暴君の暴走ぶりに、世界中が、振り回されている。その中、よく聞こえてくるのは、目的は何、という疑問だろう。確かに、紛争地域の問題に、遠くから、口だけでなく、手まで出す必要は、無いように見える。だが、少し違う見方をすると、何か、見えそうな気もする。
一つは、前の任期だったか、あの国の首都を、認めたとの話だろう。それだけ、肩入れしており、周囲との軋轢など、歯牙にもかけず、我が道を行く、という感があった。その関係性から、今回の暴挙も、起きたと見る向きがある。確かに、海の向こうにとり、あの民族との関係は、以前から、深いものとされ、政治への介入も含め、金銭的な支援も、長きに渡り、行われてきたとされる。それは、二大政党の何方にも、通用する話であり、暴君独自のもの、ではないとも言える。一方で、暴君の国にとり、敵と見做した国は、嘗ての王政から、革命により、現体制に変わって以来、様々な形で、邪魔な存在、と思われており、その延長線上において、意外とは、言い切れないとも見える。ただ、核開発に関しては、強い拘りがあり、今回の決断も、その辺りに、最大の理由がある、と見る向きもある。とは言え、最初の攻撃以来、二転三転する動きに、訝しむ声も大きい。ただ、こちらについては、あまり触れられないが、一つの見方が、ありそうに思う。それは、株価の動向や、為替の動き、更には、原油価格の変動などが、暴君の発言や、突然の動きの数々で、激しさを増すことで、暴落や暴騰が続く中、一部には、それにより、利鞘を稼げるのでは、との推測が、飛ぶからだ。確かに、政治に携わる人間が、直接、相場に手を出すことは、禁じられており、今回に限らず、厳しい目が向けられる。前の、下院議長が、不正取引に関して、取り沙汰されたのは、記憶に新しいが、本人だけでなく、周辺の人間が、関わることさえ、疑惑の目が、向けられるのだ。だから、政権内に、居座る親族が、それに手を出すことは、ほぼ不可能と思えるが、遥か遠くの存在に、発言前に、情報を漏洩したら、と想像することは、難しくはない。ただ、何処迄が、その範囲なのか、知ることは難しい。多分、辞めた後の話が、出てこない限り、発覚することもない。その上、就任中のことは、罪に問われぬ、とまで言い続けた人物だ。何もかもが、藪の中、となるだろうから、触れるだけ無駄、かもだ。
依然として、意味不明な、攻撃(?)が続いている。初めの、爆発的なものは、隣の大国に、吸収された地域、からのもので、紹介したように、評判の悪い所だったが、今は、増加速度は、かなり落ちたものの、海の向こうの大国の、DigitalOceanという、場所を起源とする。
暫く、静観を続ける、と書いたように、今すぐに、何かをすることは、行わない。接続拒否を、するにしても、所謂、IPを鍵として、制限をするには、余りにも、多種多様過ぎるし、同じ組織からでも、発信国が、異なることに、愉快犯の、不埒な意図が、見え隠れするからだ。こういう場面では、確かに、傾向と対策が、不可欠に思えるが、一方で、不特定多数の相手では、鼬ごっこの様相は、否めない。だから、静観を続けるうちに、飽きるのでは、と期待するしかない。便利なものの、暗闇を、眺める気分だが、致し方無い。独り言では、これまでも、傾向と対策という、効率良いと言われる、手法の問題点を、度々、指摘してきた。特に、教育現場では、試験対策の一つとして、唯一無二のもの、との見方があり、大学入試でも、受験校相手の、赤本なる資料が、販売される程だ。そういう悪弊に、毒されているのは、現場の人間も、であり、先日も、愚かな提案を、掲げる話が、囀りに出ていた。一つは、理科教育の、一貫性のようなもの、と思えるが、初等中等教育での、理科教育の流れが、不規則であり、積み上げ方式に、なっていないことを、批判するものだった。評論として、発表されたものを、紹介していたが、劣悪な考えにしか、思えない。丸暗記は、忌み嫌われるが、ある意味、詰め込み教育が、あの年代における、勉強の中心であり、そこに、積み重ねを、強要すると、抜け落ちたものの、修復に終始する、手間暇を、上級に進む程に、かける必要が出る。一見、妥当に思えるが、その害悪たるや、現場の混乱のみならず、児童生徒への、強い圧力にしかならず、馬鹿げたものと思う。もう一つは、大学教員が、提案したもので、特に、理科教育で、広く学ばせることが、大学での学習に、不可欠とのものだが、これもまた、基礎を固めさせ、将来への、傾向と対策を、講じる目的に、思えるもので、余計な手間暇を、強いるものでしかない。所詮、関連性無く、出鱈目に、並んだ知識を、身に付けさせるものを、将来への備え、と言った途端に、破綻が目に見える。教育に対する、誤った思い込みの典型であり、英語教育でも、散々批判されたが、懲りないのは、人間の性なのだろう。
原因不明の、接続急増が起き、対策を、講じるべきか、少し調べてみたが、その後、接続元に、変化が起きて、更には、増加の勢いが、衰え始め、どうしたものか、と考えている。連日、こんなことを、書いているうちに、海の向こうの暴君は、意味不明な妄言を、吐き出す始末なのに。
本来であれば、管理する場を、守る為の手立てを、講じるべきかと思うが、こういう迷惑行為の多くは、以前のような、愉快犯による、幼稚な行動とは異なり、少しだけ、複雑になった、と思える。それは、対策にとっては、複雑さを、増す方向に行くから、迷惑さも、増すこととなる。ただ、魂胆が、単に、愉快を得たい、とのものなら、早晩、飽き始めて、次の標的を、見つけるに違いないから、それまでの辛抱、との見方もある。何度も、書いてきたことだが、ネットワークというものが、実体を伴う、人間間のもの、と見られた時代と違い、今は、仮想空間での、実体を伴わず、儚い存在である一方で、無限に広がる、とさえ思える、空間での出来事で、何かを問うたら、即座に、回答が寄せられ、地道に、調べる手間が、省けたことが、発展の力、となってきた。確かに、回答は、玉石混交だが、その中に、求めたものが、転がっており、自身で調べるより、遥かに、手間の掛からぬ、便利な存在となりつつある。その一方で、今回の迷惑のように、一部の、よからぬ考えを、持つ人々による、出鱈目な行為は、面倒を持ち込み、平穏な空間さえ、波を立たせるものとなる。手に入った、利便性は、確かに、大きなものだが、人によっては、それに伴う、迷惑の大きさや、それへの心の乱れを、強く感じるだろうから、やはり、ある程度の、制限を導入する必要が、あるのだろう。だが、人間の数と、その多様性は、膨大なもので、一々対応するのは、容易なことではない。となると、何ができるのか。多分、子供の遊びの如き、飽きっぽさが、伴う行動と見て、罰する面倒を、持ち込むよりは、放ったらかしに、することの方が、簡単なのでは、とさえ思う。これ以上に、何かしらの問題が、起きたら、その時は、考えることに、したいと思う。
こんなちっぽけな場所に、何をしたい、と考えたのか、知る由も無い。大手の場所ならば、影響も、大きく出るかもだが、小さな所では、管理者が、考えさせられるだけだ。ただ、昨日書いたからか、その後、同じ地域からの接続は、激減した。ただ、それで、終わりではない。
その後、接続数は、激減したものの、依然として、不可思議な状況は、続いている。場所は、異なるものの、その度に、違う国々からの、接続が行われ、昨日話題にした、指摘のような、ある企業の関わり、とは思えぬ状況が、起きているようだ。だが、それとて、その多くが、接続を仲介する業者の、提供するものであり、そこと、契約していれば、あるいは、その契約者のものに、不正接続できれば、実行に移すことができる。社会全体に、便利になったのは、事実なのだが、その一方で、不正行為を、防ぐ仕組みの構築は、遅れており、それだけ、犯罪者に、都合良い時代と、なってしまった。犯罪が、発覚する度に、対応策が、講じられるが、当然、後手に回る訳で、防ぐことには、ならないままだ。その中で、今回のような事象が、犯罪と結び付けば、独り言についても、管理者が、責任を問われかねない。となれば、後手になろうとも、何らかの措置を、講じる必要が、あると言える。少し調べてみたが、ある仕組みで、そのサイト自体への、接続を拒絶する、設定ができることが、分かった。ただ、今更、そんなことを、することに、意味があるかは、不明だし、今回の騒動のように、次々と、接続元を、変更し続けるのが、犯人の手法だとすれば、鼬ごっことなることは、想像できる。だから、という訳でもないが、愉快犯の、楽しみに付き合わず、まずは、様子を見るのが、適切なのかも、と思っている。さて、どうなることやら。
昨日の午前中までは、何事も無かった。だが、午後に入った途端に、異変が起きていた。独り言には、誰が訪問したかを、確認する為もあり、カウンターを設置している。前々から、書いているように、訪問者の数は、殆ど増えることなく、四半世紀近く経ても、6万を上回る程度だった。
だが、昨日突然、その数が、百の桁で増え始めた。誰が、そんなことを、しているのかを、確認してみると、それは、隣の大国に、吸収された地域からの、接続であることが、確認できた。その後も、数分毎の接続が、繰り返され、今日の早朝4時まで、続いていたが、そこで、一旦、止まった。ように見えたのだが、また、先程から、再開されたようで、同じことが、繰り返されている。どんな輩が、そんなことを、行っているのか、首を傾げるしか、ないのだが、念の為に、検索してみたら、こんな書き込みが、そのドメインについて、以前、行われていた。受け取り方は、様々だろうが、邪魔をする、という意味での、SPAMを使って、迷惑行為を、表現しているのは、その通りだろう。数分毎であれば、大した影響も、及ぼさないが、これが、秒単位となり、それより短い間隔で、行うことも、機械的には、可能だろうから、そこに、発展する可能性も、無いとは言えない。だが、どんな目的で、こんなことが、行われるのか。そちらに関しては、想像するしかないが、これまでにも、独り言で、触れた話題に関して、何かしらの影響を、及ぼした可能性も、無いとは言えない。さて、そうだとして、こちらから、できることは、と考えても、多分、無駄でしかない。所謂、愉快犯の如きものなら、極端になる場合を、除けば、放置するしか、手立ては無い、と思える。今、これを書いている間も、せっせと、機械的な反復が、繰り返されており、終わりそうにない。一部の仕組みでは、接続を拒否することも、可能なようだが、独り言は、単純な表示方式だから、それを組み込むのは、面倒なだけだ。傍観と言うか、見て見ぬ振りが、精々なのかな、と思いつつ、今日の所は、放置することにする。
投資に対する考え方が、変わったから、という見方を、紹介したのだが、実際には、それだけでは、ないようだ。確かに、金や時間を注ぎ込む先が、変わったことも、あるのだが、それよりも、当事者達が、投資そのものに対する、考え方を、自分の都合に合わせて、変えたようだ。
半世紀前には、聞いたこともない言葉を、最近の若者は、好んで使っている。聞いたことが、あるだろうか。コスパとか、タイパとか、そんな言い回しだ。どちらも、何かしらに対して、注ぎ込んだものに対して、どの程度の効果が、得られるか、というつもりで、使っているらしい。コスパは、費用対効果と言われ、注ぎ込んだ、金銭に対して、どれ程の効果が、得られるのか、という意味であり、昔から使われた言葉を、若者らしく、短縮して使うようだ。一方、タイパは、殆ど聞いたことが、無かったのだが、時間対効果となる。こちらは、どれ程の時間を、かけたかにより、数値が違ってくるらしい。昨日の話で言えば、教育を受ける中での、効果とは、どれ程の能力が、身に付いたのか、とか、どれだけの知識が、身に付いたのか、という意味と、思えるのだが、若者達の中では、そういう意味より、課題を終わらせる、あるいは、講義の単位を取得する、という、目標の達成という意味で、使うことが多いらしい。ただ、今書いたように、課題とか単位とか、ある意味、卑近な目標でしかなく、自分への投資、という意味での、金銭や時間に見合う、獲得物との比較、とはなっていない。特に、能力としては、形に表せぬものが、殆どだろうに、この言葉達を、好んで使う連中は、形にしか目が向かず、課題を終わらせたとか、単位を取得したとか、その場だけの、目標にしか、目が届かない。これでは、能力獲得には、程遠いものでしかなく、効果と呼べるような、対価を手にすることは、殆ど無いに等しい。にも拘らず、何が何でも、費用や時間を、如何に小さなものにして、何かしらの成果を、手にしようとする。これでは、将来、役に立つような、何かしらの能力を、手にすることは、期待できず、ただ、右から左へ、物を送るだけの、ことにしかならない。まあ、こんな連中は、そんなことしか、教わることはなく、自分で、何かの課題を、見つけようとは、決して思わないから、それで終わりなのだろう。
投資と聞けば、今は、資産運用であり、手にする金を、如何に増やすか、という話になる。でも、半世紀程前には、自分自身に、投資する、という話があった。これは、単純に、金を注ぎ込むだけでなく、時間をかけて、自身の能力を、高めたり、学歴を手にする話だった。
単純に、金を手に入れるだけなら、義務教育を、終えた所で、職に就き、収入を確保すれば、それでいい筈だろう。だが、より高い収入を得たり、社会的地位を、高めたいと願えば、上の学校に通い、知識を豊かにしたり、能力を高めたり、することが必要だった。それを指して、自分に、投資すると言ったのだが、いつの間にか、そういう話を、聞くことが無くなった。一つには、進学率が高くなり、高校へ進学するのは、当たり前となり、遂には、半数以上の人々が、大学に進むこととなった。これでは、改めて、投資などと言う必要は、無くなり、皆が行くから、自分も、との考えが定着した。だが、そこで、一つの大きな問題が、生じてきた。投資という言葉で、意欲を表していたのが、当然となれば、意欲の有無は、関係なくなり、そこでの差は、親の収入の多寡に、依存することとなった、と言われた。本人には、その意思が無くとも、誰もが、大した努力もせずに、進学できることは、平等の観点から、歓迎すべきことだったが、その一方で、より高度な世界への道は、そこに、注ぎ込むことができる、資金の有無に、左右されることとなったのだ。だから、その差別を、解消する為には、無償化が、不可欠との論理が、罷り通ることとなったが、この論理には、明らかな誤りがある。本人の意欲を、測ることなく、単純に、機会を与えることが、必要と見るのは、おかしいと思える。これについても、反論はあろうが、現状は、まさに、その問題が、噴出しており、現場の混乱が、高まり続ける。それに加えて、携わる人間が、同様に、無責任な考えで、対応しているから、状況は、悪化の一途を、辿っている、ように見える。改めて、老後の資産より、前にあるべき、資産構築に向けて、自身への投資を、金も時間も、注ぎ込む必要がある、と思う。これを、無償としても、無駄にしか、ならないのだから。