一週間、本の話題を、きっかけとして、感染症に対する、疑問を並べてみた。結論は、何も分かっていない、のだろう。それを、報道は、恰も、これが答え、とばかりに連呼する。嘘を並べ、結果が、全く的外れでも、臆することなく、同じことを、繰り返し続ける。社会媒体も。
感染の定義を、変更したのは、ある目論見からだろうが、見事に、外してしまった。病原体の保有、そのものを、眺めてみても、次の感染に、繋がるかどうかは、今の所、知る術がない、ように見える。なのに、言い出したからには、引っ込みがつかず、目論見通りに、事が進むとばかり、一つ覚えを繰り返す。だが、生き物の反応は、絵に描いたようには、ならないようで、お粗末な結果が、闇に捨てられた、と勘繰りたくなる程、何の情報も、流れてこない。確かに、一部の学者が、盛んに、擁護するように、科学的な解析は、なされているのだろうが、それが、社会に反映されず、却って、誤解を招くような、言説ばかりが、流れてくるのは、害悪でしかない。でも、決定打が、放たれないのでは、致し方ない。感染爆発の頃、書いた記憶があるが、前線で活躍する、との評判と共に、出演した医師が、質問を受け、感染がどう起こるのかを、説明していた。身の回りのものを、掴んだ手で、顔を触ると、そこに病原体が付着する。それが、喉の奥に到達すれば、感染が起こる。と、まあ、そんな具合に、大飛躍を含む論理に、ひっくり返った。顔から喉の奥に、どう到達するかは、医師にとり、どうでもいいことなのだ。外から体に、どう付着するか、という、初期段階と、喉の奥で、病原体が、細胞に取り付くことが、感染となる、という、最終段階が、説明できれば、成就する、とでも言わんばかりに。飛沫感染、空気感染、あらゆる感染経路を、考える必要が、と言われるが、大元の感染源は、何なのか。不顕性感染者なのか、接種感染者なのか、両方なのか、それ以外には、と続く。8割おじさんも、忘却の彼方だが、あの話も、怪し過ぎる。3密とて、今も取り沙汰されるが、意味不明だ。SARSの時、封じ込めが、功を奏した、と言われるが、新型の時は、何故、都市封鎖さえ、無意味だったのか。結局、何も分からぬまま、次の襲来に備えろ、と言われる。
確かに、用語の混乱が、起きている、に違いない。だが、だからと言って、制度の運用が、出鱈目でいい、とはいかぬもの。著者が、戸惑ったのは、差別的な措置、だからだったのだが、もし、この混乱から、運用の目的、とされたことが、何の意味も持たぬのなら、愚策でしかない。
こうなると、感染者だろうが、検査陽性者だろうが、お役所的には、同じ人間を指す、ということだ。だが、接種後の感染者と、未接種の感染者に、何の区別があるのか。定義からすれば、病原体を保有するか、という点では、何方も同じ、に見えている。だが、旅券発行の条件は、接種の有無であり、それが、感染拡大を、抑止するとの話は、病原体の保有、という観点からは、成立しそうにない、と思えてくる。だから、執拗に、その点を、明確にせよ、と訴えている。ワクチンの副作用が、などという問題とは、全く無関係であり、その論争と、同じと見るのは、明らかな誤りだ。本当に、接種によって、重症化が防げて、それにより、命が救われるのなら、自分自身だけの問題として、接種すればいい。だが、社会的な問題として、感染爆発を、防ぐことを第一として、その為には、皆が接種する必要が、と論じてしまうと、怪しげなもの、となってしまう。この点を、開発後の報告から、取り上げているが、一向に、新たな見解が、発表されない。その一方で、次の爆発が、と煽り続ける、愚かな報道や、研究機関の動きには、信頼に値する態度が、見えていないのだ。確かに、定義の変更を、決めた時には、その基準により、拡大を抑え込める、との見通しがあった。だからこそ、発症しない陽性者が、巷に出てきた時、それみたことか、とばかりに、一気呵成の批判が、飛び交ったのだ。だが、接種が始まると、情勢に、微妙な変化が、生じてきた。特に、開発過程の、接種の効果が、報告されると、定義が、決定的なものから、怪しげなものへと、変貌したように、感じた人も居る。違いを、際立たせるような、データが出されれば、また、違った展開が、起きるかもだが、現時点では、何方の感染者も、周囲に、病原体を撒き散らす、という意味では、変わらないようにしか、見えないのだ。
そろそろ結論を、と思いつつ、調べ始めたのだが、愕然としてしまった。書きたいことは、感染の定義が、大きく変更され、それにより、感染者の扱いが、複雑になった、ということだが、肝心の事柄について、分かったつもりだったものが、大きく外れていた、からである。
要するに、感染症とワクチンの関係で、感染者の定義が、曖昧なものとなり、扱いに違いが出た、と思っていたが、実際には、出発点からして、全く違っていた、ようだ。改めて、感染の定義を、検索してみたら、監督官庁の資料では、「感染症」とは、病原体が体内に侵入し、増えることで、体に異常が生じる状態、とあった。では、「感染」とは、と調べると、別の情報源には、病原体が、体内に侵入し、発育または増殖すること、とあった。ただ、「感染症」については、内閣の部局には、症状が出る病気のこと、とあって、上に書いた、発病の段階ではなく、病気全体を、指すこととなる。これまでの知識では、後者の定義が、馴染み深いもので、前者の、発症を指す感覚は、理解に苦しむ。ただ、こうせざるを得なかった、理由には、何となく、思い当たる。学会が、感染の定義を、改めることで、病原体が、体内に存在するか否かを、判断の基準と置いたことで、それ自体が、発症とは無関係に、扱われることとなった。つまり、それまでならば、発症して、症状が現れた所から、受診して、症状の診断と共に、検査により、病原体の有無を、確かめるのだが、感染が、症状とは無関係に、扱われると、検査のみが、独り歩きすることとなり、発症の有無は、感染そのものとは、無関係となる。これが、無症状の感染者、という、すぐには理解できない、括りを、表面化させた。保菌者とか、不顕性感染とか、呼び名があるようだが、ここでも、前者は、何となく聞いたことが、あるように思うが、症状が出ない人を、特に保菌者とは呼ばない、ような気がする。何れにしても、従来の理解が、通用しない所から、感染症への対策が、講じられてきて、感染症爆発の当時も、感染者との括りに、違和感を覚えていた。独り言の中では、検査陽性者、と呼ぶことにしたが、おそらく、この呼び名の方が、理解しやすいと思う。その上で、発症するかを、別の用語で、表現すれば、良かったのだろうが、結局は、感染症という、違う意味に、使われた用語を、用いてしまったことが、混乱を招いた。どの道、不確かな定義だから、とでも言うのか、困った話と思う。その上、それらを、旅券の運用に、使ったのだから、迷惑千万だ。
ここ数日、本の話題に繋げて、感染症の問題を、指摘してきた。となると、途端に、運動家が、擦り寄ってくるかも、と思うのだが、今の所、そんなことは、起きていない。こちらの主張は、問題点を、指摘するだけだが、運動は、反ワクチンとかで、もっと過激な展開となる。
体に、異物を入れる、という行為自体を、問題視する動きは、古今東西、続いてきた。医学の進歩に対し、反対運動を起こし、問題を指摘するが、はて、その根拠は、と思うことばかりで、一部には、とんでも、と同じと見做す、動きさえある。確かに、今度の開発では、それまでと、異なる仕組みが、使われており、不思議に思う、人も居るのだろう。だが、それだけでは、根拠薄弱である。危ない、の一言で、何事も済ます風潮は、最近の傾向だが、だからといって、本当に危ない、感染症の問題を、無視する訳にもいかぬ。仕組みや、その為に、注射液に含まれる、ある要素に対して、危険性を、論じるのは、本人の勝手なのだが、危ないとか、何が起きるか分からない、との根拠は、脆弱なままだ。だから、付き合うつもりは、毛頭無い。一方で、こちらが、問題視したのは、本の著者が感じただろう、差別の問題でもなく、その根拠とした要因が、科学的に、矛盾したもの、と見えたからだ。感染、という現象そのものの、基準を変更したことで、混乱を招き、医学的な見解さえ、危ういものへと、なりかねぬ事態、と思えている。現時点では、確かな説明は、施されぬまま、先へと進んだが、結局は、忘却という形で、決着したように見える。だが、それは、また、同じことが起きれば、問題となる。免疫が、感染のどの段階で、効力を及ぼすのかは、何となく、解った気で居た。外から入った、病原体を、やっつける、と信じられたが、発症という意味では、それで、解決済みだった。ところが、感染の基準を、体内の、病原体の有無に置く、となっただけでなく、検査の精度が、恐ろしく高められ、僅かな存在でも、陽性と判断する、となった途端に、訳が分からなくなる。今回の問題は、その上で、陽性者を、感染拡大の元凶、と呼んだことで、あれとこれは、同じか違うか、の問題が出てきた。免疫学者は、感染死を、免れれば、それでよし、とするようだが。
では、問題は、何処にあるのか。旅券は、何かを保証して、それを頼りに、判断するとなるが、今回取り上げたものは、何を基準に、保証したのか。接種した人は、すぐに、感染を広げず、感染爆発を、防ぐ為、と答えるだろう。政府や役所、世界機関でさえ、そんな指針を出した。
でも、開発した企業は、全く異なる報告を、出したのでは。元々、コロコロと、姿を変える病原体を、相手にした時、それに対する免疫を、獲得させることは、難しいと言われた。病原体を、無毒化するか、あるいは、その一部を取り出し、それを、標的とする、抗体を作らせる。免疫という、現象について、そんなことを、誰もが、学校で習ってきた。今回の、爆発的感染を起こした、病原体については、姿を変える速度が、あまりにも速く、折角標的を、用意できたとしても、それを、皆に接種する頃には、違う種類が、流行しており、抗体は、それを認識せず、空振りに終わる、と言われてきた。だが、全く別の手法で、標的を、接種者の体内で、作らせることで、今回は、開発できたという、朗報が、世界を巡った。但し、それに付随した、説明書には、気になる記述が、あった。接種により、感染しても、検査陽性にはなるが、発症しても、重症化しない、と謳ってあった。成る程、接種者の命が、助かる可能性は、確かに、上がっただろう。だが、感染そのものを、防げないとしたら、他の人に、広げる可能性は、どうなったのか。これは、無症状陽性者、と呼ばれた集団と、何処が違うのか。後者は、感染拡大の要因、とまで言われたのに、接種者は、病原体を有しても、他人に、伝染させることは、無いのか。この答えが、いつまでも、得られぬままに、旅券制度が、実行に移された。そこに、大きな問題が、あるのではないか、と思っていて、何度も、指摘してきたが、例の著者は、それとは別だが、拒絶されることを、忌み嫌い、移住を決断した。とはいえ、熱りが冷め、今では、何処も彼処も、すっかり、忘れている。だが、あの感染症と、ワクチンの問題は、片付いていない。
旅券は、本来、国が人物保証し、そちらの国への、入国を、求める為のものだ。それに倣って、ワクチンを、接種した人間が、相手国への、入国を、許可される、という図式だけでなく、店や施設に対しても、入ることを、許可せよ、と定めたものが、ワクチンパスポートだ。
あの本の著者は、何らかの理由で、接種をしなかった、と推測される。すると、国や役所が、旅券に似せた仕組みを、導入することで、入店を、制限し始めた。圏内は、既に、異国ではなく、出入国という、手続きを、必要としないが、国内の、料理店などに、入れない事態が、生じた。それが、差別的な措置、と映るのも、ある意味、仕方ない面がある。ところが、別荘のある国では、この扱いが、かなり異なり、店の判断で、入ることが、認められ、何か、不都合があっても、制度を、曲解することで、すり抜けていた。それなら、もう、住んでいた国を去り、新しい国に、移住しては、との決断を、下したのだろう。心理的なものが、ほぼ全てだから、自己都合が、何とかなれば、障壁は、殆ど無いに等しい。その上、本にあるように、別の問題が、次から次へと、発生しても、何とか済ませられる。そんなことが、綿々と、綴られていた。肝心なのは、国民性の違いだろう。あの地域の、南の方に、住む人々は、何事につけ、楽観的であり、あの感染症騒動でも、何とか、乗り越えてきた。ただ、やはり、感染拡大には、厳格な制限の方が、効果を及ぼし、前に住んでいた国は、比較的、死者数が少なかったが、南の方は、総じて、被害が拡大した。ただ、だからと言って、暮らし方を、一変させる、訳ではない。楽観は、そのままであり、それでも、互いに、気を配ることはする。ただ、その程度であり、政府が決めた規則は、守れる範囲で、守るだけだ。それで、何かが、大きく変わる訳ではない。なのに、彼方の国は、あれ程、圧力をかけた、と恨みつらみが、連ねられていた。ただ、問題の根本は、そこでも、無いと思う。続きは、また。
今月読んだ本で、面白かったのは、在外邦人が、ある国の限界集落に、住んでみた話だ。元々、圏内の、別の国の都会に、その国生まれの、配偶者と、住んでいたのが、ある時、思い立って、限界集落に、古くからある家を、別荘にしよう、と思い立ったことから、始まった。
はじめは、休暇を過ごす、との目的だったが、あることを、きっかけにして、移住を、決断した。こちらの、似た集落を、思い浮かべても、事情が、余りに異なり、想像できぬことが、矢鱈と出てくる。まずは、言語の問題、あの圏内では、協力関係が、構築されたが、共通言語が、ある訳ではなく、互いに、自国語を、操るだけでは、意思疎通が、ままならない。その上、文化的な違いも、かなり大きく、異国人の夫婦でも、何方にも、理解不能なことが、度々起きて、戸惑うばかり、と綴られている。別荘のように、一時滞在であれば、まだ、辛抱できるかも、だが、移住となると、そうも行かぬ。その家の、前の持ち主も、外国人だったらしく、どうしていたのか、と想像しても、答えは見つからぬ。言語の問題は、こちらの限界集落には、起きないのだが、一方で、その土地土地の、文化の違いについては、曲げられぬ事情が、必ず生じてくる。その結果、継続を、断念せざる状況が、生まれることも、度々あるようだが、この著者達は、何とか過ごしているようだ。何故、別荘ではなく、移住となったのかは、詳しく書かれているが、例の感染爆発と、それに続いた混乱が、最大の理由のようだ。ただ、著者は、翻訳を生業にするだけに、何処に住もうが、関係がなく、配偶者は、職業に触れるが、何故、その国で、住み続けられるのかは、見えてこない。長年住んできて、確かに、都会の生活で、便利だったのだろうが、所詮、賃貸では、老後への不安も、出てきたのだろう。だが、決定打となったのは、ワクチンパスポート、なのだそうだ。彼方では、入店制限など、多くの制限が、厳格に実施され、それが、障壁となった。それに対し、移住先では、政府は、謳ったものの、末端の店舗は、さほど厳格でなく、その違いが、大きな魅力となった、とのことだ。此方でも、同様なことが、暫く起きたが、今は、沙汰止みとなった。現地が、どうなのかは、実感できぬが、著者によれば、精神的な抑圧が、強かったとある。理不尽そのもの、と思うが、彼方も此方も、政府は、大真面目で導入し、実施した。その辺りの問題は、明日書いてみる。