パンチの独り言

(2026年1月5日〜1月11日)
(暴挙か、文句言い、身綺麗に、議論の果て、無料の悪、陰謀論、ああ無情)



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1月11日(日)−ああ無情

 高齢者の、交通事故の報道が、連日続く。それも、被害者としてではなく、加害者としてのもので、車の運転を、誤ったことが原因、と綴られる。途端に、免許返納の話が、持ち出され、まるで犯罪者の如く、扱われる場合もある。人間に、間違いはあるもの、と思わないのか。
 とは言え、車は、扱いを誤れば、凶器と化す、と言われる。それだけに、危険を感じたら、運転を止めるのも、と繋がる論理には、異論を唱え難い。だが、公共交通が、不便な過疎地に住むと、移動手段が奪われると、明日どころか、今日の生活でさえ、立ち行かなくなる、との意見も出る。確かに、都会ならまだしも、田舎では、本当に困りそうだ。また、都会でさえ、駅や停留所までの、移動でさえ、困難を伴い、買い物した物を、下げての移動となれば、なお一層難しくなる。だから、運転する機会を、奪わないで欲しい、との論理も、理解できぬものではない。だが、この手の話で、いつも、何かが欠けている、と思うのは、日々の生活費との比較、なのではないか。自家用車は、確かに便利なものだが、それだって、維持費が必要となる。どの位か、調べたことのある人は、少ないのでは。試しに、保険会社などが、調べた結果を、示してみたい。一つは、外資系の保険会社だが、普通車で、月に2万円強となる。もう一つは、カード会社のものだが、幅があるものの、同じ車種で、比較する為に示すと、そちらは4万円強となる。駐車場代や、その他の経費は、住居地により、かなり異なるから、一概には、言えぬものだが、中間をとって、3万円程度とすれば、1日千円掛かる。買い物だけに、使うとして、タクシーなどで、代わりをさせると、どうだろうか。使い方によるが、大した違いは、なさそうである。だとしたら、命の綱を奪うのか、という論理は、どうなるのか。確かに、過疎地では、遠過ぎて、タクシーの送迎は、とか、そんな交通機関が無い、という所も、あるかもだが、自治体からの支援を、期待せざるを得ない、としたとして、交換条件に、ならないだろうか。合理性は、時に、無情なもの、と言われるが、落ち着いて、考えたら、と思う。

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1月10日(土)−陰謀論

 この所の、海の向こうの政府の、やり方は、目に余るものが、と思う人が、多いのだろう。どの媒体も、その賑わいで、活況を呈している。で、やはり、暴君の暴れぶりが、と思うのが、筋だと感じるが、本当にそうか。今、読んでいる本では、陰謀論が、取り上げられているが。
 その意味では、彼の暴君は、不都合なものを、全て陰謀論で、片付けてきて、それが、不平不満の溜まった、庶民の共感を、産んだと言われる。だが、ここで、触れてみるのは、全く別の陰謀論だ。彼こそが、その渦中にあり、それも、権力を笠に着て、国内ばかりか、国外にまで、触手を伸ばす、不埒な存在、というより、単なる傀儡であり、その背後には、彼を操る、闇の存在が、潜んでいるのかも、という話になる。確かに、暴力的な発言や、その挙動に関して、批判の矢が、向けられているが、極端な物言いに対して、多くの論理的で、穏当な批判は、全く効果が無く、結局、言いなりになるしか、方法が無い、とさえ見えている。だが、そのすぐ傍で、説明を繰り返す、腹心達は、論理の飛躍は、著しいものの、非論理的とまでは、言えない程度の、知恵を、見せているように、見えてくる。全体としては、国際法に、沿わない行為だし、何らかの、処罰の対象となる、とさえ見えるが、腹心どもの説明は、それさえも、無駄にするような、小賢しいもの、と見えている。その裏には、巨悪の存在が、見え隠れし、これは、ひょっとすると、陰謀の塊なのでは、とさえ、思えてくる。まあ、そこまで書くと、何と馬鹿げた、と言われるのだろうが、その位、どうにもならぬ話が、世界を、駆け巡っており、何か言わねば、と思う人が、巷に溢れているのだ。この荒唐無稽ぶりは、常軌を逸したものだが、民主政治の下では、何をも恐れぬ、存在となるのだろう。陰謀論程、下らないものは、無いと思うのだが、彼の言動からは、そんなことさえ、あり得ると見えてくる。後3年、辛抱するしかない。

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1月9日(金)−無料の悪

 少子化の最大の要因は、金がかかること、という意見がある。確かに、子育てには、様々に金が必要で、試算すると、とんでもない額になる。だから、子供を産み育てるのは、無駄となるらしい。これは、本当だろうか。何でも、無駄とする考えは、効率優先らしいが、これも怪しい。
 何をもって、効率を測るのか。ここにも、大きな疑問点がある。第一、誰もが、自らの存在を、考えた時に、本当に、社会に役立ち、社会から見て、効率追求が、なされているか、「その通り」と答えられるか。まずは、そんな所から、始めてみるべきだろう、と思う。社会の構成員として、効率最優先で、認められる存在は、ほんの一握りに過ぎない。にも拘らず、最近は、まるで、最重要なことのように、効率を、前面に打ち出す。愚かさの表れ、としか思えない。まずは、その点を、否定しておきたい。その上で、子育ての話を、眺めてみると、今や、恐ろしい時代、と思えることが、山のように、積み上がっている。最初、驚いたのは、子ども食堂なる存在だ。家庭が貧しく、十分な食生活を、送れていない子供を、救う手段として、考えられたもの、と言われるが、そういう施しが、悪いとは言わぬが、何故、これ程までに、大事となっているのか、首を傾げてしまう。その上、それに必要な食材や、食事の準備を、施して欲しい、との訴えが、山のように押し寄せる。どこか、狂った社会なのでは、と思うのだが、当事者達は、大真面目であり、有名人も、次々に登場する。そんな家庭状況が、どれ程まで、溢れているのか、とさえ思えてくる。これに似た状況は、学校の無償化だろう。貧しい環境では、十分な教育が受けられず、だから、社会的弱者から、脱することが、できない、と断定する意見には、賛同できない。教育は、誰もが受けるもの、という解釈は、義務教育課程に、当てはまるが、その後は、全く別の観点が、必要となる。自らが、必要とし、それを糧に、活動を続ける為、と考えれば、その為に必要となる資金は、当然、自らが用意すべきだ。明白なことを、論点を摺り替え、社会で支える、という方向に、進むことには、反対したい。基本的な支援が、税金で行われるのは、全てを、自分で用意する、という意味でないことから、明らかなのだが、それが、無償とまで行くと、過剰としか思えない。税金を納め、社会をよくすることを、優先に考えずして、どうするのか。

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1月8日(木)−議論の果て

 ただ、正しい議論の場に、したいと願うのみ、という話は、何度か書いたが、もう一度、書いておこう。何度も、書きたくなるのは、社会媒体で、こちらが、何かしらの意見を、書いた途端に、意味を取り違え、勝手に歪曲して、自分の誤った意見を、正当化しようとする、からだ。
 こんな不埒な輩は、実社会でも、数え切れぬ程、居るに違いない。その中には、大衆媒体に、顔を出して、俄には、信じ難いような、極論を展開する。その後は、社会媒体での、激論へと移り、我が意を得たり、という連中が、せっせと同意を表明するのだ。もう、どちらの媒体も、腐っている、と見る向きがあるが、それでは、社会が崩壊するのみで、救いようのない時代へと、移っていくしかない。残り少ない人生を、そんな居心地の悪い、座りの悪い所で、過ごしたいとは思わぬ。だったら、無視すれば、と言う人も居るが、現実には、身の回りの人々が、そんな汚れた空気に、触れることで、どんどん腐っていくのを、眺めるのさえ、許せないと思うのだ。だったら、もっと強力な武器を手に、戦いを挑めば、と言う人も居る。これも、分からぬは無いが、だからと言って、暴力に訴えたり、徹底的に糾弾するのは、まさに、人権の問題となるし、自分自身の存在をも、危うくしかねない。だから、議論の土俵の上で、その規則に従い、正論を突き付け、相手の発言の誤りを、指摘し続ける。暇な年寄りの、戯言と思われても、それはそれで、構わぬことと思う。所詮、悪質な人間が、大手を振って歩けるような、世の中には、まだなっておらず、良識は、何処にでも、転がっている。その中で、論理的に、議論を進め、不用意な、間違った主張を、指摘し続ければ、それなりの成果が、上がるのではないか。一部には、そんな人も、発言しているのだが、その他大勢が、兎に角、どうにもならぬ状況に、陥っている、としか思えぬ。普段なら、面倒なだけ、と思うのだろうが、一度、こういう遣り取りを、始めたからには、とことん付き合うのだろう。

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1月7日(水)−身綺麗に

 所詮、対岸の火事に、過ぎないことだ。大国が、小さな資源国に、攻め入って、その国の大統領を、拉致して、本国で裁く、という図式は、国際法では、決して許されぬ暴挙で、そのこと自体を、議論することは、確かに重要だろうが、何処か、的外れの感がある。何処が、だ。
 この暴挙の理由は、自国の民が、麻薬に苦しめられ、その供給源を、断つべきとの判断から、その後ろ盾の一人、と目される、大統領の排除に、乗り出したと言われる。その上、これらの活動資金の、源となるのが、肝心の化石資源であり、それを餌として、軍事などの活動の、資金を稼ぐ、対抗する大国を、黙らせたい、とする動きがあった、とされる。確かに、多くの被害者が、街頭で苦しむ姿が、囀りでも取り上げられ、如何に大きな問題か、世界に問い掛けている。だが、その原因が、海外から押し寄せる、麻薬だとしても、結果として、起きているのは、国内問題に過ぎない。供給源を、断つことこそ、重要と見るのは、正当に思えるが、その実、まずは、足下から、という意味では、国内の流通経路を、厳しく取り締まるべき、と考えることを、何故、放棄したのか、と見るべきかと思う。にも拘らず、その他の要因も、合わせることで、今回の暴挙に、至ったとしたら、一国の大統領として、その見識を、疑わざるを得ない。そんなことは、あの暴君であれば、当然の成り行き、と見る向きもあろうが、現実には、責任転嫁に、終始することで、経営においても、国の政においても、人気を誇ってきた、そんなやり方が、何処でも彼処でも、通用すると、決めつける動きには、もっと的確に、厳しい指摘を、すべきではないか、と思う。上手くいかぬから、仕方ないとする、一部の安易な考え方が、最近の揉め事の、主要因である、と見るべきなのでは。

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1月6日(火)−文句言い

 暴挙の報道が、大衆媒体で、殆どされず、やはり駄目だ、という意見が、囀りで語られていた。でも、今更、そんなものに、見向きもしないくせに、そんなことを綴っても、と思ったりする。批判だけが、生き甲斐なのか、判る筈も無いが、でも、正月三ヶ日は、こんなものの国だが。
 海外では、年末が近付く、感謝祭や生誕祭が、宗教背景から、主な休みとなるが、一方で、正月は、新たな年を、迎えた瞬間のみに、意味があるとされ、その後は、普通の生活に戻る、のが常とされる。だが、この国では、外から来た、それらの祭りに比べ、新年を迎えることこそ、大きな意味がある、とされるだけに、殆どの社会活動が、休止状態に陥る。情報収集に、休みは無い、とすれば、どちらの文化においても、収集のみならず、報道という形で、伝達することを、忘れてはならない、ということだが、まあ、それはそれとして、今の時代には、新聞が休刊日でも、何らかの形で、報道が続けられるから、何も止まることは無い、と見るべきかも、だ。まあ、それにしても、大衆媒体でも、画面を使って、伝えるものには、制作経費だけでなく、準備などの手間も、かなりかかるのだろう。一度、準備した番組編成を、変更したくない、気持ちも、わからなくもない。とはいえ、2年前の地震では、国内の出来事だけに、何処も彼処も、その報道ばかり、となっていて、それに対する批判が、囀りにも溢れていた。兎に角、気に入らねば、批判の発言を繰り返し、ああだこうだと、文句を書き並べる。見方次第で、様々に論じられるが、国際情勢などでは、評論家を集めることも、松の内では、難しいのかもだ。世界情勢、と言ってみても、所詮、他国間の遣り取りなら、静観しても、との判断もあり得るし、また、どんな言い訳が、出てくるかを、待ってみても、大差ないかも、と思う。何にでも、首を突っ込むのも、全てを、無視するのも、適当な加減が、必要なのではないか。

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1月5日(月)−暴挙か

 暴君が、暴挙に出たのか。それとも、正義の味方が、鉄槌を下ろしたのか。皆の反応は、3年前の軍事侵攻の、直後のように、様子見ではなく、まずは、国際法違反を、前面に押し出した。だが、それとて、正義の前では、霞んでしまいそうだ。冷戦期とは、全く違う展開なのか。
 巨大勢力が、厳しく対立する中、ある意味では、何方に与するかを、表明しさえすれば、互いに、手を出せぬ状況が、続いてきた。しかし、勢力図に関しては、壁が崩壊した後も、大した変化が無く、その中で、こちらの隣国が、面積や人口だけでなく、経済的にも、大国の仲間入りをした、ことだけが、大きな違いだった。ただ、それにより、力の均衡は、以前に比べて、複雑な様相を、呈しており、何方に与するかだけでなく、その他の要素も含め、複雑な力関係の中で、それ程の力を、有さない国や地域は、巧く立ち回ることが、求められている。おそらく、今回、大統領が拉致された国も、その点では、強力な後ろ盾を、得たと思い込んでいた、のだろう。しかし、大国が、ちょっとその気になるだけで、こんな暴挙が可能となる、その状況には、全く変化が無い。ただ、一方で、例の軍事侵攻の際には、当初、様子見を続けた国々の、政府においては、所詮、抵抗は長く続かず、占領された後に、交渉を始めればいい、との判断があったようだ。しかし、結果は、大きな見込み違いで、拙い戦略で、侵攻の勢いを失い、結果的に、退却せざるを得なかった、軍事大国は、面目を失い、その後の長い戦いが、続くこととなった。それに比べ、大見得を切っていた、今回、拉致された大統領は、戦略的にも、軍事力的にも、見掛け倒しとなり、主を失った政府が、今後どう動くのかに、注目が集まる。とは言え、他国への侵攻は、決して許されるものではなく、交渉術を誇ったにせよ、この流れは、信頼さえも、失いかねぬ話となる。これでは、今年も、混迷続きになるのだろうか。

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