囀りでの遣り取りを、読んでみると、何故だろう、と思うことが、屡々起こる。書いてあることに、腹を立てて、一方的に、その怒りを打つけたり、自分の意見を、否定された途端に、罵声を浴びせたり、時に、それが募ると、相手を排除して、二度と出会わぬようにする。
実社会では、できないことを、仮想空間に、求めている、と言って仕舞えば、その通りだろうが、こんなやり方を、自分の時間の一部ででも、していることで、歪みは膨らまないのか。そんな心配さえ、出てくるのだが、どうだろうか。いや、実社会こそ、間違っており、自分の心が痛むのに、我慢する必要はなく、相手に、罰を与えて欲しい、と言い始める。だが、そこでの遣り取りは、必ずしも、相手の落ち度とは、限らず、こちらの過ち、となる場合も、かなりあるのだろう。そんな状況で、一方的な措置を、望むこと自体が、社会性の喪失、あるいは、放棄を、表すことにならないか。実は、囀りは、ほんの一欠片であり、それ以前も、手にした端末だけでなく、机上の入力装置から、仮想空間での、遣り取りを、繰り返してきた。掲示板と呼ばれた、議論、情報交換の場は、まだ、一部の参加者の、集う所だったが、そこでの遣り取りは、今と変わらず、一方的なものであり、相互に理解を心掛ければ、穏当な話し合いや、有用な情報交換が、行われる場となったが、何事にも、自分の正しさを、主張する人や、他人の批判しか、書き込めない人間が、入ってくると、秩序が乱れ、罵り合いの場と、化していた。興味深いのは、それまで、穏当な発言しか、していなかった人間が、好戦的な人間が、入ってきた途端に、豹変することだった。これは、今も変わらず、品位や品性を、投げ捨てる人間の、多さに呆れる。議論は、結論に至るまで、徹底的に行えば、と思うのだが、こういう人種の殆どは、兎に角、勝ち負けに拘り、より良い結論には、目もくれないのだ。まあ、相手を拒否するより、自分が退いた方が、楽なのでは、と思う。
囀りに書いた話題、第二弾に移りたい。前回同様、短文の投稿を、繰り返すことで、主張したものだ。その書き出しは、前回も転載したが、次のようだった。気になる話題は、論文のピアレビュー、学会運営、学生指導、研究室運営、大学運営など、学問の世界も様変わりしつつあるが、その一方でSNS世界の歪みも。
次は学会運営について、今は昔とでも言うか、学会の賑わいは大きく変化した。一つには科研費の分野区分の役割が無くなった。以前は区分に従い応募する一方で審査はその学会関係者に委ねられた。今だと嫌う人が多いが、昔は学問分野との関わりが強かったからだ。今でもかも知れぬが、数学では翌年の配分を受ける研究者を学会が決めていたと聞く。その上で、その研究者が協力者を募り再配分をした。実験研究と違い、学会や集会の運営や情報交換が主体で問題なかったのかも。実験系は共同研究が主なのでそうはいかぬ。かつては総合研究だったものが、名称が次々変更された。今のことは以前紹介した本で読んだが、ある学問分野が始まった頃、総合研究が立ち上がり参加者を募集した。要点はその学問の実験研究をやる、と宣言すればよく、採択されたと言う。長閑な時代だったらしい。今はそんな区分も廃止され、学会との関係は癒着と断じられた。まあ良し悪しだろうが、どうか。で、学会の運営は一部を除き厳しいようだ。会員数が減り続けるようで、存続が危ぶまれる所もあると聞く。以前と違い、学会誌は電子化され印刷物が届かぬ所もある。コロナ禍では年会もオンラインとなり、人と会う機会も減った。その代わり旅行に出ずともよくなり、仕事場を離れる必要もない。さてそんな年会を続ける必要はあるか。一部の分野では修士の審査要件に発表があり、無くすのは無理だろう。でも学会じゃなく、会費を徴収しない研究会でいいのではとの意見もある。これでは、学会の存在そのものが不要かもだ。一方、会員数の減少の一番の要因は高齢者の退会のようだ。学生は必要な時だけ会員(無料が多い)となり、不要になれば退会する、という循環を繰り返す。その中で、就職後も一般会員(有料)で続けたとしても退職後は継続しない。減るのは当然と見えるがどうか。一方で、会員である利点はどこにあるか。情報収集だろうか。ネットで検索すれば、不要と判断するだろう。ある海外の学会は長年会員だった人には名誉会員の称号を与え、会費無料とする。大概の経費が要らなくなったから当然かもだ。有料会員は、投稿できるとかその他の利点あり、らしい。この方法は国内学会ではあまり聞かない。属していた所の多くは、退会を連絡すると受理されただけで、そのままだ。一つだけ、3年間の会費を納めたら永年会員にする、と言われたが、断った。意味不明に思ったが、そこは雑誌を送ってきていた。で、まあ学会運営に何が必要か。これという妙案はない。研究費が枯渇する時代に、余計なことはと思われるだけだろう。年会の意義も消えつつある。
囀りの書き込みに、反応していると、不思議な感覚に、陥ることがある。真面目に、対応しているのに、不真面目に、反応されたり、大真面目に、怒りをぶつけられたり、そんなことが、度々起きるのだ。確かに、仮想空間での、戯言に過ぎない、のかも知れぬが、どうだろうか。
先日、反応したのは、ある人が紹介した、物理学実験の、シミュレーションだった。simulationとは、今は、カタカナで表記されることが、多いのだが、敢えて翻訳すれば、模擬実験だろうか。最近は、計算能力の向上から、殆どのことが、再現可能となるから、一見、正しいことが、画面の中で起きている、と思う人が多い。教科書や、専門家の話から、すぐに、光景が思い浮かばない、そんな人にとっては、理解の為に、大いに役立つもの、と解釈する人も多い。今回の話題も、そういう人の一人が、紹介していた。当然、量子力学の原理や理論から、明らかな間違いが、指摘できる状況で、光の性質が、粒子としてのものと、波としてのものがあり、その結果として、この話題である、光の干渉縞、の解釈がなされた。こちらの反応は、そういう学問からのものと言うより、実験での証明が、行われた話であり、例の宇宙の彼方から、やってきた粒子を、大きな水槽で、計測した実験の、計測機器を、開発した企業が、提供したものだ。シミュレーションでは、その観点からの、実験は、一切行われず、結局、学問的な批判を、浴びる結果となった。でも、批判する人々も、実は、本質的な理解が、欠けており、改善の方向には、進みそうにないのが、残念至極なのだ。囀りが、議論の場として、成立する為には、そんな心掛けが、投稿者全員に、必要なのでは、と思っている。だからこそ、実験結果として、企業が示したものと、シミュレーションの違いを、提示したつもりだが、どうも、伝わらないようだ。主張ばかりが、前面に出る人々に、そういう発展的な議論は、馴染みのないもので、取っ付き難いもの、なのかもだが、そろそろ、何とかしては、と思う。
少し前から、囀りに、書き込むようになった。一度の投稿では、字数が限られており、不便を感じる人が、多いらしい。なので、ある金額を、納めることで、長文の投稿も、可能にあるとの仕組みが、使われているらしい。しかし、ほんの思い付きを、書き込むだけで、必要と感じない。
とは言え、何かしらの主張を、説明しようとすると、長くなるのは、ある意味当然だろう。仕方なく、何回かに分けて、書き込むこととなるが、読む側は、どう感じるのだろうか。仮想空間では、こういう手法は、既に確立されており、スレッドと称するものとして、皆が使っている。一連の投稿を、同じ画面に、流れるように示し、それを読み進めば、内容把握ができる、というものだ。それはその通りだが、やはり、気の短い読者には、面倒と思えるようだ。また、表示の仕組みも、どう調節しているのやら、こういった一連のものは、省かれる傾向にある、とさえ思えてくる。誰かの囀りに対して、応答する形で、書き込んだものは、比較的、目に触れやすくなるようで、今は、殆どを、その形で書き込んでいる。だが、昨日の独り言に、転載したものは、自分が、書き始めたもので、誰とも繋がらず、その意味では、不特定多数の、目に触れる機会は、かなり少なくなる。不利は不利だが、繋がりだけを、頼りにすると、話題が限定され、自身の主張を、発する場が、無くなってしまうので、少なくなることを、覚悟の上で、そちらの選択をした。案の定、訪れる人の数は、殆ど増えず、今も少ないままだし、まして、「いいね」の数が、増えることも無い。長文を、書き込む権利を、得る方法を、選んだ場合には、収益配分がある、と謳っているが、果たして、どれ程のものか、知る由もない。暫くは、この形の投稿を、独り言も囀りも、続けていこうと思うが、どうも、肝心の原稿書きが、滞っているから、そろそろ潮時かも知れぬ。
今回は、試しで、囀りに書いたことを、転載してみよう。折角書いたのだから、囀りだけでなく、こちらの読者の目にも、触れさせたい、との思いがある。だが、短文を重ねることで、完成させる論法が、転載してみたら、意外に、上手くいかず、論点が、ぼけるかも、と思う。では。
気になる話題は、論文のピアレビュー、学会運営、学生指導、研究室運営、大学運営など、学問の世界も様変わりしつつあるが、その一方でSNS世界の歪みも。まず、ピアレビューについて、英語ではpeer reviewでwikiにはその歴史も含め論文以外も紹介される。一方、論文のピアレビューについてはこんな論文がある。専門家同士が互いに審査し合うことを意味するが、その対価を求められるか、話題に。経験した人であれば、無償なことが当然と思うだろうが、今の世の中は違う考えもある。多くの雑誌は基本無償とし、報酬を支払わない。もし、多忙で時間が無く、報酬が無いなら拒否、というなら依頼時点で断ればいい。でも、職場の業績に数えられるから、という考えはそれが報酬の一つとすればいい。一方、一部の雑誌には金銭的な支払いではなく、別のもの(品物、音楽CDなど)を与える仕組みがあった。今もあるかは知らないが、そんな配慮がある場合も。ただ、音楽に興味がない人には報酬とはならぬだろう。論文審査だけでなく、研究費申請書の審査も、多くの労力を要する。これも基本は無償。この界隈の話に関係あるかどうか。興味深い論説を見つけたので、気になる人は読んでみて欲しい。少し前のものだが、逆に今では当たり前の部分があるかも知れない。意外に短く終わっている。独り言の方が長いんだ、と改めて思う。
意思の疎通が不可欠、と言われる中、意味が通じないのでは、と思った人が多いだろう。確かに、その通りなのだが、本人達は、大真面目で、間違った意味を、正しいと信じ、仲間内で、確かめ合っている。そこに、問題の根源が、あるのだと思うが、違うだろうか。
では、そうなった、根本原因は、何処にあるのか。確実なことは、言えそうにもないが、少し、感じたことを、書き記しておこう。いつだったか、ある媒体の登場で、一億総白痴化が、始まると称した、評論家が居た。それまでにも、ラジオという媒体が、世に広がっており、それが、テレビに置き換わったとしても、何も変わらない、と思う人が多い中、そう称した訳だ。理由は定かでないが、多分、それまで、耳だけに届く、情報伝達に対し、耳と目の両方に届く、情報の氾濫により、人々の考える力が、急激に衰える、と考えたのではないか。それも、人間同士の話し合いなら、双方向なのだが、媒体を通したものは、一方通行になるからだ。その結果は如何に、と考えた時、人によっては、その通り、白痴までは行かずとも、かなりの知能低下が、見られている、とするだろうが、その一方で、大した違いは無い、と断ずる人も居る。ただ、近年、その傾向が高まったのでは、という意見もあり、誰もが、手にした端末で、何処かから送られる、情報に接しており、時に、同じものを、繰り返し再生し、楽しんでいる姿から、白痴化の速度が、高まったと見る向きもあり、それが、低年齢化することから、危惧する向きも、少なくない。確かに、幼児の頃から、端末に慣れ親しみ、操作も、巧みになっているが、肝心の、脳の活動は、一部に限られ、所謂、意思の疎通、という観点からは、かなりの劣悪化が、進んでいる、との見解もある。それぞれの意見が、正しいのか、間違っているのか、現時点で、確かめることは、できないものの、一部の限られた世界に、生きるのみとなる、若者達の、言語能力の低下が、著しいことからは、心配する必要が、とも思えてくる。だが、ここまで、端末の影響が、著しくなると、手の施しようは、無いのかも知れぬ。
言語の乱れ、と称して、本来の意味と、異なる意味で、使われるようになった、言葉の紹介が、毎年末辺りに、行われるが、これは、それとは違う話題だろう。囀りでも、少し触れてみたのだが、その繋がりは、算数や数学に、苦しむ子の中には、言語理解の問題がある、との発言だった。
確かに、教科の得手不得手が、実は、そのものではなく、問題文の理解に、根源がある、という話は昔からある。成績優秀者の特徴として、出題者の意図を、汲み取る力、という話もあって、出発点から、間違ってしまえば、問題を解く力とは、違うものを、測っている、となるとの話も。ただ、今回取り上げられたのは、意味不明としか、思えないものであり、そんな誤解を、どうやって、と思った人も多いだろう。この原因を、日常会話の不足とか、世代間の情報交換不足とか、そんなものに、求める人も居るだろうが、果たしてどうか。特に、近年、際立っている、と思えるのは、同世代の中の、了解事項の存在、というもので、それによって、同世代であれば、互いに、知っていることは、何の説明も無しに、理解できる、という話だ。これは、全世代に通じるものなら、問題は起きないが、その世代にしか、理解できぬものだと、異世代との会話や情報交換では、誤解を産んでしまう。その上で、自分達は、仲間内で、それが常識と思い込み、間違いに気付かずに、話を進めてしまうから、後々、大ごとになることもある。ここで、取り上げられた、1,000円弱という話も、俄には信じ難い、解釈を当然として、互いに、何の疑いも抱かず、話が進んでいく。逆に言えば、時に、本当の意味を、知る人間にとり、そんな仲間内では、無知として断じられ、肩身の狭い思いさえ、強いられることが起きる。何とも、不可思議な状況だが、この現象、今や、巷に溢れるもの、となっているようだ。その上で、間違いを、正しいものと主張し、それに拘る人間こそが、正常と思い込むのは、どうしたものか。今や、囀りは、そんな連中の、集会所と化しており、あらゆる事柄について、誤った解釈や、極論が、罷り通る世界で、反論は、無視されるか、徹底糾弾されるのだ。狂った世界が、築かれつつあるが、仮想世界の特徴かも、と思ったりもする。