海の向こうの暴君は、話題を集めることには、天才的と言われる。だが、その才能が、あんな形でしか、活かせない、となれば、不幸でしかない、と思う。今回も、その典型としか、思えぬ発言だが、馬鹿にされてきた、報道は、ここぞとばかり、総攻撃に出た。的を外しつつ。
愚民政治が、この所、勢いを増して、政は、厳しい状況にある。目先の利益を、最優先に置き、それのみに、邁進することは、一見、利害において、重要なこと、と見做される。だが、その後の成り行きを、冷静に、顧みてみれば、何と馬鹿げた、悪手を、指したのか、としか思えぬ。こんな繰り返しが、先進各国で、行われ続け、政治の荒廃は、国の存続さえ、危うくしかねぬ、状況へと進む。それでも、長く続いた、政治体制からすれば、この位のぶれは、当たり前のことで、その反動が起きれば、また、別の方向へと、揺り戻しが起きる。全体として、保たれた均衡に、近い所を、うろつく訳だが、その時その時は、右往左往の連続となり、一部には、被害が広がる。そうなれば、対抗勢力として、是正を図るが、それとて、またぞろ、反対側へのぶれを、大きくするだけだ。その中で、暴君は、極端な物言いと、奇想天外な提案を、次々と発し、周囲を、混乱に陥れる。今回は、その中でも、際立つものかも、と指摘されるが、違法性を、掻い潜り、有利になる結果が、愚民共に、利益をもたらす、という形の約束を、口に出した。ばら撒きは、その通りで、意味は、自身の利益、にしかない。財源は、意味不明の関税、とも言われるが、それとて、確実なものか、と問われれば、いつ消し飛ぶかは、誰にも分からぬ。発言主さえ、その心積もり、なのでは、とさえ思う。違法行為を、断定する為には、その繋がりが、確実なもので、ある必要がある。ばら撒きは、それを断ち切るための、方便でしかなく、小賢しさなのか、狡さなのか、そんな言葉しか、思い浮かばない。だが、その根底にあるのは、それに、引き寄せられる、大衆の心理だ。所詮、愚かな民は、その程度のもの、と言うのなら、それが、国政に直結する、今の状況を、改める工夫が、必要なのだ。
四半世紀前、いつものように、証券サイトのチャットで、誰かと話していた。そこに、突然飛び込んできたのは、海の向こうで、事故か何かが、起きたらしい、という話だった。端末では、テレビが見えないので、テレビを、つけて見たと思う。そこには、信じられぬ光景が。
そんなことから、始まった攻撃は、それでは済まず、次の旅客機が、双子のもう一つへと、飛び込んでいった。詳しい情報は、何ももたらされず、そのまま、東海岸の大都市が、崩れていくような、そんな光景が、画面に映し出されていた。おそらく、そんな報道を、眺めていた人々は、非現実的な出来事に、驚きよりも、別の印象を、受けただろう。徐々に、明らかとなった攻撃内容は、これもまた、信じ難いものであり、常識では、考えられぬ、行為の数々となった。多分、旅客機内の乗客も、そんなことを、思い描きながら、死を待っていた、のだと思う。それにしても、自殺行為により、多くの犠牲者を、出したことに、どんな意味が、あったのか。狂気の末、という意味では、普通の感覚で、理解できる筈も無い。その上、紛争地域では、そんな行為の数々で、市民に犠牲を、強いていたのが、当たり前だったことから、非常識でも、それが、正当化される、社会があることを、押し付けられる。その一方で、依然として、囀りなどで、喧しく訴えるのは、陰謀論だろう。こちらも、狂気の一種、としか思えぬが、常識や論理で、繋げられぬ筋書きで、本人は、真実の如く、語っているのだが、どうにも、異常としか、感じられぬ。いつから、こんな世の中に、なってしまったのか。誰にも、わからぬもの、としては、おそらく、解決法は、見つからぬ。だが、現状では、その程度のこと、としか言えぬ。ただ、戦いの犠牲者が、殆どが、市民であることには、理解に苦しむ。戦う為に選抜され、互いに、相手を、殺し合うのは、当然の帰結だろうが、その中で、何の罪も無く、殺される市民が、居ることには、納得がいかぬ。その意味で、何の意味も無い、戦いを続けることを、さっさと、やめるべき、と思う。
またか、と思うしかない、報道が、朝から流れ、市場は、慌てふためく。何度、同じことを、と思いつつ、投資家は、不安に、悩まされる、かも知れぬが、これ、手の施しようが、ないのだろう。紛争地域に、突然の爆撃が、始まって以来、こんな混乱が、続いている。
だが、根源は、その爆撃ではない。そこに至ったのは、紛争地域が、何故、何時迄も、小競り合いを、続けるのか、という点に、問題の大元が、あると思う。前にも書いたが、大戦後に、新たな国を、との希望を抱き、建国したのだが、三宗教の聖地、との関係もあり、その後の混乱は、周知の通りだ。しかし、それだけで、今の事態が、起きている、とはとても思えぬ。まずは、難民と呼ばれる人々が、暫定とはいえ、政府をもっているのは、誰もが、理解しているものの、その一方で、実質的に、支配しているのは、ゲリラ、と呼ばれる人々で、組織化された集団が、統治している、との話が流れてくる。ただ、彼らは、独自の資金源を、もつ訳ではなく、それを支える、他国の存在が、大きいとも言われる。この国が、今回の爆撃を、受けたのが、報道された時、攻め込んだ国々は、指導者を、全滅させた上で、政府自体を、転覆させる、との目論見があった、と伝えられるが、軍部の存在が、それを食い止め、現在に至る。ただ、この過程で、徐々に見えたのは、誰が、国を率いるのか、という疑問であり、交渉の場も、相手が見えず、混乱が続く中、解決への糸口は、見えないままだ。そこに、今回の事件が、起きた。もう一つ別の国の、ゲリラ集団が、現在閉ざされる海峡ではなく、もう一つの海峡を、閉鎖したとの話に、原油供給への不安が、再び、強まったという訳だ。その中で、独り言で、度々取り上げたのは、ゲリラの存在で、国ではない、別の集団が、市民を盾に、戦いを続ける図式は、軍事侵攻が起きた、あの地域とは、全く異なるもので、泥沼としか見えない。ただ、それを支える国を、叩いてしまえば、との目論見は、その通りであり、再度、攻撃が強まれば、どうなることか。また、週末がやってくる。
職場も学校も、生成人工知能の登場で、大きく変化する、と言われるが、本当だろうか。こんな作業が、できるようになったとか、こんなことは、任せればいいとか、そんな話が、実しやかに伝わるが、遅れた人間にとり、なにそれ、としか思えぬ状況で、呆れてしまう。
そんなことを書くと、途端に、年寄りは、そんなだから、若者に嫌われるとか、棺桶に、足を半分入れた奴が、何をほざくのかとか、そんな戯言が、並ぶに違いない。だが、本当に、既存の知識を、ただ並べて、偉そうに振る舞う機械に、誰もが、ぐうの音も出ぬ程に、やり込められるのか。一方で、利用者が増えるに従い、得手不得手が、漏れ始めて、期待を膨らませた輩からは、落胆の声が、聞こえてくる。ただ、そうなれば、対策が講じられ、不得手を、克服したとの知らせが、届くのだから、ある意味、恐ろしい時代と思う。で、何が言いたいのか。本当に、全ての仕事を、機械任せに、するというのか、という点が、主張したいことだ。職場では、失職の危機が、迫るとも言われ、学校では、今更、何を学んでも、無意味との声が、聞こえてくる。これらのことが、本当かどうか。暫く待てば、見えてくると思うが、どうだろう。期待する側からは、不足の面が、露呈する度に、すぐに対策が、講じられるから、大丈夫との声が、届くのだろうが、果たして、そんな調子で、全てが、任せられるのか。どうしても、怪しいとしか、思えぬ。学校関係者からは、悲鳴に似た声も、届くようだが、その一方で、警告にも似た、意見も出ている。これからの生活で、常に、人工知能に頼れば、その場での緊急対応は、どうするのか、という趣旨だが、これに似た現象は、以前も起きていた。教室で、教師の言葉を、理解できぬと、途端に、検索する学生達。その間に、進む話には、何の注意も払わず、発見して、安心すると。ここでの問題は、時間の進行だろう。ただ、その失敗は、経験せねば、気付かぬもので、失敗を、忌み嫌う人間は、やはり、無能の烙印を押され、舞台を去るしかない、となるのか。
米価は、どうなるのか。田圃はどれも、色付き始め、たわわに実った、稲穂が垂れ下がる。いつもなら、豊作を、喜ぶ声が、次々に届き、明るい笑顔が、画面に、映し出されるのだが、今年は特に、その気配が見えぬ。騒ぐだけ、騒ぎまくった人々は、不安げな顔で、話している。
いつもながら、農業に関して、理解不能に、陥る話ばかりが、流れてくる。不作を、悲しむ声は、誰もが理解でき、同情の声も、聞こえてくる。それについて、文句を並べる人は、殆ど居ない。だが、豊作となると、話が変わる。取り過ぎれば、余ることへの懸念ばかりか、別の問題まで、生じると言われる。今回は、以前から、何度か書いたように、米騒動が起き、政府が乗り出して、解決を図ったものの、さて、何が起きたのか、と思える程に、混沌とした状況で、そこに、放出した筈の、備蓄米は、ほんの一部しか、市場に出回らず、どうしたことか、と思ううちに、そろそろ、新米の収穫が、となったら、古い品物より、新品の方が、安く出回る、という事態が起き始め、政府は、慌てて、古いものを、買い戻す、などと言い出す始末。何れにしても、価格調整の為、と謳った筈の、放出に関しては、中間業者が、損より得を、追いかけ続けて、結局、何処に隠したのか、とさえ言われる始末。こちらは、先日書いたように、もしかしたら、市場どころか、業者の手にも、渡らぬままに、備蓄倉庫から、動かさなかった品物を、買い戻すのでは、との疑いまで、飛び出した。どれもこれも、金儲けを、企む業者が、濡れ手に粟の如く、泡銭を、手にしようとするのに、消費者も、政府も、手を貸したのでは、とさえ思えてくる。そちらの始末は、政府に任せるとして、騒動に巻き込まれた、消費者と生産者は、今年の新米を、どんな価格で、どんな形で、手に入れ、市場に出すのか、そろそろ、見えてくるに違いない。にしても、この所の長雨で、収穫期を、逃してしまうのか、という懸念こそ、もっと取り上げては、と思う。
教育の大切さ、について、何度か書いてきた。だが、一部の教育関係者のように、教育が万能、などとは思っていない。少なくとも、場を設けることで、各人が機会を掴み、それによって、能力を高める、という図式は、必要と思う。その中で、大学教育は、荒廃の一途、と言われた。
原因は、様々にあろうが、最大のものは、予算削減、にあると言われた。ところが、昨年度から、様子が変わり、補正や本予算で、一定の額が、確保され、それまでの、年1%削減、という愚かは、一旦、収まったようだ。今までなら、研究費増額で、お茶濁しを、担当大臣が、行っていたが、今回は、財政を預かる、担当大臣が、直々に、回復を謳ったから、と期待したら、来年度予算の、概算要求では、これまでの減額を、帳消しにする、増額との話が伝わり、一気に、期待が膨らむ。だが、兎に角、政府批判を、続けるしか、能の無い報道は、一切触れることなく、どうなるかは、不明だが、大学関係者の中には、囀りで、それに触れる書き込みを、する人も居る。ただ、諸手を挙げて、とならぬのは、何故だろうか。一つには、削減への対応で、減らし続けた教職員定員を、増やすことが、方策として、考えられるものの、また、元の木阿弥に、との懸念があるやも、知れぬ。にしても、動きが鈍いのは、やはり、高等教育機関として、何を、どう動かすかに、思いが至らぬから、との見方も、ありそうな気がする。研究費なら、一研究者に、任せておけば、よかったものを、運営費交付金では、機関全体で、方策を講じる必要が、出てくる。流石に、そこまで、無能な集団では、と思うのだが、果たして、どうなるのか。少なくとも、一時的とは言え、人件費に、回すことで、充実を図る必要は、あるに違いない。一方で、だからと言って、人材不足が、という問題が、残っている。長年に渡り、首を締め付けられ、育成を、怠ってきたツケ、と言えばそれまでだが、現状打開が、予算確保により、迫られた場合に、どう動けばいいのか、これまでとは、異なる視点を持つ、責任者への、移行を考えるべき、時なのかも知れぬ。
日頃から、社会媒体、特に囀りに対して、批判を書き綴っている。嫌いで、見たくもないなら、相手にせずとも、と思う人が、多いと思う。だが、同じように、批判姿勢を、貫く人の多くは、囀り自体にも、書き込んでいる。好き勝手に、書き殴った意見に、苦言を呈するように。
それはそれで、大切なことと思う。ただ、中には、難癖をつけて、相手を、論破することだけに、一種の喜びを、感じているのでは、と勘ぐりたくなる、人も居る。先日も、ある研究者が、原発事故から、周囲に拡散した、放射性物質が、混じったとして、掻き集められ、ある地域に、集積された土壌の、次の処理に対して、政府批判を、繰り返し始めた。確かに、汚染であれば、それを広げることは、避けるべきだが、それは、処理水の時に、書いたように、除去不能なものを、希釈することで、直接的な影響を、無くす処置が、取られた時と、同じ考え方で、集積や濃縮ではなく、拡散や希釈を、手段の一つとして、考えるべき時が、来ている、と見ることもできる。だが、件の人物は、勢い込んで、その考え方の、危険性を、論じ始めた。そこまでは、批判の一つとして、可能なもの、と見ることも、できたのだが、それが、高じるに従い、科学的に見て、妄論としか、思えぬ解釈に、発展した時点で、研究に携わる、人間として、その資質を、疑うべきとの見方が、強まっていた。論破とは、相手の主張の、綻びを見つけ出し、それを、指摘することで、主張自体を、やっつけることだが、今回の場合は、政府の措置を、批判する中で、自分の主張を、押し通そうと、科学的に、通用しない考えを、持ち出したことに、失敗の原因がある。極みに達した後、暫く、見かけないのは、囀りの仕組みで、排除されたのか、はたまた、本人が、自らの不明を、恥じた結果なのか、知る由もないが、以前同様に、論客として、発言することは、難しくなった、と思える。それにしても、あの程度のことが、理解できぬまま、研究してきたとは、とさえ思えてくる。