高校までの教科書は、何事も、断定的に書いてある。事実を、覚えることが、学習の主体となり、覚えると、理解した、という気になるらしい。だが、大学へ進むと、途端に、何事も、あやふやであり、断定できない話が、押し寄せてくる。解るように、話して欲しい、との悲鳴が上がる。
だが、世の中、殆どのことが、不確定で、決められない。だから、それに備えて、自分なりの分析を、する力をつけて、社会で活躍できるように、との配慮からだが、本人達は、迷惑としか、思っていない。分かる話、というのは、白黒がはっきりして、断定できるもの、のようだが、それでは、世渡りは、できそうにない。一方、人気商売では、分かり易さが、鍵となり、嘘や偽りでさえ、断定的に、言い切ることで、人気を得る。その典型が、海の向こうの暴君で、一期目の当選は、まさにその結果、となった。だが、誰がやっても同じ、などと揶揄されたとは言え、多くのことが、頓挫した結果、次の選挙では、惨敗となった。復活したのは、その反省から、確実なことを、目指したから、などとは、誰も思わず、同じことの反復だったが、何故か、学んだ筈の大衆は、同じ間違いを、繰り返した。そこには、何が正しいのか、という評価軸より、どの話が、分かり易いか、との評価軸が、優先されたことが、背景にありそうだ。反省しなかったからこそ、同じ轍を踏み、国際関係でも、多くの障害を、築き上げていった。一方で、この傾向は、世界的なもので、あの国に、限ったことでなく、他国でも、暴君が、居座ることで、様々な問題が、生じてきた。その組み合わせ、に過ぎないのだが、これ程に、歪みが大きくなると、簡単には、修正ができない。その上、国際機関が抱える、重い症状は、調整を、無力なものとして、暴君の暴走を、放置することとなった。法の支配を、標榜する国とて、その要となる組織が、本来の役割を、大きく逸脱し、国際問題ではなく、国内問題にまで、口を出す始末。これでは、秩序を取り戻すことは、困難を極める、としか思えない。民主主義である以上、投票行動が、最優先となるのは、当然のことだが、それが、無知の力で、動かされては、何ともならぬ。自浄作用に、期待したいが、ここまで汚れると、簡単ではない。
教員が足らない、と言われる。本当か、と思うが、現場からは、人手不足で、超過勤務が、減らせない、との声が届く。これもまた、本当なのか、と疑っているが、有資格者の数が、減り続けていて、仮令、資格を取っても、他の職に、就くとまで言われると、はて、と思う。
逃げる人が、増えるのは、多分、報道関係の、総攻撃によるもの、と思う。激務と強調し、組織に、改善の意思が無い、とまで伝える。その上、親との関係は、改善の気配さえ、見えてこない。何しろ、ほんの一握りとはいえ、違法行為が、度々報道され、異常な人間の集まり、と言わんばかりの、論調さえある。今の風潮は、ほぼ全てが、この形であり、如何に、負の要素を、強調するかが、報道の責務、と思う人さえ、居るのではないか、と疑いたくなる。たまに、いい話が流れると、嘘との指摘が、押し寄せて、現実との乖離を、山のように、積み上げてくる。こちらは、報道ではなく、巷に蔓延る、社会媒体に巣食う、不埒な輩が、中心となる。海の向こうの、選挙では、負の喧伝が、最大の武器と言われ、毎回、それが繰り返される。今も、まさにその最中であり、あることは、無いかほんの僅かで、無いことばかりが、山のように、積み上げられる。教育が、魅力的な職業か、と問われれば、必ずしも、そうとも言えないが、とは言え、十年に一度でも、態度を改める、子供に接することで、思いを新たにした、人が多いのは、この業界だろう。大人相手の、味気ない日々を、送ってきた人々には、魅力的と、映るのかも知れず、だからこそ、そういう経験者の登用を、目論む動きがあるのは、当然なのかも、だ。だが、だからと言って、経験のみで、何事も可能となる、訳が無い。やはり、それなりの訓練を、経てから、舞台に上げる必要が、あるのではないか。そんなことを、考えると、今の流れには、賛同できない。人工知能が、ここまで整備されれば、人間が、直接教えることは、殆ど残っていない、との意見があるのは、十分承知の上で、あんな機械に、全てを丸投げするのは、危険極まりない、と思う。馬鹿げた、感染騒ぎの最中、現場では、通信を介した教育が、実施されたが、その不便さは、尋常ではなかった。となれば、やはり、生きた人間同士の、遣り取りこそが、不可欠となりそうだ。とは言え、誰でも、とはいかぬものだ。慌てては、いけないだろう。
毎日書くのに、人工知能を、使っていないのか、と尋ねる人は、まだ居ないが、そんなことを、思った人が、居るかも知れぬ。こんなに、読み難いものを、機械が、書く筈がない、と思う人は、事情を、よく理解している。それより、楽しみで、書き綴るものを、何故、何かに任せるのか。
そんな疑問を、抱くことを伝えると、また、不思議そうな顔をする。確かに、人工知能に、全てを任せるのではなく、もう少し、読み易くするように、依頼しては、と思う人が、居たとしても、不思議はない。それはそうとして、別に、自分が思ったことを、自分なりに纏めて、毎日書き綴るだけなら、大した労力ではなく、使い方を、誰かに尋ねる前に、書いてしまった方が、余程楽に違いない。また、楽しみ、という点を、強調しておきたい。業務記録や、学校での提出物など、面倒としか、思えないのなら、誰かに、投げたくなるのも、仕方ないが、自分の楽しみを、他人に、それも、人間ではないものに、譲ってしまう、そんな気持ちは、全く理解できぬ。書くことが、思い付かなくなる、という不安が、過ぎる場合も、あるだろうが、その心配は、ご無用だろう。日々、何かを、眺めていれば、それで、思うことは、必ずある。もし、そういう考えが、思い浮かばなくなるのなら、そろそろ、生きるのを、止めた方が、いいのでは、とさえ思う。流石に、生きる喜びが、独り言にある、とまでは、思ったことさえない。そんな大層なものでも、また、どうでもいいものでも、何方でもなく、ただ単純に、習慣化しており、それを、日々、繰り返すのみ、なのだろうと思う。読む人が、傷ついた、と思ったことが、あるかどうかは、知る由も無いが、こちらは、そんなことを、考えたことも無い。傷つけて、どうしたいのか、とさえ思える。書くことが、好きかと問われれば、その通り、と答えるが、こういうものを、毎日書き綴るのと、その気持ちとは、殆ど関係ない、と思う。人畜無害、は言い過ぎとしても、役に立つことが、あれば、幸いである。
独り言を、読む人達には、不思議でも何でも、ないのだろうが、改めて書くと、SNSなどと呼ばれる、社会媒体は、何と役立たずなことか、と思う。囀りが、身勝手な意見の、落書き帳なのは、当然のこととして、顔本も、大差なくなり、仮令、実名で書こうとも、歪曲が著しい。
何度も、書いてきたことだから、他人から見れば、慣れているのでは、と思われるかもだが、頁を、繰っていっても、何処までも、そんな馬鹿げた文言が、続くとなると、流石に、嫌になるものだ。自分は、社会で、活躍してきて、過去形でも、現在形でも、変わらぬ地位に、あるとでも、思っているのか、上から目線で、世間は、愚かな者ばかりで、諭しても、何の役にも、立たないだろうが、それでも、正論を、ぶっておく、とでも言いたげな、態度なのだ。だが、肝心の、本人曰くの正論は、明らかに、誤解に満ちたもので、何処をどう読んでも、論理破綻ばかり、としか思えない。何故、この程度の人間が、自分は優秀で、組織内でも、活躍してきた、と思い込めたのか、不思議で、仕方ないのだ。とは言え、そんなことを書くと、お前もだ、とでも言われそうだが、さて、どうだろう。この場は、独り言であり、自分勝手な意見を、綴る場として、長年、毎日の記入を、心掛けてきた。幼少の頃から、日記なるものには、全く縁がなく、これ程に、長続きしたものは、何事にも、当てはまらないのだが、それでも、続いたのは、事実である。これ程の、膨大な量を、ぱっと、その場で書ける、とはとても思えぬ。で、その一方で、やはり、論理を保ち、じっくり読めば、分かる筈、との基本は、忘れていない。そういう気持ちで、改めて、社会媒体へ、書き殴られたものを、読んでみると、やはり不快感しか、残らない。こんな塵の山、さっさと片付けたら、と思うのだが。
不穏な空気は、何処にも、流れている。そこに居る人が、不安や心配を、口にしさえすれば、それで十分だろう。今や、そんな声を集めて、煽ることで、自分達の生業を、続ける連中は、まさに、そのお陰で、実入りがある。何事も、不穏でなければ、成り立たないのだ。
とは言え、経済状況は、踊り場なのか、今、何方に動くか、不安定な均衡の、中にあるのだろう。それを、ここ暫く続いた、活況を頼みに、将来設計を、考えるとの話が、出てきた。異常な程の、上昇を続けて、最高値更新の、報道がある中で、税を優遇される措置を、始めた人の中には、どうなるか、得体の知れぬ、公的年金という、頼りない仕組みは、さっさと無視して、資産運用に、なるべく多くの、資金を注ぎ込もうと、日々の出費を、抑えると言う。流石に、貧しい生活を、自ら強いて、将来に備えるとは、何事かと思うが、本人達は、大真面目である。知恵の足りない、人々が、さも当然の如く、滔々と語る姿に、空いた口が、塞がらないが、識者達も、五十歩百歩の状況で、分散投資の基本を、見出せないから、総白痴状態、にしか見えぬ。その中、世間は、生成人工知能の話題で、持ち切りで、相場も、その動きに従い、盛んに上下する。確かに、その威力たるや、信じ難いもの、と映るらしいが、真偽の程は、定かでない。ただ、最大の懸念が、広がるのは、教育の世界だろう。誰もが、手軽に、人工知能に尋ねれば、それなりの答えが、得られるとなれば、人間、何も学ぶ必要は無い、となるように見える。だが、現実は、それ程には、甘くないのだ。知識の泉として、機械検索が、持て囃された頃、よく似た状況に、あったと思える。でも、その後の展開は、誰も、賢くならず、単に、役立たずの道具を、手にしただけで、知恵遅れの人間には、何の変化も、起きなかった。同じことが、再び起こる、と思えるのだが、果たしてどうか。検索同様、使えない奴は、やはり、使えなかっただけで、使える奴は、やはり、使えただけなのだ。
不穏な空気が、報じられるが、それにしても、あの略奪の光景は、どうしたものか。この国でも、嘗て、そんな光景が、見られたとも伝えられ、何も特別なことは、無いと断じる人も、居るのだろうが、さてどうか。最近の、治安に関しては、絶対は無い、とも言われるが。
それにしても、物価高騰や、その他様々な問題に、適切な対処を、できない政府に対し、訴える人々が、皆、略奪に加担する、とは思えない。何を、どうしたら、あんな暴動が、起こるのか、と対岸の火事を、眺めるが如くに、思っているが、こんな不安が、政情不安へと繋がり、更に、他国へと、伝染し始めたら、世界規模の、混乱へと、至るのでは、と思う人も、居るのだろう。ただ、その中で、海の向こうも、例の如くの、出鱈目な様相を、呈し始めており、世界的な、と言いたくなるのも、無理もないこと、とさえ、思えるが、こちら側は、何とも不思議な、政局の展開が、進んでいる。確かに、先の大戦では、追い詰められた挙句に、宣戦布告へと、発展してしまったが、それまでも含め、鎖国時代が、安定していたのは、勿論のこと、幕府転覆となり、維新が起きた後も、比較的、安定な政治が、展開していた。確かに、戦時の状況は、一種独特の、狂気が漂い、破滅への道を、邁進したが、その最中も、冷ややかな態度で、眺め続けた人が、居たと聞く。この状況と、今、画面で流れる、暴動の光景を、結ぶ手立ては、無さそうに、見えるのだが、どうだろう。とは言え、今後、更なる物価上昇が、続いた挙句に、燃料不足など、大きな不安要素が、露呈したら、果たして、どこ吹く風、との態度を、維持できるのか、誰にも、判らないだろう。とは言え、今のこの状況が、いつまで続くのかも、やはり、誰にも、見えぬことだ。傍観を、続けられれば、幸いということか。
政治の低迷が、問題視され始めた。海の向こうの暴君の、不規則発言は、今に始まったこと、ではないだけに、それを、殊更に、取り上げるのは、どうかと思うが、先進各国でも、不安が広げられ、運動が盛んに、なりつつあると言う。ただ、作られた感があるのは、何故だろう。
その一方で、軍事侵攻が、いつまでも、収束しない中、企業業績は、好調を続け、相場も、最高値更新が、続く程だった。しかし、ここにきて、急激な制動が、かかったように見え、政治と共に、停滞期に、突入した、との見解も見える。その中で、物価上昇は、緩む気配も無く、金利の操作が、微妙な状況に、入ったように見える。経済という世界では、常識とされることが、沢山あるようだが、事が起きるたびに、編み出されたものだけに、確実性は、低い訳で、今回の騒動も、その一つに、後々、数えられそうな、気配が見える。人工知能が、爆発的な発展を遂げ、その関与が、企業活動に、大きな影響を、及ぼすと言われ、それが、業績好調へと、繋がるとの解釈が、相場の上げに、結び付いたのだが、ここに来て、翳りも見え始め、何ができるのか、改めて、見直す動きも、徐々にだが、見え始めた。まさか、それに合わせた訳でも、あるまいが、相場も、停滞期に入り、最高値から、かなり離れた水準が、ここ暫くの間、続いているように思える。これが、階段の踊り場、にあたるものか、はたまた、ここから、下げに転じるか、については、様々な意見があり、確実な見方は、出ていない。と言っても、相場の動きでは、上げようが下げようが、利潤追求をする人には、関係の無いことで、現物を買うか、空売りをするか、という立ち居振る舞い、次第の所がある。経済の不思議、と素人は、考えてしまうが、そうなるように、仕組まれたもので、市場原理と共に、関係者が、儲けを、掠め取る為の、仕掛けだろう。経済は、そんなものと、受け取った方が、良さそうだが、さて、政治は、どうだろう。二週間程で、海の向こうの決着は、着くだろうが、こちらにしても、どちらに出ようが、暴君の自己愛は、続くだけだ。残りの半分、どうなることか。