パンチの独り言

(2026年10月12日〜10月18日)
(解決法、法秩序、主権とは、違いは何、様子見、自己防衛、自己崩壊)



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10月18日(日)−自己崩壊

 任期というものが、ある以上は、道半ばなのである。まだ、半分しか、終わっていない、のだが、一方で、半分も、残っている、とも言える。だが、この所の、不規則発言の数々や、朝令暮改ぶりからして、断末魔の叫び、という声さえ、聞こえてくる。どうだろうか。
 暴君は、何も、海の向こうの、餓鬼大将に、限った話ではない。集中した権力を、如何様にも、行使できる、という意味では、残り二つの、大国に居座る、例の輩達も、全く同じだ。だが、大きな違いが、あるとも言える。後者二人は、任期があったとしても、既に、形骸化しており、無いも同然、となっている。それに対して、未だ、民主主義が、通用すると言われる、前者の大国では、歴とした、任期が定められ、二度目ならば、次は無い、のは明白なのだ。だからこそ、残りの半分を、どうやり過ごすかは、大した問題では、ないとも言える。だったら、もっと好き勝手に、振る舞えばいい、と思う人が、大多数だが、本人の心の中は、兎に角、名を残すことが、占めている。それも、悪名高き、という現在の状況とは、全く異なる、名誉を誇れる、そういう名に、拘っているのだ。にしても、当初から続く、暴言の数々のみならず、他の国の、主権でさえ、侵害することも、当然と考える、思考回路には、呆れるばかりだ。確かに、企業経営者であれば、自社の利益のみを、追求することが、今の資本主義の、基本と言われるが、国は、企業ではないし、国家間の関係は、利潤追求の対象、とは大きく異なる。その中で、法の支配を、無視し続ける態度に、もう誰も、口を出さなくなり、裸の王様が、素っ裸で、恥を晒し続ける。だが、まだ、国民の判断は、下されていない。すぐそこに、迫っている選挙は、どう転がるかが、まだ見えておらず、報道も、触れぬように、心掛けている、ように見える。公約は、彼の頭には、存在しない言葉だろうが、選挙中に、口走っていた、自分ならできる、との予言は、悉く、外れており、ここに来て、迷走ぶりは、強まるばかりだ。責任転嫁が、常態化する中、何方に転んでも、崩壊の一途を、辿るだろうと、思われるが、どうだろう。三極が、それぞれに、崩れ始める中、世界全体は、何処に向かうのか、誰にも分からぬが、大差無いのかも、とも思えている。

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10月17日(土)−自己防衛

 自分の資産は、自分で守る。投資の世界では、常識とされるが、半世紀程前の、高度成長期とか、泡が弾ける前とか、そんな呼び方を、する時代には、証券会社に、資産を預けて、運用は、専門家に任せる、というやり方を、していた人が、一杯居たのでは、ないだろうか。
 それは、いかん、と言われ始め、売買を、促すにしても、事前確認を、怠らぬよう、とされてからは、特に、自己責任なる言葉が、業界に、飛び交うようになった。そうでなくとも、自分のものなら、自分で、責任を負う、のが当たり前、と思う人が、徐々に、増えているのだろうが、この殺し文句が、今でも、屡々聞こえるのは、やはり、現状が、そうなっておらず、お客様を、神様と呼ぶ人間が、居るからだろう。そこでも、虐めに似た、行為が、度々見られ、損失補填を、強要する動きが、見られるのも、当然なのかも、と思える。ただ、下々の者から見れば、そんな話が、通用するのは、高額の資金を、預ける人だけで、なけなしの金を、どう増やそうか、悩む庶民には、関係ない話だ。だが、それでも、否、それだからこそ、自己防衛が、不可欠と見ることが、必要となる。何かを、勧められても、簡単に、乗ってはいけない、と言われるのも、そんな事情からだ。だが、少しでも、増やしたい、と願うのも、少ないからこそ、なのだから、仕方ない。どうしたら、いいのかと、日々悩みつつ、でも、危ない橋は、渡りたくない、と思っている。これでは、一攫千金は、掴める筈のない、話にしかならない。だとしたら、ある程度の冒険を、已む無しとするか、はたまた、将来への不安を、見えぬふりを、続けるかの、何方かだろう。泡が弾けて以来、経済低迷が続き、何事にも、経費がかかる時代、となってきた。その一方で、値上げを、忌み嫌う風潮から、手取りが増えず、厳しい家計状況が、続いてきた。ただ、ここにきて、値上げの嵐が、続くようになると、当たり前の如く、何事にも、手数料が、要求され、その積み重ねが、また、価格上昇へと、結び付く。老後の不安は、これでは、解消できぬ、と思っても、さて、どうすれば、資金確保が、可能となるか。一番は、やはり、使わぬことか。最低限でも、豊かに思える生活を、送りつつ、との思いは、捨てぬように。

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10月16日(金)−様子見

 情報漏洩にしても、詐欺紛いの話題にしても、報道は、さも大事の如く、喧伝している。確かに、なけなしの金を、奪われた人からすれば、そんなことが、起きないのが、一番に違いなく、その為に、注意すべきことを、列挙するのが、一番に違いない。だが、今のやり方は。
 本当に、その目的に、適っているのか。と、そんなことを、思い描く程に、的外れな指摘と、無垢な庶民の、感想ばかりが、流れるのを、眺めている。一体全体、何をして欲しいのか、と思う程、これらの、無垢な善人達は、不安を口にし、それが、自分を滅ぼす、程に思っている、ように演出される。確かに、老後の資金を、失うことは、一大事である。生活の糧を、失ってしまえば、どうにもならなくなり、死を迎えるしか、ないようにさえ、見えてくるのだろう。だが、今回の情報漏洩で、どんなことが、起きるのか、果たして、十分な検証が、行えているのか、と思う。そんなことを書くと、いや、最悪のことを、考えるのが、今は、一番大事なのだ、との反論が、押し寄せるだろう。でも、その最悪とは、何事なのだろうか。命が、奪われるが如くに、表現することさえ、見えてくるに従い、怪しさの方が、先に立つのだが、これは、こちらの見方が、誤っているのか。自分の情報を、奪われて、それが、悪用されたら、と考えることに、何の間違いも、無いに違いないが、でも、そこまで、起こりもしないのに、想像を巡らすのが、本当に、必要なのか、と思うのだ。守られることに、慣らされてきたから、こういう場面で、恐怖を感じるのは、当然のことだ、とする考えには、首を傾げたくなる。守るとは、確かに、保護者がいて、国があって、そういう大きな存在が、何かを、してくれる、というものだろうが、いい大人が、それも、実は、他人を守らねば、という人に限って、こういう話に、不安を隠せぬ様子を、示してくれる。困った時代、なのだろうが、さて、どうしたら、いいのだろう。これもまた、昨日同様、様子を見ようか。

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10月15日(木)−違いは何

 詐欺だらけの世の中で、何を信じたらいいのか。今や、先送りできない、喫緊の課題、とも言われる。さて、皆さんは、どうしているのか。多分、大多数が、何もしていない、のだろう。それでは、危機回避が、できないのでは、と言われそうだが、どうだろうか。
 何もしていない、との返答は、実際そうなのだから、他に、答えようがない、のだろうが、その一方で、その返答をした人の、大部分は、何をしたらいいのか、とも思っている。確かに、大小に関わらず、殆どの媒体で、問題が指摘され、手続きで、入力した情報が、大量に流出し、それが、悪用される、との懸念が伝えられ、既に、そんなことが、起きたとさえ、報じられる。自分のことは、どうだろうか、と心配になるのも、当然の状況だが、だからと言って、何をすれば、いいのか、という問題の答えは、簡単には、見つかりそうにない。そんなものに、手を出さぬよう、と、今更、心掛けたとしても、既に流出したものを、取り戻せる訳でも、取り消せる訳でも、ないからで、どうにもしようがない、としか思えないからだ。確かに、その通りであり、流出した情報が、悪用された場合、その被害を、誰が補償するか、という点に、目が向くだろう。現時点では、悪用された人には、何の責任もなく、金銭的な被害が、出たとしても、ほぼ全てが、流出させた企業や、悪用された情報を、受け付けた企業により、補償される、と言われる。だったら、何の心配もない、となるかは、これもまた、不確かなままだ。だから、何かしらの、行動をした方が、と思いたくも、なるかもだが、多分、無駄なのだろう。ここまで来ると、そういう情報を、登録しないように、するぐらいしか、防衛の方法は、ないように思える。でも、公的な記録は、避け難いものだし、そこに、至ったとしたら、と考えるのも、無理もない。ただ、今の時点では、そこまで、深刻にはなっていない。何が違うのか、と思う人も、多いだろう。役所の無責任を、批判する声は、今も昔も、変わらぬままだが、企業で、そんなことが起きるのに、役所関係が、大丈夫とは、信じ難い、と思う訳だ。理由は、定かではないが、意外に、無責任でも、無能でも、ないのかも、とも思える。暫く、様子を見てみようか。

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10月14日(水)−主権とは

 法の支配により、裁かれるべきは、他国の主権を、侵害したからだ、と聞くと、成る程、と思える。他国の大統領を、拉致したり、政府転覆を狙って、爆撃を始めたのも、他国へ、軍事侵攻し、併合しようと、狙ったのも、暴君の暴挙として、裁かれるべきことだろう。
 その点において、多くの国々から、賛同を得ている、とも思える。だが、ならず者呼ばわりを、返した国は、自分の主権が、侵害された、と断じている。この違いは、国内問題と、国際問題の、主権に関わる、設定の違い、から来ているのだろう。だとしたら、国内政治における、主権の問題ならば、妥当な意見、となるものが、上に挙げたものは、何れも、的外れ、と見るべきとなる。一方で、本来、国際機関が、目標とした、国際的な平和の、維持に関しては、現状では、どの紛争に関しても、何の手立ても、講じられず、暗礁に乗り上げ、身動きが、取れぬ事態にあることで、裁判所なる機関が、口を出すのも、已む無し、となるだろう。どちらに、軍配が上がるかは、明らかに思えるが、今の、大国の態度は、国の間のことさえ、力任せに、押し切って良い、と見る考えが、元になっている。これらの横暴を、許すべきではない、との見方から、裁判所に、賛同するのは、この国をはじめとした、多くの国々の、判断だろうが、その一方で、裁判所の役割を、逸脱している、とも見える判断には、声が上がらぬのは、どうなのか。小国の暴君として、犯罪行為の、取り締まりで、射殺も已む無し、とばかりに、力でねじ伏せよう、とした動きに対して、任期中から、厳しい批判の声が、国内外から、上がっていた。それでも、断行し続けたが、退任後に、国際手配され、今、裁判の最中、と伝えられる。この問題は、人権侵害の観点から、当然の流れ、と見る向きもあろうが、国内に限定した話であり、主権国家と見れば、主権侵害とも見える。犯罪を、糾弾することは、法の支配では、当然とは言え、内政への干渉、となるとどうか。その辺りに、この機関が、抱える問題が、潜んでいる、ようにも見えてくる。

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10月13日(火)−法秩序

 国際機関は、機能不全に、陥っていると言われる。大戦後、主要戦勝国が、主体として、纏められた組織は、特別な権利を、保持することで、戦前の轍を踏まず、確かな制御を、行うこととした。だが、冷戦期を経て、互いに、啀み合うばかりで、解決の糸口さえ、見出せない。
 組織そのものを、根本から、立て直す必要が、それ以外の国々から、盛んに、提案されるが、既得権益を、手放す気が、毛頭ない主要国は、何の結論も、導けない議論の場を、変えるつもりは、全く無いようだ。本来なら、暴走を止める、最終手段となる筈が、停滞した議論は、各地の紛争が、長引いても、一向に、解決策を、講じる気配さえ、見えてこない。強大な軍事力を、背景にした、力による支配は、批判が集中する、結果となるが、それに対して、法の支配による、秩序を標榜する、別の機関からは、各国の要人に対し、違法行為による犯行、と決めつけることで、裁きを受けさせよう、としている。実際に、幾つかの国に対し、嘗て、治めていた人物を、拘束した上で、裁判に欠けている、と伝わる。だが、大国にとり、元々、参加していない機関の、決定に従う必要は、全く無い訳で、こちらも、暗礁に乗り上げている。だが、だからと言って、国際的な紛争は、犯罪の一種であり、厳罰に処すべき、との意見もあり、このままでは、例の国際機関同様、機能不全に、陥ることとなる。犯罪者呼ばわりされ、ならず者、rogue、と呼ばれた要人も、同じ表現で、やり返すのは、馬鹿げた遣り取り、としか見えぬが、悪の枢軸、axis of evil、と呼ばれた国家は、一つを除けば、依然として、独裁政権が、握っており、そこに、大国が、ならず者国家と呼ばれて、気持ちがいい筈は、ないのだろう。だから、裁判所を、同じ表現で、やり返すのは、如何にも、餓鬼大将らしい、やり方だが、これもまた、何の役にも立たず、紛争の収束は、気配さえ、見えてこない。人間の知恵は、心許なく、所詮、この程度のもの、なのだろうが、だからと言って、再び、世界大戦を、望む人間は、武器商人以外には、居ないだろう。誰が悪いのか、という見方で、決着させるのは、無理筋としても、法の支配は、確かに、手の一つだろう。ただ、人間の愚かさは、ここでも、手詰まりを、感じさせる。

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10月12日(月)−解決法

 自分事には、過剰な防衛反応を、示す人が、他人事には、攻撃的となる。当然、と思う人も、居るだろうが、仮想空間では、それが、特に、目立つように、感じられる。こんな感覚は、まさに、囀りの世界では、典型となる。その上、揉めたら、拒否もできるから、安泰となる。
 そんな書き方をすると、途端に、反論が、押し寄せるかも。拒否は、確かに、最終手段だろうが、相手は、そんな人間には、手を替え品を替え、というより、名前を変えてまで、執拗に食い下がる。それで、精神を病む人が、出るのは、止むを得ない、と言われるが、どうだろう。仕組みとして、大きな欠陥、と言われるものの一つが、こういう関係性の問題だ。日常生活、通常の社会であれば、法の秩序により、異常行動は、かなり厳しく、制限される。だが、この手の社会が、未熟なのか、はたまた、参加者の未成熟が、そんな形で、現れるからか、兎に角、悩まされることが、多いと言われる。ただ、こんな遣り取りを、外から眺めると、何故、それ程に、悩むのか、理解に苦しむことも、多くある。危機回避が、屡々、取り沙汰され、その為の手立てが、何度も、紹介されるが、当人達は、それを実行することなく、自らを苦しめることとなる。最初に書いた、防衛と攻撃が、ある意味、典型なのでは、と思えるのは、こういう問題が、生じた時だ。二重人格、などと呼ばれたり、二重の基準、と呼ばれたりするが、当人は、そんな感覚が、無いのでは、と思う。極端な表現では、人間では無い、などと批判されるが、逆に、人間だからこそ、そういう二面性が、それぞれの心の中に、存在しており、結果的に、自分で、自分を苦しめるのも、その一つなのでは、と思うのだ。落ち着いて、考えれば、解決できる筈、と外からは、見えているが、当事者達、また内側の人々は、そんな風には、感じていない。だからこそ、苦しむのだ、と言えば、その通りだろう。だが、それでは、解決の糸口は、見つからない。自分で、何とかしたければ、違う動きを、試すしかない、と思える。どうだろうか。

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