社会媒体は、当初の状況と異なり、あらぬ方へと、発展しているようだ。有名無名に関わらず、誰もが、手にした端末から、自らの考えを、発信できる、という仕組みは、情報伝達において、非常に重要な役割を、果たすとも言われたが、現状は、玉石混交どころか、石ばかりだ。
何故、そんなことに、なったのか。開発者の期待は、多分、全く別の所にあり、嘘や出鱈目が、時に、流れてきても、関係者の良識が、それらを、排除するに違いない、と考えたのだろう。だが、今や、正しい情報よりも、間違ったものが、大半を占めるばかりか、それらを、意図的に流す輩が、巣食う世界へと、成り下がってしまった。人間の心理とは、所詮、その程度のものだ、とする考えが、出されるけれど、それとは別に、どんな考えが、より優位になるか、という点への、理解の方が、遥かに重要だと思う。嘘や出鱈目は、排除すべき、との意見に、反対する人が、殆ど居ないのに、何故、こうなるのか。何故、悪意の方が、優位となるのか。答えを、見つけるのは、難しそうだ。一方で、社会媒体の、害悪が広がるにつれ、懲罰を与えるべき、との考えも、強まっている。その矛先が、媒体の運営者、管理者に、向けられると、未然に防ごうとする、動きが強まった。その結果として、今の状況は、発展途上にある、と見るべきだろうが、未熟な状態、と言わざるを得ない。昔のような、井戸端会議を、彷彿とさせる、仲間内限定の、制限が登場したり、発言自体を、公開としつつ、反論を拒絶する、設定が登場したり、本来の目的から、逸脱する方へと、進み始めたことは、人間の心理の、狭隘さを、思い起こさせる。自浄作用などと、言われたことも、嘗てあったが、今や、諦めに似た、空気に満ちた世界のようだ。
虐めは、ある頃から、急に、視点の転換が、起きた。加害者の意識が、重要とされた時代から、被害者のそれが、最優先とされたからだ。この転換は、意識の変化を、引き起こすとともに、社会現象の見方が、180度変わった、とさえ言われた。確かに、そうかもだが。
それから、四半世紀以上の、時間が流れて、世の中の雰囲気は、どう変わったのか。加害と被害、という二面性より、別の感覚が、浸透してきた、ような気がする。どちらの立場でも、自らが、恵まれていない、とする考え方が、大半を占める、ようになったのだ。それはおかしい、という意見もある。加害者は、あくまでも、虐め続けており、被害者は、あくまでも、虐められている。そこには、何の変化も無い、とする考え方だ。でも、意識せずに、害を及ぼしていたら、どうだろうか。ある日突然、被害の訴えが起き、そこから、全面的な攻撃が、始まるのだ。意識の有る無しに関わらず、被害者が、受けたと訴えれば、裁きを受けねばならない。だからこそ、あらゆることに、慎重さが必要、と言われるが、それが原因で、皆が、萎縮している、と見えるのは、どうだろう。何事も、手を付けようとする前に、相手が、どう受け取るかに、思いを馳せる必要がある。確かに、配慮の行き届いた社会は、誰にとっても、快適なものとなる筈、と言われたが、その実、全く違う社会が、構築されてしまった。この話、実は、硝子の天井と、似ているのではないか。そんな気がするが、さて、どうだろう。こじつけにしか、見えないだろうか。でも、差別と言われた部分に、目を向けると、確かに、そこには、歴然とした差がある、ように見える。でも、逆に、優先とされ、特別扱いを受けてきた、そのことについては、どうだろうか。そこには、差別意識は、一切無いと言えるか。受け取り方で、変わってしまう、と言われると、誰もが、絶対と言い切れぬ、そんな状況が、ありそうにも見える。はじめの話題に、戻ってみると、被害者中心の考え方が、実は、別の歪みを、生じてきたことに、気付けるのだが、では、どうしたら、となると、簡単には、答えが得られぬ。はて、さて、どうしたものか。
硝子の天井は、海の向こうの大統領選挙で、絶対的な優位を、伝えられていた、女性候補が、思わぬ敗戦に、見舞われた時、発した言葉として、有名なものだ。嘗ての、解放運動の戦士の一人として、活躍した人物は、その後も、表舞台で活躍し、大きな期待を、背負っていた。
だが、策士とも伝えられた、対抗候補の、意味不明で、不規則な、発言の数々に、悩まされた挙句、破れ去ったことは、あちらでの、女性の扱いについて、考えを、改めねばならぬ、との声が起きた。女性の社会進出について、遥かに遅れている、と何度も言われ続けた国が、ひょんなことから、女性宰相を、担ぐこととなり、皆の驚きが、広がったが、その後の経過は、どうだろうか。それまでも、女性というだけでなく、偏った考えの、持ち主との評判だったから、とても務まる筈が無い、との声が大きかったが、その後の経過は、予想外のものとなり、嘗て、鉄の女と呼ばれた、あの人物との類似を、口にする人さえ居る。だが、まだ僅かな期間しか、経過しておらず、このまま、長期にわたる政権を、維持できるとの声には、依然として、疑う人が多いようだ。ただ、新たな政策として、次々に出されるものの、一部には、正体不明と、酷評され続けた、前宰相が、始めたものもあり、一概に、彼女の功績、と見るのは、早計だろう。今国会で、議論される予算案も、前の夏に、概算要求が、出されたものだけに、その成り行きを、見守る必要は、あるに違いないが、全てを、手柄と見るのは、危ないように感じる。その一方で、注目すべきは、他の女性官僚であり、その一人は、国の財布を、預かることとなり、その動向に、注目が集まる。特に、外遊での遣り取りが、その場での対応を、主体としたもので、言語能力のみならず、元官僚としての、政治能力を、発揮したものとして、高い評価を、受け始めている。それも、各省庁の、予算状況に、変化が起きたことへの、財務からの発言として、将来に渡る計画を、縷々述べる姿には、従来の、税制のみに、目が向く大臣とは、明らかに異なる、姿勢が見えており、期待が膨らむのは、当然かも知れぬ。いずれにしても、女性の進出を、向こうよりも先に、実現したことは、評価すべきだろう。一方で、向こうの事情には、所謂、lady firstなる、不思議な習慣が、影を落としており、心の奥底に沈む、澱んだ差別意識が、見えているようだ。
意思疎通が重要、という意見に、反対する人は、居ないと思う。だが、誰の意見でも、大歓迎か、と問われたら、どう答えるだろう。おそらく、大部分から、意見の中身による、となるのではないか。では、そんなことの典型が、社会媒体で、起きていることを、ご存知だろうか。
はて、と思う人は、多分、普段から、社会媒体に、接していないのだろう。偶でも、覗いていれば、意見の遣り取りの末に、決別となった例を、眺めることもある。実社会で言えば、「絶交だ!」の一言だが、社会媒体では、一方がもう一方を、接続できなくする、いわゆるブロック、と呼ばれる手立てがある。これにより、それを仕掛けた人物の、発言が、目に触れることがなくなり、相手の反論も、目にせずに済む。執拗な攻撃に、心を病んだ、という話が、日常となる中、管理者が設定した、保護の仕組み、のようなものだろう。詳細は、それぞれの媒体で、異なるようだが、実社会の「絶交」が、まさに、当てはまるものと思う。こちらでも、無関係な人から、噂を聞くこともあり、そういったことは、起き続けるから、気になる向きには、効果絶大とはならぬ。一方で、はじめから、そういった措置を、取ることができる、媒体も登場した。発言そのものは、公開としても、それに対して、意見が述べられるかを、限定する方法だ。五月蝿い連中を、排除すれば、心の平安を、保てるということで、好んで使う人も居る。だが、意見によっては、卑怯千万と思えるものも、あるのではないか。先日も、大震災後の事故から、漏れ出たものの、危険性を、論じる書き込みが、あったのだが、内容の杜撰さに、呆れ果ててしまった。ところが、この発言は、意見の限定を、かけており、愚かな意見が、何の異論も掲げられず、そのまま放置される、という状態となった。発言者の倫理観に、呆れ果てるだけだが、人格をも疑わざるを得ず、海の向こうの暴君同様、禁止措置の必要性さえ、感じられた。これは、極端な例だが、はじめの話のブロックも、意見交換の場として、似付かわしくない、と思える。主義主張を、押し通したい、との心持ちが、現れただけなら、ただ幼いだけ、と見たくなるからだ。
性差による差別は、枚挙に遑がない、と言われるが、実態は、種々雑多であり、一様に語るのは、どうかと思う。男女共同参画が、社会問題として、前面に押し出されたのは、前世紀の末頃からだが、四半世紀を経ても、理解は、一向に進まず、対策も、不十分なまま、と言われる。
でも、と思うのは、理解不足なままに、対策を、という考え方で、一体全体、何がしたいのか、と思うことも、多々あるのだが、その一方で、無理解のまま、批判を続ける人の多さにも、呆れるばかりとなる。差別解消と称して、優遇措置を、設けた途端に、逆差別との声が、上がるのも、その典型の一つだが、それまでの歪みを、解消しようとする、別の歪みを、批判する態度には、差別意識が、露骨な場合が多く、賛同を得られぬのも、当然と思う。例えば、国会議員の男女比は、この国は、世界的低位にあり、批判の声は、止みそうにない。ただ、解消の手段として、一部の国が、法制化したことには、疑問も残る。数値目標を、設定した上で、金銭的な支援を、調整する方法も、あるようだが、これもまた、逆差別との批判が、ないとは言えない。その中で、大学への風当たりが、最近強まっているのは、どうだろう。教員募集における、女性限定について、特に男性から、強い反対の声が上がり、憲法違反と断じる場合もある。だが、男性優位の職場が、長く続いた中で、その解消を目指すには、他に手段はない、とも言える。元々、任期制の導入で、若い世代に、強い圧力がある、と言われる中に、別の差別的な措置、と言われるが、これら全体に、差別と断定するのは、如何なものか、と思う。女性比率を、上げると言っても、教員が、日々接する学生自体に、偏りが見られるのも、何度も指摘されることで、これもまた、解消の手立てとして、女子枠、と称する入試制度の、導入が始まり、こちらにも、憲法違反と見る向きが、増えているようだ。だが、逆に、高校入試で、共学校が、男女同数を、目指すこと自体にも、疑問の声が上がる中、見方次第で、差別となるのは、理解に苦しむ。女子枠に関しても、憲法違反の主張には、海外の例を引く場合が、多いようだが、頓挫した例では、まさに議員と同様に、ある割合を、目標値と置く話で、その場合には、違法となりそう、との懸念から断念したという。一方で、こちらの女子枠は、実際には、募集人員を、定めているとは言え、それに達することが、決まった訳ではなく、他の入試制度との比較の上で、合否を決めるようで、その数を、満たさねばならない、となっていないようだ。その中で、憲法違反は、的外れと思うが、どうだろう。
暴君の発言は、為替相場に対する、口先介入のよう、と見る向きもある。違いは、法律を盾に取り、正当化することで、現実のものとする点だが、今回の如く、違法行為と断じられれば、元の木阿弥、現実に、引き戻されることとなる。誰にとって、有利なのかは、どうでもなのだ。
で、口先介入に、話題を移そう。嘗てから、海の向こうから、為替操作の疑いの目が、向けられてきた。政府の介入は、市場原理を崩し、健全な状態を、侵すものと、散々言われ続けてきた。だが、ここに来て、先月、不穏な動きがあり、世界に激震が走った、と言われた。突然の相場変動に、皆の目が、海を挟んだ、両政府に向けられたが、双方共に、関与を否定した。だが、当時も、話題になった、レートチェックなる行為が、実際に行われたことが、明らかとなり、それが、こちら側の要請ではなく、あちらの、それも、財務の頂点に立つ、あの人物によるもの、と明らかにされた。ここまでくると、口先だろうが、何だろうが、自分達の思うがままに、世界を操ろう、との思惑が、露呈している。件の人物は、民間に居た頃、他国との関わりで、評価が高かったようで、その路線のまま、今の地位に、君臨している。だが、今回の顛末は、これまでの評判とは違い、裏の顔とでも言うべき、立ち回りのようだ。違法行為でさえ、確定するまでは、合法とでも、言いたげな暴君と、直接関与ではなく、口先だけのもの、とでも言いたげな、今回の為替操作について、どんな解釈を、するのかは、聞かずとも、明らかだろう。何も、悪いことはしておらず、国益を最優先に、立ち回っただけ、となる話について、一々付き合うのは、辞めておいた方が、良さそうに見える。こんな瑣末なこと、とでも言いたげな、自信たっぷりの表情は、暴君も、その参謀も、同じ穴の狢、としか見えない。今後、どんな展開が、起きるのか、知る術も無いが、それにしても、余りの身勝手さ加減に、呆れるだけだ。
判決が、間も無く出る、と言われた頃は、期待する声が、高まっていた。海の向こうの暴君の、暴挙に対して、司法の鉄槌が、下される、と思われたからだ。と言っても、構成員は、自身の都合に合わせて、任命したのだから、万が一にも、と高を括っていただろう。
だが、結果は、敗訴である。その権限は無い、との判断が、示されたことで、彼が、大好きと言って憚らぬ、関税は、無効とされた。その途端に、世界中に、喜びが広がったが、あっという間に、別の地獄へと、突き落とされた、と言われる。暴走を続ける人間に、怖いものは、一つもなく、ただ、引き合いに出す、法律をすり替えれば、それで、事が済むというのだ。流石に、唖然とした人が、多かったのではないか。だが、居並ぶ記者の目前で、高らかに、ぶち上げたのは、10%の追加関税、を発動するという演説だ。徐々に、明らかとなるのは、法の抜け穴とも言うべき、状況だろう。権限を、行使する為に、必要となるのは、勿論のことだが、それを適用すれば、議会が、無効の採決を、下すまでの時間が、かかるとの見込みから、次の、新たな措置を、全く別の法律で、固めようとの意図が、あると言われる。その上、高ければ高い程、満足感が得られる、とばかりに、金貸し典型の、守銭奴の如く、一夜にして、15%まで、引き上げたとなる。その一方で、徴収した関税は、減税の原資として、使いたいからだろう。あらゆる法的手段を、講じることで、還付を逃れようとする、との報道もある。まだ、任期は、半分以上が残っており、このまま、突っ走れば、どうなるのか。誰にも、そして本人さえ、見通せないのだろう。何しろ、あらゆる手段を講じて、自分の主張を、押し通そうとするだけでなく、その肝心の主張が、二転三転どころか、落ち着くことさえ、ないようなのだ。国内事情も、混乱の一途だが、国際情勢についても、同様の混乱が、引き起こされている。利己的な考えを、相手に押し付け、無理難題を、突き付けるなど、相手にするのは、辞めにしよう、との意見が、出てくるのも当然だ。交渉という手続きにも、この調子で、横暴な振る舞いが、続いているだけに、何が起きるのか、誰にもわからないのだ。こんなやり方が、当たり前となると、子供の教育にも、悪影響が出そうだ。言うことを聞く必要は、無いとの証左が、そこにあるのだから。