何を信じれば、いいのだろうか。詐欺に、騙される話ではない。ある意味、権威を持った、大衆媒体が、堂々と報じる、出来事の中身だ。何故、こんなことが、と思うような話が、実しやかに、流され続ける。大元を辿れば、恐らく、囀りなどの、社会媒体に、行き着くのだが。
最近の事件に、興味が湧かないのは、何故か。少し考えて、思い当たるのは、関係の有無だろう。他人事とは、よく言われるが、事件そのものの、凶悪性や重大性が、何処かで、指標のずれが生じ、どうでもいい、と判断する。多額の金品が、白昼堂々と奪われ、それが、同じ人物が、関わる中で、国を跨いで、発生した、という報道に、どれ程の人が、注目しただろう。仮想空間で、集められた人間が、一般家庭に、強盗に入り、時に、住民の命までも、奪ってしまった、という事件に比べ、こちらへの関心は、一向に高まらない。理由の一つは、金額の多寡で、その上、それらを、外国に、運ばねばならぬ、理由も、大きな要因となった。案の定、そちらの世界の出来事、であることが、徐々に明らかになり、所謂、内紛にも似た、現象なのでは、と思うしかない。子供が、行方不明になり、大々的な捜索が、実施されても、一向に、足取りが掴めず、放送は、毎日、あてにならぬ情報を、垂れ流すばかりで、推測は、何の根拠もなく、囀りの世界でも、飛び交い続けた。捜査方針は、当然の如く、明らかにされぬまま、迷走を続ける、と見られたが、その実、犯人の当ては、当初からつき、泳がせることで、証拠を、掻き集めていた、ようだ。異様な状況に、興味を抱いた人も、居たのだろうが、こちらからは、得体の知れぬ話で、何処か別世界の、話にしか、見えていなかった。死体として、発見された状況も、理解不能な情報ばかりで、死因さえ、不明とされた。最後に、関わった親族が、予想通りに、逮捕され、自白を始めた、とされるが、その内容は、警察の記者発表が、操作された、と思えるもので、自白だけでは、覆されるとの、懸念の表れか、とさえ思えてくる。また、すぐ近くの、国と呼ばれぬ、島の報道は、盛んに、外国出身者、と伝えていたが、事実無根と、片付けられつつある。根拠は、週刊誌記事とされたが、そんな記述は、一切無かった、と今更の如く、伝えている。これら、全ての顛末から、信用ならん、と結論付けては、心外と言い返されるのか。
情報社会である。入ってくる話に、目を光らせ、耳を澄まさねばならない。と言われるが、本当にそうだろうか。これだけ、嘘や出鱈目が、流れてきて、騙されぬよう、心掛けねばならない、のは、どうなのか。情報と言われるが、塵や石ばかりで、拾っても無駄、なのでは。
そんな思いを、抱きつつも、毎日、新聞を読み、テレビを見て、ネットに接続する。どうせ、無駄に違いない、と思いつつも、何か、大切なことが、あるかも知れぬ、と思いつつ。で、結果は、殆ど変わらず、何も新しいことは、起きそうになく、悪いことも、言われる程には、起きていない。でも、と思うのは、件の暴君を、はじめとして、政治家達の言動が、何とも頼りなく、そして、嘘や出鱈目も、満載ということだ。これでは、任せておけない、のではないか、などと考える人も。だが、民主主義の国で、選ばれた人間を、敢えて、退場させることは、ほぼ不可能だ。一方で、独裁国家では、尚更に、困難な話で、諦めるしかない。連合の中で、異論を唱え、軍事侵攻が、起きた時さえ、同調することなく、連合体制を、危うくさせていた。その人物に関しては、長く続いた政権を、やっと、手放したと伝わる。で、どう変化するのか、まだ分からぬ。特に、暴君との繋がりが、今の混沌状態を、招いたと言われるだけに、あの人物が、退陣したとしても、大した変化は、起きないかもだ。とは言え、これまで、一人の反対により、支援を受けられず、窮地に追い込まれていた、あの国の状況は、好転するのかも知れぬ。まあ、これとて、情報は錯綜しており、軍事侵攻自体は、何の変化も、起きておらず、やはり、このままかも、とさえ、言われている。ただ、季節は変わり、一時に、劣悪な天候は、去っただろうから、資源への懸念は、少し和らぐかもだ。その上で、武力の争いには、どんな変化が、起きるのか。こちらにとっては、石油の問題の方が、遥かに大きく、扱われるが、結局、全部、同じ器の中での、話なのかも、だ。
教育現場の混乱は、深刻なものらしい。とは言え、混乱するばかりで、解決法が見つからず、ただ叫ぶだけ、と見えるのは、何故だろうか。厳しいかもだが、そんな印象を、覚えている。世の中の変化に、追従することが、叶わなくなり、ただ、あたふたしているだけ、なのかと。
何が、問題なのか。当初は、従来の課題が、通用しなくなった、と言われた。つまり、人間の頭と手で、与えられた課題の、解決法を、導き出すのが、学習に繋がる、とされていたものが、人工知能の介在で、人間の関与が、著しく薄くなった、からなのだ。だとしたら、何をさせれば、と考えた途端に、戸惑っているらしい。一部には、自分で出したのか、機械が出したのか、その区別を、明らかにする為に、一人ひとりに、説明させれば、という意見があるが、多数を対象とする場合に、時間や手間が、膨大となる、と言われる。一方で、誰かの助けを得て、という形は、以前もあった訳で、それ自体は、悪いこととして、指摘されず、問題視されなかった。何故、友達やら本やらを、頼りにするのは、構わぬことで、機械が、全部やってしまうのは、いけないのか、きちんと、説明できない人が、居るようだ。課題を与える目的は、負荷をかけて、そこでの手続きを、経ることで、何らかの学習効果が、得られる、とされてきたが、その手順の殆どを、機械が代行しては、効果が見込めぬ、と言われる。だが、本当に、そうだろうか。何処まで、依存するかによるが、ある程度の助力は、誰もが、必要とする所で、それを得て、解決策を、講じられれば、それでよし、との考えもある。この二つに、どんな違いがあるのか、今一度、考えてみるべき、なのではないか。だとして、何をどうすれば、という点について、現場が、何も考えないのでは、やはり、大きな問題がある。まして、その人々が、その答えを、人工知能に、尋ねてしまうと、どうしたものか、と思えてくる。世の中、依存ばかりで、自立への道を、目指さぬようでは、もう、おしまいかも、だ。これを読んで、何か、考えてみては、どうだろうか。
生成人工知能の問題は、当初、学問の世界で、取り上げられた。と言っても、初めに起きた問題は、大学での教育への、悪影響とされ、その直前に、世界規模で起きた、感染拡大から、現場の取り組み方が、通信によるものへと、変貌したことが、強く影響したようだ。
遠隔講義なるものが、便利なものとして、緊急事態が、収束した後も、継続される中、試験を課したり、課題を提出させたり、などにより、専ら、評価を下していたものが、その仕組みを通せば、誰もが、満点を取れたり、それなりの提出物を、簡単に、手に入れられたり、評価そのものを、蔑ろにする動きが、高まったからだ。その後、悪影響は、絵画などの芸術や、映画の世界へと、飛び火した、と伝えられ、関係者の権利保証が、喫緊の課題、とまで言われた。偽物を、発見する手立てが、講じられる一方で、仕組みを通った作品は、その徴を残す、との取り決めも、大真面目で、検討されていた。だが、それでもまだ、文学作品については、遠い未来、とさえ言われたが、短編で名を馳した、人物の名を冠した、文学賞では、急激に、人工知能を活用した、作品の応募数が、増えたとある。活用の有無を、知らせぬままに、審査を進めたら、受賞作の大多数が、活用したものだったとなり、遂には、審査を辞退する人が、出たとまで伝わる。確かに、大学での騒ぎでは、課題の内容を、伝えただけで、機械が作ったものを、そのまま、提出することが、問題とされたが、文学賞の応募では、そこまで、劣悪な態度で、応募した人は、ほんの一握りだろう。だが、程度の差はあれ、何かしらの助力を得て、書き上げられたものを、自分の作品と、断言できるかについては、一考の余地は、ありそうに思う。だが、そこまで、話が進むと、途端に、嘗ての絵画作品は、工房での制作に、よるものだったとか、一流の小説家も、助手の調査や、数々の助言で、内容が浮かんだとか、そんな話を、持ち出す人が、出てくるに、違いない。何処に、線を引くべきか、現時点では、答えは、見つかりそうにない。その中で、審査という過程があり、受賞すれば、何かしらの賞品と名誉を、授けられる、となれば、どうすべきか、難しい所で、辞退する気持ちも、分からぬでもない。俳句、短歌や標語などの、応募作が、他人のものだった、という時代から、機械の介入となり、評価する側ではなく、作る側の矜持が、試されるということか。
まだ、早過ぎるかもだが、騒ぎは、収まったように思う。といっても、広い世界の話ではなく、ちっぽけな「独り言」の世界の話だ。以前書いたように、ある日突然、数百の閲覧数となり、徐々に、閲覧は減ったものの、その内、別の場所から、接続するようになった。
この間、これも書いたことだが、隣の国のある地域から、突然の閲覧が続き、対策を、講じる必要が、あるかもとばかり、検索したら、まさに、そこからの迷惑閲覧が、起きた事件が、報告された。対策は、確かに、講じられるが、とは言え、無制限の措置は、馬鹿げたもので、暫く、様子を見ることとした。すぐに、閲覧数は、数分から一度から、1時間に数回となり、暫くすると、1日に数回となった。何か、特定の目的を、果たすものではなく、単なる愉快犯、と見做せば、その通りかも、と思っていたが、その後、海を渡って、あちらの方から、別の形での、閲覧が増え始め、と言っても、大した数では、なかったものの、暫くの間、続いていた。それも、音無しの状態となり、そろそろ、終わったのかも、と思い始めた所だ。で、何か、目的があったのか、については、不明なままだ。こちらのサイトについて、検索を繰り返したが、何も見当たらず、囀りにも、出てこない。まあ、そんなもの、と思っておけば、いいのかもしれぬが、それにしても、迷惑な話だ。更に、今の社会で、流行っている考え方に、従ってみれば、不安や心配が、募るとでも、言っておけば、とさえ、思えてくる。そういう意味で、この形での、情報社会の構築には、何とも、迷惑千万な、悪影響が、含まれている、と言えそうだ。自分が、書きたいことを、書ける場があるから、それだけの、利益を得ている筈、との見方もあるが、だからと言って、何やら得体の知れぬ、攻撃、とは必ずしも言えぬが、を、受ける必要がある、とは言えそうにない。また、勝手な独り言とは言え、その内容が、誰かにとり、不都合極まりない、となることは、ありそうにもないのだ。ま、とは言え、収まったのなら、それで、終わりとしたい。と願うばかりだ。
昨朝の経済番組では、「異次元緩和」の継続で、知られた前総裁が、登場していた。交代後、金利を上げる方向に、進み始めたことと、物価上昇との関わり、更には、経済成長への期待、などの話題が、論じられていたが、感じたことが、二つあった。もっと別の感想も。
緩和を続けた結果、実は、この国の経済は、停滞期から、脱することが、難しくなっていた、との意見が多い。物価上昇の兆しが、見え始めても、一向に、考えを改めないことから、信頼は、揺らいでいたと思うが、その理由も含め、今の状況に、見解を示していた。だが、そこで示された、一つの図表に、強い違和感を、抱いた。同じものではないが、この記事の中の、売上高純利益率の図表が、彼が紹介した、企業収益率の推移と、似たものに思える。違和感は、高度成長期の、率に比べて、停滞期後半の率の方が、遥かに高い点で、そこからは、既に、回復が起きていた、とも言えることだった。にも拘らず、緩和政策を、継続することで、企業の利益が、更に増す方向へと、進めたのは、何の為だったのか。大企業への優遇策、と見做されても、否定できない程だ。これを、正当化したのが、今回の見解の、異様さの一つであり、もう一つは、この人物が、率の推移を、知りつつも、尚、緩和を続けたことが、交代しか、解決の手段がない、という点を、明白にしたことだ。古今東西、この図式に、変化は無く、拘れば拘る程に、方針転換は、期待できなくなり、結果、首を挿げ替えるしか、手立てが残らない。まさに、そのことを、実感させるものだった。だから、今の動きにも、当時の考えを、すっかり忘れたかの如く、平然と、賛同する訳だ。これに対して、囀りでは、呆れたとの反応が、続々と寄せられ、不平不満を、吐き出す人々が、散見された。だが、それとて、身勝手な意見の、表れでしかない。議論は、確かに、大切なのだが、相手を、屈服させて、改めさせる程に、追い詰めるのは、容易なことではない、と解った気がした。
海の向こうの大統領は、暴君ぶりを発揮して、世界情勢に、暗雲が立ち込める、と言われるが、その一方で、彼の動きを、察知することで、濡れ手に粟の如く、儲けを、産み出す人がいる、と言われる。確かに、暴君の囀りで、相場は、一喜一憂させられ、それが、儲けと繋がる。
この話を、以前書いたが、ここ数週間の動きからは、全く別の推測が、可能となる。毎週末、世界には、不安と心配が、広がることで、週明けの相場は、下げる傾向にあった。今日も、その一つとなる、との推測が浮かぶのは、交渉が、互いの主張を、突きつけるだけで、不調に終わったからだが、それも、腹心に任せ、自分は、高みの見物とした、暴君のやり方が、大きな要因となった。それも、腹心の中でも、今回の動きに、反対した人物を、派遣するという、異例の判断で、世界の期待を、集めることで、暗礁に乗り上げた場合の、効果を、更に大きくした、とさえ見えてくる。もう一人の腹心である、長官は、今回の敵に対して、厳しい対応を、言い続けており、また、攻撃に加わった国へも、支援を惜しまぬ姿勢を、貫くことから、もし、こちらが派遣されれば、はじめから、成立の可能性が、ほぼ無い状況、となっていた筈であり、期待が、膨らむ筈も無かった。それが、副大統領となれば、正反対の結果を、期待することで、先週末の相場は、好転していたのだが、交渉の結果は、期待外れとなり、週明けは、荒れそうな気配が、漂う。だが、これらの流れは、特段、想定外とも、言えないのでは、と思う。筋書きから見れば、徹底攻撃を、続けることが、攻撃に加わった、二つの国が、想定したものであり、ある程度の、成果は上がったものの、依然として、反撃を続ける、当事国と、その支援を受けた、各地の組織を、徹底壊滅しよう、との思惑は、依然として、大きいままだろう。さて、この不安定の中で、相場が、どう動くのか。不安や心配は、残っているだろうが、結局は、戦地以外では、ほぼ正常な、経済活動が、続くと見た方が、良さそうにも見える。