パンチの独り言

(2026年7月6日〜7月12日)
(何が悪い、本の商売、裸の王様、耳が痛い、的確、まだまだ、劇中歌)



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7月12日(日)−劇中歌

 先日、紹介した、学芸会の思い出。劇中歌は、思い出せるし、節も、出てくるのだが、本歌が、浮かんでこない。散々、検索を、繰り返しても、別の歌ばかりが、表示され、当たらない。どうしたものか、と思い、一度は、諦めたものの、今朝、もう一度、別の検索をしたら、出てきた。
 劇中歌は、「見えない、見えない、見えないぞ、俺は、馬鹿なのか、馬鹿なのか」という詩で、その節で、歌えるのだが、譜に、起こせないので、検索ができず、結局、本歌の、詩の一部を、探ってみたら、出てきた。文部省唱歌で、秋という曲名、同じ、秋の虫を、題材にしたもので、虫の声、という曲があり、そちらばかりが、表示された。途中の詩の、「むし、むしのこえ」という部分で、完全一致を、検索したら、出てきた。映像があるので、興味のある人は、聞いてみて欲しい。当時の、学芸会では、おそらく、学校教材として、この替え歌を含み、台本を揃えて、提供されたのでは、と思う。子供達には、習った曲を、劇中歌として、歌うことで、達成感も含め、意味のあるもの、だったのだろう。当時は、学校でのいじめも、あったにはあったが、その後の、陰湿極まるもの、に比べて、問題視、されるものでは、なかったと思う。更に、その後の、平等感優先の、学芸会での大合唱やら、運動会での、皆で、横一線で走る、徒競走など、下らない行事へと、変貌したのに、比べると、各人に、それぞれの役をあて、皆で、一つの作品を、演じさせる姿勢は、学校教育として、まともなもの、だったと思う。ただ、先生による、依怙贔屓など、時に、目に余るものが、出てくるに従い、平等感優先が、罷り通るように、なっていったのでは。今は、どうなっているのか、全く分からないが、学芸会も運動会も、続いているようで、教育の一環として、尊重されるようだ。子供達の心に、どんな印象を、残すものに、なっているのか。心配しても、仕方ないものだろう。それぞれの、受け止め方があり、それぞれの、記憶がある、のだろうから。

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7月11日(土)−まだまだ

 無能な学者は、有用な数式も、役立つ理論も、提案できぬまま、目の前で、起きた事象を、後付けの説明で、実しやかに、予想できたこと、と宣い続ける。果ては、政治家に取り入り、大臣の地位まで、手に入れた挙句、気に入らぬ、競争相手や、企業などを、標的として、打ち壊す。
 そんな人物が、好んで使ったのが、市場原理なる妄言だが、ここで、何度も、書いたように、原理どころか、人々の、移り気な心理に、振り回され、その挙句に、煮湯を飲まされる、そんな光景しか、残っていない。需要と供給は、使い古されただけで無く、その頼みとする、図式の如く、市場価格が、動くという話は、今や、嘘でしかなく、何の根拠も無く、あの人物が、得意とした、後付けの説明、にしか、使われない。騒動となった、主食の値段も、報道の煽りが、功を奏したのか、一気に、上がった後は、供給が、如何に整えられても、びくとも動かぬ、高値が続く。この所、報道は、せっせと、値下がりを、叫び続け、このままでは、生産者の生活が、脅かされる、などと、例の如くの、勝手な論理を、展開しているが、それとて、何の根拠も無く、ただ、無責任に、垂れ流すという、いつもの煽りの、典型に見える。改めて、監督官庁が、毎月、発表する、報告を眺めると、ここまで、書いてきたことが、的を射ていることが、はっきりとする。その一方で、では、何が、価格を決めるのか、と問われれば、業者達が、操作した上で、市場が、受け入れれば、と仮定するしか、ないように思う。ただ、それにしても、数年前の、倍を超える、市場価格に、至った後は、僅かな値下がりでは、とても、以前の水準には、戻らぬように、見えてくる。では、何が、何処が、適正価格なのか。改めて、検討するなら、生産者が、経費として、組み込む支出と、彼らの労賃として、時間給ではなく、年間の収入として、算出したものを、足し合わせた上で、単位当たりの、売価を、設定する必要がある。それが、消費者にとり、論外であれば、米離れが、余儀なくされ、最近の、物価上昇と見合う、許容範囲なら、それが、新たな水準と、なるのだろう。さて、そろそろ、新米の準備を、すべきでは。

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7月10日(金)−的確

 図星なのだから、誹謗中傷で、訴える。となれば、当然のこと、となるのが、近年の傾向か。だが、書き手が、匿名なのではなく、相手が、特定できぬ場合、それは、誹謗中傷となるか。多数の中で、問題として、捉えられ、改善を促された時、自分のことでは、と思ったからと。
 被害妄想が、著しくなり、その上に、被害者保護、弱者保護、という考えの下に、発言者の意図は、考慮されることなく、無思慮のままに、記事の削除や、訂正、時には、謝罪へと、発展することもある。だが、個人を、特定できる形で、謂れのない、批判をされたなら、まだしも、最初に書いたように、図星なのであり、それが、本人も含め、その他大勢に、当て嵌まる話、だったとしたら、それは、削除、訂正、謝罪の必要性を、掲げること、となるのか。最近の状況は、何度も、取り上げてきたように、ハラスメントの如き、理不尽な扱いから、馬鹿げた判断を、導き出すという、愚かな社会の、構築を、せっせと進めている、ようにさえ見える。特に、教育現場では、権利主張により、当人達の、成長を考えて、進められる指導や助言を、いとも簡単に、否定する暴挙が、罷り通っている。すぐに、心が折れる、弱虫どもや、権利ばかりを、主張して、自らの義務や務めを、果たそうともしない、馬鹿者達に、味方する、非常識が、横車の如く、押し通される。このままでは、崩壊するのみ、と思うからこそ、厳しい叱責を、飛ばす場合も、あるのだろうが、それらは全て、暴力と断じられ、弱い者を、虐めるだけ、と否定される。確かに、弱虫は、心も脆く、すぐに、倒れてしまう、のだろうが、では、今のように、放置して、事が済むのか。怪しいと言うより、間違い、と言った方が、正しいと思う。何の配慮も無く、悪を放置する考えには、呆れるばかりだが、こちらも、ただ批判し、虐める訳では、決してない。相手の心持ちから、考えれば、虐められている、と思うことでも、今、必要なことを、伝えた上で、それを身に付けさせて、いるだけのことだ。それが、図星となったとしたら、それこそ、今必要なことで、動かねばならぬ、と思わぬのか。

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7月9日(木)−耳が痛い

 喉元過ぎれば、とは違う話だが、不足と価格の関係は、何度でも、出てくるものだ。今回のも、突然の爆撃で、紛争地域から、手に入れる原材料が、枯渇するから、中間材料も、との話だった。政府は、正反対の調査結果を、発したものの、中間業者達は、事情が違う、とした。
 で、まだ、不安定ではあるものの、協定が結ばれ、供給は、正常に戻る、と言われた。直後の、燃料の値上げも、その後の、中間材料の枯渇も、摩訶不思議な論理で、説明されたが、需要と供給を、見守って来た、政府からは、心配無し、との声明が、発せられた。がしかし、その後も、同様の状況が続き、不安と値上げの波は、収まる気配が、見えない。数年前の、米騒動も、背景は、大きく異なるが、業者の主張が、罷り通ることで、不足と値上げが、押し寄せて、その後、僅かな変化しか、見えていない。ただ、そろそろ、破綻の兆しが、見え始めて、暴利を貪る目論見が、雲散霧消する、とも思われている。今回のものも、早晩、そういう事態を、迎えそうだが、馬鹿騒ぎに、夢中になった、報道は、また、知らぬふりをし、黙り込むのだろう。半世紀前にも、オイルショックなる、言葉が、紙面や画面を、賑わし続け、市民が、何の関係も無い、トイレットペーパーを、買うために、店を走り回った。風が吹けば、の論理は、どうとでも、展開できると、その時も、盛んに、揶揄されたが、人間の頭は、そんな簡単なことでも、学習できぬもので、何度も、同じ過ちを、繰り返す。それに乗じて、暴利を貪る、業者が居るのも、古今東西、変わらぬもので、何を慌てて、喚き立てるのか、という点と、それを使って、国や自治体から、何かしらの利を、得ようとする、愚かで、さもしい、考えに囚われる、庶民には、冷静な判断など、不可能なのだろう。毎回、思うことだが、買い占めする人々も、末端で、慌てて走り回る人も、そんな暇があるなら、もっと、役立つことを、したらどうか。図星は、歓迎されぬもので、また、文句が並ぶだけだろうが。

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7月8日(水)−裸の王様

 四年に一度の、お祭り騒ぎ、それも自国を含めた、地域での開催、となれば、愚かな暴君が、何かと口出すのは、当然と見る向きも、あるだろう。だが、権力を笠に着て、周囲を、やり込めるのと、世界的なお祭りを、身勝手に、操るのとは、全く、話が違うだろう。
 そんな、絵に描いたような、顛末に対し、皆が、口々に、罵ったのは、当然の反応、だったのだろう。ただ、今回の戯れ事を、眺めていて、思い出したのは、小学校での、劇を演じたことだった。他国から、やって来たのは、著名な織物師で、不思議な服を、織り上げる、と評判だった。それも、人の愚かさにより、愚か者には、見えない服を、織り上げると。城の一室で、織り上げられた、布地は、そこに居た誰にも、見えなかったが、王を含め、誰も、それを口にできない。そんな始まりの、物語を、小学生が演じるが、最後に登場する、子供の役を、やりたいと願ったものの、背の小さな同級生に、割り当てられ、涙を流した思い出が、ある。それでも、見えない服に、どうしたら、と戸惑う役人の役を貰い、劇中歌を、歌ったのは、遠い思い出だ。にしても、その服を、着たつもりになり、城下町を、行列をなして、進む王を指差し、裸だと、声を上げたのは、例の少年だった。見かけの愚かさに、心を奪われ、正直さを、失う人間の、本当の愚かさ、という話なのだが、今回の顛末も、それと似たことでは、と思える。周囲は、愚かな暴君に、嫌われぬよう、様々に、取り入るのだが、実際には、それが、如何に愚かなことかに、気付く気配も無い。その上で、自分が下した判断を、さも、当然のもので、妥当なものか、という点に、言い訳を並べる姿は、あの役人と重なる。ただ、あの物語との違いは、今回の話の馬鹿らしさが、あまりに明白で、誰もが、気付けるだけでなく、その愚かさを、口にしたり、書き連ねたり、とすることに、何の躊躇も、感じない点にある。あの暴君を、大統領に掲げる国は、今回の暴挙でも、恥を晒したが、彼を選んだ責任は、国民全体が、負わねばならぬ。その意味では、あの子供の如く、暴君の愚かしさを、糾弾する人間が、国にも、党にも、出てくる必要が、あるのだろう。

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7月7日(火)−本の商売

 先月読んだ本に、「書店を守れ!」、があった。今までも、この手の本を、読んだが、今回のものは、小説家が、書店経営に乗り出し、業界全体を、盛り上げよう、とするものだった。その意味で、店主や書店員が、著したものとは、随分と様子が、異なっていた。
 それも、経営に主眼を置き、何が問題で、どう変えるべきか、などの具体的な、提案をしていたのが、興味深かった。以前、読んだ本にも、小説家が、著したものが、あったが(2024年12月)、期待はずれだった。確かに、誰かを、悪者にして、解決を図る手法は、度々、使われてきたが、現状からは、どれも無駄だった。根本的な、考え方の違い、と言えば、その通りだが、今、進行形で、取り組む姿勢には、大きな違いがあった。ただ、無駄かも、とも思う。何しろ、活字離れではなく、本離れが、深刻だからだ。その中で、特に、面白かったのは、書店を、文化施設と見る、との考えで、一部の自治体が、経営を支援し、書店消滅を、防ごうとする、動きに対する、意見があった。結局、経営と見れば、売り上げが、全てであり、買い手が出ねば、何も変わらぬ。その意味では、博物館等が、今、危機に瀕し、取り上げられるが、これも、文化施設で、税金投入の是非が、問われている。同じでは、と思うが、どうか。更に、拡張すれば、図書館も、同じ状況だが、こちらは、人気本を、多数揃えるなど、出版界からは、批判される。本の売れ行きには、殆ど影響なし、とこちらの本では、結論付けたが、どうだろう。また、以前から、何度か書いたように、購買層として、富裕層が、図書館に、入り浸るのは、どうか、との意見もある。だったら、納税額により、図書館の本の、利用料の徴収も、ありなのでは、とも思う。半世紀以上前には、貸本屋なる商売が、成立していた。子供向けも含め、多くの本が、廉価で、貸し出されていたのだ。業界全体の、金の巡りを、促す為には、何でもただ、という考えを、時と場合に、使い分けることも、必要なのかも、と思う。どうだろうか。

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7月6日(月)−何が悪い

 ハラスメントは、忌み嫌うべき、言葉だと思う。入ってきた当初から、その定義に、怪しげな匂いがし、身勝手な論法が、使われていた。元々、差別の観点から、弱者保護が、声高に訴えられ、一方的な、要求ばかりが、掲げられたから、真っ当な考えからは、異常に見えたものだ。
 その後、舶来趣味か、西洋礼賛か、そんなことまで、加わったことで、市民権を得た、と言われたが、今でも、まともでなく、歪んだ考えの、表れとしか、見えていない。批判は、幾らでもできるが、矛盾だらけの考えに、満ちていたとしても、自己中心的な風潮では、揺らぐことなく、無理難題を、押しつけ、横車を、押してくる。ペイハラ、についても、従来ならば、権力の集中した環境で、業務にあたる、医師の立場が、頑強であり、揺るがぬもの、と見られたが、ハラスメント風潮から、そんなことさえ、破壊できる、とでも見られたか。有る事無い事、並べることで、反撃にでも、出たつもりなのだろう。確かに、医師の倫理観も、低下が著しく、権力を笠に着て、好き放題を、やり続ける、不埒な輩が、目立つように、なったことから、批判が集まるのも、止むを得ない。だからと言って、何でもかんでも、とはいかぬもので、医療事故が、起きた背景を、無視した挙句に、訴訟に持ち込む、例も、数知れずある、と言われる。地方都市では、産科医院が、消滅した所も、あると聞くが、医療事故が、頻発したのも、その要因と言われる。病気になるかは、時と場合によるが、生き物である以上、次の世代を、産み育てることは、避け難いことで、その場が、失われるのは、尋常ではない。少子化の問題も、こんな所に、影を落とすが、それにしても、何と、生き辛い時代に、なったものだ、と思えてしまう。そんなことの、一方での、ハラスメント騒ぎには、他人事でしか、ないとしても、どうしたものか、と思える。この言葉が、悪い訳では、ないのかもだが、そんなことが、罷り通る社会は、何かが狂っている、としか思えないのも、事実だろう。倫理、道徳、心の問題なのか、それとも、何か、他の要因でもあるのか。

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