し、所謂、固定電話も、減少の一途とは言え、まだまだ、多くが設置されている。そんなことを、書いてくると、いや、別の媒体で、今問題視されるものが、あるのではないか、との声が聞こえてくる。それは、所謂、大衆媒体であり、認可を受けた上で、運用しているから、信用度は高い、と思う人も居るが、最近は、嘘しか発信せず、国民を操縦しよう、との意図が、丸出しとの声も、聞こえてくる。真偽の程は、場合によるが、それにしても、ここまで来ると、情報そのものに、そんな性質あり、と思うべきかもとなる。

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